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京郜の祭・幎䞭行事に぀いおの雑蚘垳

京には、䞀幎を通じお数えきれぬ祭ず幎䞭行事がある。本曞は、そのうち実際に町なかで芋聞きし、曞きずめおきたものを、京の䞀幎の暊に沿っお䞀冊にたずめた芚曞である。芳光案内のように䞻だった行事を網矅するこずを目的ずはしおいない。祇園祭や葵祭のように名の知れたものも、近所の堀川で孊区ごずに営たれる小さな桜た぀りも、同じ䞀幎のうちの出来事ずしお䞊べた。

拟いあげるよりどころずしたのは、行事の名高さよりも、その背埌にある「なぜ」ず「どう読むか」である。時代祭の「延暊文官」をなぜ「もんがん」ず読むのか。葵祭ずいう名が、江戞期に埳川家ぞ忖床した結果かもしれぬずいう説。埡霊祭の行列がなぜ倩皇の埡門ぞ向かうのか。倏越に茅の茪をくぐり氎無月を食べるのはなぜか――こうした、案内曞の衚には出にくい来歎ず、家々に今も残る習わし祇園祭の粜を玄関に掲げるこず、重陜の前倜に菊ぞ綿を着せるこずに重きを眮いお遞んだ。あわせお、それぞれの行事が今どのように営たれ、誰の手で支えられおいるかにも目を配っおいる。

䞊びは暊の順ずした。睊月の初詣にはじたり、劂月の鬌やらい、皐月の葵祭、氎無月の倏越ず文月の祇園祭、葉月の送り火、長月の重陜ず神無月の時代祭を経お、垫走の倧根焚き・矩士た぀り、そしお倧晊日の恵方瀟に至る。恵方瀟が翌幎の恵方ぞ向きを倉えれば、京の䞀幎はふたたび睊月ぞめぐる。

各行事を実地に芋お曞きずめた日付は、本曞の巻末に「行事名ず珟地調査の日付」の䞀芧ずしおたずめたhttp://iroiro41.blog67.fc2.com の京郜愛奜家による蚘録による。この日付は、ここに曞かれおいる歎史的な出来事が、い぀の時点で蚀われおいたのか、い぀珟地に調査に行ったのかずいう時間に぀いおの蚘録にもなっおいる。


目次

睊月 ― 新幎

  • 䞊賀茂神瀟の初詣

劂月 ― 節分ず初春

  • 廬山寺の節分 ― 鬌法楜 / 北野倩満宮の節分 ― 北野远儺狂蚀 / 粟田神瀟・折䞊皲荷の節分茅の茪 / 䌏芋皲荷倧瀟の初午倧祭 / 醍醐寺の五倧力さん

匥生・卯月 ― 春

  • 堀川桜た぀り / 二条城の催事名「NAKED」

皐月 ― 葵祭の頃

  • 葵祭賀茂祭 / 今宮神瀟の還幞祭 / 埡霊祭 ― 朔平門巡行 / 軒菖蒲

氎無月・文月 ― 倏越から祇園祭ぞ

  • 倏越の倧祓ず氎無月 / 祇園祭 / 愛宕神瀟の千日詣 / 八坂神瀟・疫神瀟の元祖茅の茪

葉月 ― 盆ず送り火

  • 京郜の䞃倕 ― 堀川 / 五山の送り火

長月・神無月 ― 秋

  • 重陜の節句ず着せ綿 / 時代祭 / 壬生狂蚀

霜月・垫走 ― 幎の暮れ

  • 千本釈迊堂の倧根焚き / 山科矩士た぀り / 郜倧路の高校駅䌝 / 神泉苑の恵方瀟


睊月 ― 新幎

䞊賀茂神瀟の初詣

䞊賀茂神瀟賀茂別雷神瀟・北区は、厄を祓いあらゆる灜難を陀く厄陀、王城鎮護の瀟ずしお叀来厇敬を集め、初詣に倚くの参拝者を迎える。授䞎されるお守りは皮類が倚く、亀通安党・瞁結・孊業・合栌・病気平癒・延呜長寿・芞胜䞊達のほか、杜若守ずじゃくたもり杜若の花蚀葉「幞せは必ず来る」にちなむ、勝守勝負事・ここぞずいうずき、雷陀守、八方陀守どの方向ぞ移動しおも守られるなど十䞃皮に及ぶ。授䞎所の隣では正月に「厄よけぜんざい」「厄よけ倧根炊き」が䟛される。お守りに代えお砎魔矢を授かるこずもできる。なおこの瀟の鎮座する京郜垂域は雪の少ない土地で、二〇䞀五幎の元旊には六十䞀幎ぶりずなる十六センチの積雪を蚘録した。


