道義論 [2] 火曜日 【短編小説】
(本作品本章は2,118文字です)
火曜日、ミタラ氏は意を決し、バロック団のドンに会いにやってきた。彼はギャングである。それもとびきりの悪名を誇るギャングであり、大悪人であるに違いなかった。しかし、彼は人情に厚いという評判も耳にする。思い切って懐に飛び込めば、案外、助けてくれるかもしれないと、ミタラ氏はそう期待したのであった。
アジトの門でミタラ氏が自らの名を名乗ると、丁重に迎え入れられ、中へと案内された。ただし、しっかりと目隠しをされている。しばらく廊下を歩いた後、重厚なドアが開く鈍い音がした。それで、ミタラ氏はどこかの部屋に着いたのだろうと理解する。目隠しをはずされると、そこには黒いスーツを着たかっぷくの良い男が座っていた。
「ようこそバロック団へ。私がドンだ」
「私は……」と言いかけたミタラ氏を、手を挙げてさえぎると、ドンは続けた。
「昨日、警察から連絡があってね、あんたに殺害予告を送ったかなんて、ずいぶんと野暮なことを聞いてきたのさ。もちろん、何のことかさっぱり分からないと答えておいたよ。それでおしまいさ。やつらはもう決して動かない。警察ってのはな、そんなもんなのさ」
「ギャングのあなたに言っても仕方がないことかもしれませんが、警察というのは、そんなに怠け者なのですか?」
「それはそうさ。やつらは、仕事が増えたって給料が増えるわけじゃない。できることなら、事件も事故も“少ない”に越したことはないのさ。さらに言えばだな……」
ドンはそこで葉巻を一本取り出して、火をつけると煙をくゆらせた。
「やつらはあんたが殺されることを、むしろ望んでいるんだよ。事件を未然に防いだところでちっとも評価などされないが、殺人事件の犯人を逮捕したとなれば、そりゃあ出世が近づくってもんだろう?だからな、やつらは事件が起きるのを待っているのさ」
ミタラ氏は真面目で責任感が強く、誰にも評価されない仕事であろうと、それが必要とあればすすんで引き受けるような人間だった。そのために、小ずるい連中に都合よく利用されることも少なくない。だからといって、そうした仕事を他の誰かに押し付けようとか、自分も他人を踏み台にして得をしようとは思わなかった。ただ、小ずるい連中に対して腹は立つ。だから、彼はドンの話を聞いて、警察への強い憤りを感じずにはいられなかった。ドンは続ける。
「我々も犯人逮捕には協力を惜しまないつもりだしね」
「犯人と言ったって、あなたは自首なんかしないでしょう?」
「もちろんさ。世の中、カネに困っているやつなんて、いくらでもいるからな。その中の誰かが“犯人”になってくれるというわけさ」
ドンは苦笑しながら答えた。
「しかもだな、まだ他にもある。警察ってのも、ただ卑怯で怠慢なだけじゃないんだよ。やつらには……」
ドンが再び葉巻をくゆらせる。こういう間の取り方をするのが、彼のクセなのだろう。
「やつらにはやつらなりの道義があるのさ」
「ドウギ?」
ミタラ氏の頭には、“道義”の漢字が思い浮かばなかった。
「やつらはな、“弱者”の味方をするんだよ」
「弱者?私よりも、キリボ氏の方が弱者だとでも言うんですか?命を狙われているのは私の方で、命を狙わせているのが彼の方だというのにですか?」
「やつには学もなければ財もない。れっきとした“弱者”さ」
「キリボ氏に学歴がないのは、若いときに遊びほうけて勉強しなかったからですよ。彼にお金がないのは、毎日ギャンブルや酒で散財しているからですよ。そんな彼の一体どこが弱者なんですか?」
「この国ではな、そういう者を“弱者”と呼ぶんだよ。一方で、あんたみたいに真面目で誠実で努力をする人間は、救う必要のない“強者”というわけさ。滑稽な話に聞こえるかもしれんがな。それに……」
ドンは窓の外を眺めながら、ゆっくりと煙を口に含んで、やがてそれを吐き出した。そして、その煙が空気に溶け込むのを見届ける。青空に、日に照らされた雲がひとつ浮かんでいた。
「やつがあんたを殺そうと思った理由を知ってるか?ただの逆恨みだよ。あんたは立派な大学を出て、それなりの収入もある。中学では机を並べてたってのに、ずいぶん不公平じゃないかと、そんな風にやつは言ったのさ。こんな自分勝手な考えをする人間が、弱者でなくて何だというんだ」
「何と!私はそんなことで殺されなければならないのですか?あまりにも理不尽です。不条理すぎます。どうかお願いです。私の全財産を差し出しますから、どうか命だけはお助け下さい」
ミタラ氏は必死に頼み込む。ドンは葉巻をくゆらせながら、無表情でその様子をじっと見つめた。それから、低い声で彼に言う。
「残念ながら、そういうわけにはいかないな。こちらも慈善事業でやってるわけじゃないんだよ。仕事なんだ。ビジネスなんだよ。やつが我々に約束した報酬は、やつの全財産とあんたの全財産だ。葉巻一本分、やつの方が金払いが良い。それにもう、契約してしまったからな。我々の商売では、信用ってもんが重要なんだ。いまさら取り消すことは、できない」
がっくりと肩を落とすミタラ氏。再び目隠しをされ、部屋を出される。ドンがその背中に向かって声をかけた。
「まだ5日ある。残りの人生を楽しめ!」
(つづきはこちらです)
ここまでお読みいただきありがとうございました。次章も引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。