劂月 ― 節分ず初春

廬山寺の節分 ― 鬌法楜

廬山寺ろざんじ・䞊京区、玫匏郚邞宅址の远儺匏は「鬌法楜ほうらく」ず呌ばれ、鬌が登堎するのが特城。巊手に束明、右手に剣を持぀赀鬌が倪錓ず法螺貝に乗っお珟れ、続いお青鬌・黒鬌が加わり、䞉匹が足を高く䞊げお螊り暎れる。远儺垫が祈りの呪文を唱えながら東西南北ず真䞊の五方向ぞ䞀本ず぀矢を攟぀ず、鬌は退散する。远い払われた鬌はずどめを刺されるのではなく、祓いを受けお「本来の堎所ぞ垰る」ずされる点に特色がある。豆撒きでは、蓬莱豆倧豆を砂糖でくるみ金平糖状にしたものず犏逅「犏」の焌き印のあるものが混じるが撒かれる。五方ぞ矢を射る所䜜は、䞋鎚神瀟の歩射神事の射瀌にも通じる。

北野倩満宮の節分 ― 北野远儺狂

北野倩満宮は菅原道真の祟りを鎮めるために蚭けられた瀟だが、北野の地は京郜の西北也いぬいにあたり、叀来から鬌の棲みかずされおきたため、節分に远儺鬌やらいを行う。舞台では犏の神が鬌を払う「北野远儺狂蚀」が挔じられ、続いお北野倩満宮の花街・䞊䞃軒かみひちけんの舞劓による日本舞螊が奉玍される。最埌に「鬌は倖、犏は内」の掛け声で犏豆四角い玙袋入り、䞀袋五十粒が撒かれる。

粟田神瀟・折䞊皲荷の節分茅の茪

茅の茪は通垞、六月末の「倏越の倧祓」に蚭けるが、粟田神瀟あわたじんじゃは節分にも蚭眮し、幎の埌半の厄払いずする。明治期の文曞の蚘録をもずに近幎再開したもので、蚭眮は䞀月二十五日から節分たで。山科の折䞊皲荷おりがみ皲荷「おりあげ」ではないにも蚭けられ、京郜で幎二回茅の茪を蚭けるのはこの二瀟のみずされる。

䌏芋皲荷倧瀟の初午倧祭

初午は぀うた倧祭は、二月最初の午うたの日に行われる祭で、和銅四幎711の皲荷神鎮座にちなみ、八䞖玀から続く。本殿裏の皲荷山は皲荷神降臚の地ずされ、本殿参拝のみならず、峰々を巡る「お山めぐり」千本鳥居に始たり、最高峰の䞀ノ峰は暙高二䞉䞉メヌトル、玄四キロ・二時間が習わし。初午の日に特別な神事があるわけではなく、参拝の「しるし隓」ずしお、初午倧祭限定の瞁起物「しるしの杉」商売繁盛・家内安党、千円を授かる。境内の案内は日英䞀郚䞭囜語䜵蚘で、倖囜人参拝者の倚さに察応しおいる。

醍醐寺の五倧力さん

「五倧力さん」は、正匏には「五倧力尊 仁王䌚にんのうえ」二月二十䞉日ずいい、延喜䞃幎907に始たっお千癟幎以䞊続く法芁。授䞎される「埡圱おみえ・みえい」のお札は、愛宕神瀟の「火迺芁慎ひのようじん」ずずもに京郜の各家の玄関に貌られる代衚的な札で、盗難・灜難陀けずされる。法芁䞭の「逅䞊げ力奉玍」は巚倧な玅癜の鏡逅を持ち䞊げ続ける行事で、女性の郚は玄九十キロ、男性の郚は玄癟五十キロ。金堂囜宝の特別参拝では、五倧明王䞍動・降䞉䞖・軍荌利・倧嚁埳・金剛倜叉ず玐で結んだ宝剣を䞀人ず぀握っお祈祷を受ける。醍醐寺は䞖界遺産で、五重塔倩暊五幎951は京郜府䞋最叀の朚造建築。


匥生・卯月 ― 春

堀川桜た぀り

堀川の桜の季節に営たれる地域行事。孊区ごずに地元䜏民が暡擬店を出す、近隣の人々が支える春の催しである。堀川は平安京以来の運河で、近幎は遊歩道ずしお敎備されおいる。

二条城の催事名「NAKED」

二条城では、桜の季節の「NAKED 桜た぀り」、倏の「NAKED 倏た぀り」、秋の芳月䌚「NAKED meets 二条城」ず、季節ごずの催事に「NAKED」を冠しおいる。これはむベントをプロデュヌスする䌚瀟「NAKED INC.」の瀟名に由来する。䞖界遺産を䌚堎ずする公的な催しの呜名ずしお、英語の naked の語矩もあり、その圓吊がしばしば議論される。


皐月 ― 葵祭の頃

葵祭賀茂祭

葵祭は、䞋鎚賀茂埡祖神瀟・䞊賀茂賀茂別雷神瀟の䞡瀟の䟋祭で、祇園祭・時代祭ず䞊ぶ京郜䞉倧祭の䞀぀。五月十五日に営たれる。賀茂の神々の祟りを鎮めるため、勅䜿倩皇の䜿いが䞡瀟ぞ捧げものを届ける行列で、その「路頭の儀」は埡所京郜埡苑を出発する。神事関係者や行列参加者が二葉葵フタバアオむず桂の小枝を身に぀ける習わしから「葵祭」ず呌ばれる。

名の由来には別説もある。もずは「賀茂祭」ず呌ばれたこの祭が応仁の乱で䞭断し、元犄䞃幎1694に埳川幕府の肝いりで埩掻した。埳川の家王が䞉぀葉葵であるこずず、行列に葵を甚いる習わしが笊合するため、「葵祭」の呌称は江戞期に埳川家ぞ忖床した結果ではないか、ず歎史孊者・朧谷寿おがろや・ひさしが説く。二葉葵は祭の象城で、神具の錺金具かざりかなぐにも文様ずしおあしらわれる。埳川の䞉぀葉葵王は、この二葉葵を意匠化したものである。

玫匏郚『源氏物語』の「車争い」は、この祭にちなむ王朝文孊の名堎面ずしお知られる。光源氏を芋ようず正劻・葵の䞊ず愛人・六条埡息所が芋物垭の堎所取りで争うもので、厳密には葵祭本祭ではなく、斎院が埡犊ごけいに向かう行列の際の挿話ずされる。

本祭に先立ち、祭の無事を祈っお祓い枅める「前儀」が行われる。五月䞉日の流鏑銬やぶさめ神事は、䞋鎚神瀟・糺ただすの森の銬堎で営たれ、その存圚は「続日本玀」にも蚘される叀い神事。賀茂氏が平安京以前からこの地に䜏み、豊䜜ず疫病退散を祈願したのが賀茂祭の起こりずされる。疟走する銬䞊で手綱を持たず、玄四十五センチ四方の杉板の的を射る難技で、䞀回の疟走に的が䞉か所。䞀぀圓おれば「的䞭」、䞉぀ずも圓おれば「皆䞭かいちゅう」ずいい、射抜かれた的板は瞁起物「圓的あたりたず」ずされる。五月五日の歩射神事ぶしゃしんじは、勅䜿の通る楌門を邪気から枅める儀匏で、平安期の宮䞭儀瀌「射瀌儀じゃらいのぎ」に由来する。矢を楌門越しに高く射る「屋越匏やごししき」、倚数の射手が倧的を連射する「癟々手匏ももおしき」が行われる。同じ五月五日には、䞊賀茂神瀟で賀茂競銬䌚神事かもくらべうたしんじ平安埌期から続く競銬〔けいば〕も営たれる。なお「筈はず」の語は、矢の匊を受ける筈ず匓の匊ずが合うのは圓然であるこずから、圓たり前のこずを「その筈」ずいうに至ったずされる。

近幎は運営の苊心も䌝えられる。什和五幎2023には、四幎ぶりの斎行ずなるはずが、圓日早朝の雷雚予報により䞀日順延ずなった。有料芳芧垭や譊備、斎王代・近衛の遣いずいった䞻圹、補助の孊生、牛車の牛や行列の銬ずその䞖話たで、倚くの人手ず段取りを芁する祭であり、順延の刀断は毎幎の悩みどころずなる。

今宮神瀟の還幞祭

今宮いたみや神瀟北区玫野は西陣地区の氏神で、「やすらい祭」で名高いが、五月には別の祭瀌「還幞祭かんこうさい」が営たれる。五月五日の神幞祭でお旅所に出おいたご神䜓が本瀟ぞ戻る日で、剣鉟・山鉟・獅子舞・子䟛神茿・牛車の祭列ののち神茿が巡行する。神茿は䞉基あり、最倧のものは重さ玄二トンで、京郜の神茿で最も倧きく重いずされる。重量のため通垞は台車に茉せお匕くが、千本䞭立売の蟻では台車を倖しおか぀ぎ䞊げ、振っお䞀呚する。束明は近幎八十幎ぶりに埩掻し、皚児の舞も新たに加えられるなど、長い歎史のなかでも改倉を重ねお継承されおいる。

埡霊祭 ― 朔平門巡行

埡霊ごりょう神瀟䞊埡霊神瀟・䞊京区は、平安遷郜の前に非業の死を遂げた早良さわら芪王ら八所埡霊を祀る、埡霊信仰発祥の地の䞀぀。遷郜の幎794に桓歊倩皇が創建した。圓時、疫病は怚霊の祟りず考えられおいた。明治維新たで内裏皇居の産土神うぶすながみずされ、江戞時代の埡霊祭では行列が内裏の朔平さくぞい門を蚪れ、倩皇・皇族に神茿を芋せた。明治の東京遷郜で途絶えたが、平成二十䞀幎2009に内裏京郜埡苑ぞの巡行が埩掻した。五月十八日、剣鉟二本・牛車に続いお神茿䞉基が埡門をくぐる。うち北之埡座・今出川口の神茿は、元和五幎1619埌氎尟倩皇の即䜍で䞍芁ずなった先代・埌陜成倩皇の鳳茊ほうれんを䞋賜され、神茿に仕立おたもの。「ホむト ホむト」の掛け声で朔平門前ぞ進み、倩皇䞍圚の今も祭文を奉じ、神茿を振っお埡霊に疫病を祓っおもらう。

軒菖蒲

端午五月五日の前倜に、菖蒲ず蓬よもぎを軒に食る平安以来の颚習。「軒菖蒲のきしょうぶ」ずいい、翌五月五日に取り入れお菖蒲湯に甚いる。䞋京区・柳銬堎通五条䞊ルの民家の屋根などに芋られる。


氎無月・文月 ― 倏越から祇園祭ぞ

倏越の倧祓ず氎無月

六月䞉十日は䞀幎の折り返しにあたり、半幎の穢れを祓い残り半幎の無事を祈る「倏越なごしの倧祓おおはらえ」が各瀟で営たれる。瀟頭に蚭けた「茅ちの茪」をくぐっお無病息灜を祈る。くぐる䜜法には、巊・右・巊ず回っお正面で䞀瀌する、八の字に䞉床回るなど諞説がある。癜峯しらみね神宮は、保元の乱で讃岐に流された厇埳倩皇ず、藀原仲麻呂の乱で淡路に流された淳仁倩皇ずいう、配流先で没した倩皇の霊を祀るため明治に創建された瀟。その地は江戞時代たで蹎鞠けたりの宗家・公家飛鳥井あすかい家の屋敷であり掛䞭掛倖図屏颚にも芋える、その瞁で蹎鞠球技党般の守護神ずしお厇敬を集め、各皮スポヌツの必勝祈願の絵銬が䞊ぶ。倏越の日には京菓子「氎無月みなづき」を食べる習わしがある。癜い倖郎ういろうの䞊に倧粒の小豆をのせたもので、六月になるず和菓子屋・逅屋が売り出す。店ごずに色・味・倧きさが異なり、黒砂糖を甚いた黒い氎無月や、抹茶の緑の氎無月もある。

祇園祭

祇園祭は八坂神瀟の祭瀌で、疫病退散を祈願しお九䞖玀平安時代に始たり、千癟五十幎の䌝統をも぀。京郜䞉倧祭の䞀぀。䞃月の䞀か月を通じお営たれ、本来は神茿などの神事が䞭心だが、のちに各町内が山鉟を建おお巡行するようになり、今日では山鉟巡行が広く知られる。なお祭の英語衚蚘には「GION MATSURI」が甚いられるこずがあり、山鉟や神茿の出る日本の祭を、英語の festival ずは区別する考えに立぀。

山鉟はもずもず六十六基あったが䞉十二基たで枛り、平成二十六幎2014に䞀基加わっお䞉十䞉基ずなった。その䞀基が「倧船鉟おおふねほこ」で、幕末の元治元幎1864の倧火で焌倱し、焌け残った遺品を保存し続けお玄癟五十幎ぶりに埩掻した。この倧火は、蛀埡門の倉で敗走する長州勢の攟火によるずも蚀われ異説もある、応仁の乱・倩明の倧火ず䞊ぶ京郜の火灜史を物語る。倧船鉟のご神䜓は神功皇后じんぐうこうごうで、䞉韓埁䌐から凱旋した際の船を象る。

祇園祭で授䞎される粜ちたきは食べ物ではなく、「茅の茪」を起源ずする無病息灜の護笊で、玄関入口の䞊に掲げお食るのが習わし。

山鉟巡行で垞に先頭をゆくのが長刀鉟なぎなたがこである。その鉟頭ほこがしらの長刀の刃は、八坂神瀟や埡所に向けないものず䌝えられる。四条の鉟町では埡所のある北を避けお南を向くが、巡行で河原町を北䞊するず東、埡池を西進するず北埡所の方角を向く局面が生じる。本番の二日前に行われる「曳き初めひきぞめ」は、新たに組み立おた山鉟の詊し曳きで、巡行本番では曳けない䞀般垂民、ずくに女性も参加できる数少ない機䌚ずなる。長刀鉟の曳き初めでは、四条通を東ぞ富小路通たで玄四癟メヌトル曳いお戻る。

埌祭あずた぀りは平成二十六幎2014に前祭から分離しお埩興した。その宵々山よいよいやたでは、駒圢提灯こたがたちょうちんに灯が入り、倕立埌の路䞊の氎溜たりに提灯を映しお撮る人々の姿が芋られる。撮圱の名所を蚘した手曞きの案内が出るこずもあり、䌝統行事の珟堎に近幎の撮圱文化が入り蟌んでいる。

愛宕神瀟の千日詣

愛宕山あたごやたの山頂に鎮座する愛宕神瀟は、火䌏せ防火の神ずしお知られ、党囜の愛宕瀟の総本瀟。その「火迺芁慎ひのようじん」の札は、京郜の家庭の台所に貌られる。毎幎䞃月䞉十䞀日の倜から八月䞀日の早朝にかけお詣でるず、千日ぶんの功埳を授かるずされ、これを「千日詣せんにちたいり」ずいう。愛宕山は京郜垂で最も高い山で、枅滝の登山口暙高玄八十メヌトルに察し神瀟は玄九癟二十メヌトル、暙高差玄八癟四十メヌトルの登拝路ずなる。明智光秀が本胜寺の倉の盎前、この山䞊の連歌䌚で詠んだずされる発句「時は今 倩あめが䞋知る 五月さ぀き哉」は、信長を蚎぀決意を秘めた句ずしお名高い。

八坂神瀟・疫神瀟の元祖茅の茪

倏越の祓は通垞六月䞉十日だが、八坂神瀟の境内末瀟・疫神瀟では䞃月䞉十䞀日に倏越祭が営たれる。疫神瀟は、茅の茪くぐりの起源ずなった蘇民将来そみんしょうらいを祀る瀟であり、茅の茪発祥の地ずされる。参拝は順番制で、賜銭を䟛えお無病息灜を祈ったのち、鳥居にくくり぀けた茅を自由に抜き取り、手で小さく折っお茪を䜜り、持ち垰る。茅の茪を腰に぀ければ病魔を逃れられるずいう、蘇民将来の䌝えにちなむ。持ち垰った茪は玄関に掛ける。


葉月 ― 盆ず送り火

京郜の䞃倕 ― 堀川

「京の䞃倕」は、八月初旬に堀川・鎚川を䌚堎ずしお営たれる、近幎の倏の催し。堀川ほりかわは安土桃山期には資材を運ぶ運茞の倧動脈だったが、䞋氎網の敎備で枯れ、のちに遊歩道ずしお埩掻した。堀川䌚堎の䞃倕では、LEDで食った「倩の川」や、䞊流から流す青い光の玉、笹に短冊を吊るす食りが䞊ぶ。

五山の送り火

正匏には「京郜五山ござんの送り火」。お盆に戻った粟霊を火によっお再びあの䞖ぞ送る行事で、八月十六日に営たれる。「倧」の字倧文字のほか「舟圢」「鳥居」など五぀の山で火が焚かれる。宗教行事であるため、雚倩でも䞭止・順延はしないのが原則ずされる。倧雚譊報の出た幎でも、倜八時、雚の䞊がった空に「倧」の字が浮かんだ䟋がある。什和二幎2020には、新型コロナ䞋で芋物客の密集を避けるため点火を倧幅に枛らしお実斜されたが、かえっお人出を呌んだ。京郜には、「倧文字の送り火を、盆に匵った氎に映しお芋お、その氎を飲むず長生きする」ずいう蚀い䌝えも残る珟圚は街明かりのため難しい。


長月・神無月 ― 秋

重陜の節句ず着せ綿

重陜ちょうようは九月九日の「菊の節句」で、五節句人日・䞊巳・端午・䞃倕・重陜の䞀぀。その颚習「着せ綿きせわた」は、重陜の前倜に菊ぞ真綿を被せお倜露ず銙りを移し、その綿で顔や身䜓を拭うず䞍老長寿を保぀ずいうもので、平安の宮䞭行事に遡る。京郜では寺瀟や旧家、人圢店の食りなどに今も受け継がれる。䞭囜の故事九月九日に茱萞嚢〔しゅゆのう〕を持っお山に登り菊酒を飲むず灜いが消えたにちなむ呉茱萞ごしゅゆの実や菊酒も、節句に䟛される。

時代祭

時代祭は、十月二十二日に営たれる京郜䞉倧祭の䞀぀。本来は平安神宮の祭神・桓歊倩皇および孝明倩皇にお出たしいただき、今の京郜を芋おいただく祭であり、各時代の装束をたずった時代行列はその䞀郚にあたる。行列は垂民団䜓「平安講瀟」が支え、孊区ごずに各時代の列を亀替で担圓する。䞊京区は第䞀瀟ずしお「延暊文官参朝列」を受け持぀。これは延暊十五幎796元日、平安京倧極殿の朝賀儀に参䞊する公卿・文官を再珟したもの。「延暊文官」は、䞖間および京郜垂の公匏では「ぶんかん」ず読むが、平安講瀟では叀めかしさを出すため呉音を甚いお「もんがん」ず読む文郚省・文章博士・文殊菩薩などに同じ呉音「モン」が芋える。「官」を「ガン」ずするのは連濁による。

壬生狂蚀

壬生狂蚀壬生倧念仏狂蚀は、壬生寺みぶでらで挔じられる無蚀劇で、囜の重芁無圢民俗文化財。鎌倉時代の終わりごろ、円芚えんがく䞊人が疫病退散のために始めた念仏を起源ずし、仏教を分かりやすく説くため倧げさな身ぶり手ぶりの無蚀劇ずした。以埌䞃癟幎以䞊絶えず続き、挔者は地元の䜏民。笛・倪錓・鉊かねの囃子のみで進行する。春四月・秋十月・節分に䞊挔される。人気挔目「炮烙ほうらく割り」は毎日最初に挔じられ、垂堎の出店の順番をごたかした炮烙売りに倪錓売りが腹を立お、商品の炮烙を棚から萜ずしお割る教蚓譚。この炮烙は、参詣者が願い事ず氏名を曞いお奉玍したもので、割られるこずで願いがかなうずされる。続く「玅葉狩」は謡曲を翻案し、平維茂これもちが鬌女を退治する筋。なお壬生寺は新撰組ゆかりの地でもあり、隊士は境内で蚓緎したず䌝わる。


霜月・垫走 ― 幎の暮れ

千本釈迊堂の倧根焚き

千本釈迊堂倧報恩寺・䞊京区で十二月に営たれる倧根焚き。あ぀あ぀の倧根を食べるず䞀幎を無病息灜で過ごせるずいう行事で、倧根は厚さ䞉センチほどでも䞭たでだしがしみる。本堂は、応仁の乱や床重なる倧火を免れた、掛䞭京郜垂䞭最叀の朚造建築で、鎌倉初期・安貞元幎1227の建立、囜宝。なお京郜には、京郜の歎史・文化を問う「京郜・芳光文化怜定京郜怜定」䞀〜䞉玚、四択癟問九十分があり、倧根焚きのような幎䞭行事も出題範囲に含たれる。

山科矩士た぀り

山科矩士た぀りは、蚎ち入りの日である十二月十四日に山科で営たれる祭。忠臣蔵は江戞や播州赀穂を䞻な舞台ずするが、倧石内蔵助は京郜郊倖の山科珟・京郜垂山科区に隠棲し、京の遊里で攟蕩を装ったなど、ゆかりが倚い。四十䞃士に扮する矩士列に、浅野内匠頭の正宀・瑀泉院ら婊人列、園児の矩士列、舞螊列も加わり、山科を玄六キロ行進する。内蔵助の䜏たいの旧地は今は岩屋寺いわやじの境内で、「右 倧石良雄 山科 閑居址」の碑が立ち、行列は岩屋寺を経お隣接する倧石神瀟ぞ進む。岩屋寺・倧石神瀟は浪曲ず瞁が深く、浪曲垫・桃䞭軒雲右衛門が明治四十幎に岩屋寺ぞ石灯籠を寄進した䞉か月埌に「忠臣蔵矩士呜名䌝」が倧圓たりしお“浪曲䞭興の祖”ず呌ばれ、倧石神瀟昭和初期創建の創建には二代目吉田奈良䞞が尜力したず䌝わる。

郜倧路の高校駅䌝

党囜高等孊校駅䌝競走倧䌚郜倧路は、毎幎十二月に京郜垂内を舞台に行われる。垂䞭の烏䞞通烏䞞䞀条付近などが沿道ずなり、幎末の京郜の颚物の䞀぀ずなっおいる。

神泉苑の恵方瀟

神泉苑しんせんえん・䞭京区、二条城南は平安京の犁苑の遺構で、空海の請雚や、祇園祭の発祥埡霊䌚にゆかりの叀瀟寺。その境内に、毎幎その幎の恵方えほうぞ向きを倉える神瀟「恵方瀟歳埳神」がある。恵方に埓っお向きを倉える瀟は日本で唯䞀ずされる。瀟の䞋に車茪があるのではなく、石の䞞い台の䞊に小ぶりの瀟が鎮座し、倧晊日の晩、数人で持ち䞊げお翌幎の恵方を背にするよう向きを改める。たずえば平成二十五幎2013の恵方・䞙南埮東を背にしおいた瀟は、倧晊日に翌幎の恵方・寅卯東北東を背にするよう改められた。

こうしお倧晊日の恵方瀟が翌幎の恵方ぞ向きを倉えるず、京の䞀幎はふたたび睊月の初詣ぞずめぐる。


巻末 ― 行事名ず珟地調査の日付䞀芧

各行事を実地に芋お曞きずめた日付を、暊の順にたずめたhttp://iroiro41.blog67.fc2.com の京郜愛奜家による蚘録による。