美山 盛郷の上げ松と松上げの分布
初版:2026年8月27日
昨年(2025年8月23日)の殿に引き続き、今年(2026年8月22日)は盛郷の上げ松を見学し、当日の様子を Instagram Touring Album に記録した。
盛郷の「上げ松」のように、御神木の柱(とろぎ)を一本(或いは二本)立て、その先端に付けた籠(もじ)に点火する松明行事は、総じて「柱松」と呼ばれる祭りの範疇とされ、様式の差異はあるものの、京都府、福井県を含めた全国19府県で行われているらしい。
同行事の由来については各地各様であり、美山町の場合、愛宕山への献火・火伏、虫送り、雨乞い、盆行事等とされているが、他所では、愛宕社や愛宕講がなくても行われるなど、由来は一様でない(よく分からない?)というのが実際のようである。
ここでは、美山町盛郷の「上げ松」見学を機に、京北・美山・名田庄地域における「松上げ」と「上げ松」の分布について、若干の考察を行っておくことにする。
本年4月に開催された『美山考』座談会の席上で、「上げ松」と「松上げ」の由来が話題にあがった。
花背から芦生にかけての「松上げ」文化圏とは別に、鶴ケ岡の「上げ松」は若狭方面から伝わったもの、とのこと。
同行事の分布状況を把握するために、「京都の夏祭りと民間信仰(編者八木透、2002年)」や「美山町誌」等の資料を参考にして、松上げ・上げ松が行われている(行われていた)場所を地理院地図にマークすると下図のようになった。
緑色は「松上げ」、赤色は「上げ松」、〇は現在も行われている所、✕はかつて行われていた所である。ラベルが重なり地名が見えないところもあるが、おおよその分布はつかめるかと^^

鶴ケ岡からかなり離れた京北小塩も「上げ松」と称しているのが興味深い。なぜだろう.. 鶴ケ岡を除く他の地区は全て「松上げ」である。
呼称の違いを説明する資料を探してみたが見当たらず、ある資料には、火をつけて投げ上げる松明の写真に「上げ松」と説明を付けているものがあった。投げ上げる松明(上げ松)、着火した「もじ」が大きな松明として燃え上がる(松上げ)..視点をどこに置くかによって呼称が変わったのかもしれない..と思ったりも^^
「美山町誌 上巻」によると、鶴ケ岡では、昭和初期まで、神谷、洞、庄田、脇、山森でも行われ、上吉田と林は大正五年まで単独で行っていたとする。
「今宮風土記 第3号 2018年」によれば、平成二十二年まで、今宮で「上松」が行われていたとする。盛郷や殿のように高い「とろぎ」を立てる様式ではなく、人の背丈ほどの松明を祭場に三本立て奉納していたようである。
分布図を眺めていると、花背→広河原→芦生→名田庄の山伝いに、同行事の伝播ルートがあるように見える。愛宕修験者により伝えられたとする由緒につながるのかもしれない。
名田庄内を東から西へ進み、井上・佐野まで同行事が伝わったあと、堀越峠を越えて鶴ケ岡に伝わり、「上げ松」と称したのかもしれない(空想^^)。
或いは、ひょっとしたら.. 時系列は全く分からないが、呼称の一致という視点からみると、東の「松上げ」花背ルートとは別に、西の京北小塩「上げ松」ルートがあり、それが鶴ケ岡方面に至ったのかも..
この場合、美山町原に神楽坂の愛宕明神に火伏の祈願をする伝承があり、また今宮では「上松」行事をしていたことなどから、京北小塩から鶴ケ岡に至る間の各地でも「上げ松」に相当する松明行事が行われていて、その終着点が鶴ケ岡だったのかもしれない..(さらに全くの空想^^)
近いうちに京北小塩の「上げ松」祭場を訪問して、なにか由来が分かるものがないか現地確認するとともに、京北小塩から鶴ケ岡(今宮)に至るルート上の地域に「上(げ)松」に類似する行事があるのか(ないのか)少し調べてみようと思う。
以下に、盛郷、殿、広河原、花背、及び、名田庄各地の祭場について概観しておく。
写真1は、盛郷、写真2は、殿の上げ松祭場である。


盛郷の祭場に掲示されている説明書きは判読できない部分(■で表記)もあるが、参考までに下記する。
宝永二年(1703)七月二十四日(現在は■)に始まり愛宕神社神明火祭という火災予防を願っての行事で愛宕神社信仰のあらわれである。
昔は鶴ケ岡地区の各集落で行われていたが、現在は盛郷地区と殿・川合の集落で実施されるのみ。
盛郷地区は林と上吉田・田土の三集落が大正五年に併合し現在に至っている。
当日は盛郷総出で上げ松場の清掃もして御神木起こしの準備をする 昔は杉の木の大木を山から切り出し(山持より寄贈)周囲五尺余長さ十二・三間のものを上げ松場まで運び(三年で新木に取代え)青年の手により準備を整え盛郷全戸より出役し又木等で二時間余りを要してたてたものである(昔の上げ松場は西田岩夫家と■家の中間の河川敷が河原で上げ松場であった)。
昨今は機械力によりまた御神木は箱■に改造されてたててから適当な高さに心木を滑車で上げる仕組で短時間でたて終わるようになった。
午後八時頃から公民館より笛太鼓で囃しながら一同錬込みを行い子供用大人用の二基の炬火投げ入れの競演が行なはれる。
(忌中者女人は禁場)もじに点火し御幣の落下があり火元当番がひろいあげもじの火が九分方燃えつきるのを待ってこの行事は終る。
昭和六十三年に京都府登録無形民俗文化財として指定された。
写真3は、広河原の上げ松祭場であり「とろぎ」が常設されている。
写真4は、佐々里峠の地蔵堂である。


広河原では行事の一週間ほど前に佐々里峠の地蔵堂から、地蔵を地区の観音堂に移し、松上げ終了後に戻すらしい。
佐々里峠には毎年春秋頃に訪れているが、峠の地蔵堂がそのような役割を担っているとは知らなかった..
広河原の松上げ祭場の現地説明書きは次の通り。
広河原松上げ
広河原松上げはおよそ三百年以上続く、愛宕大明神への献燈、五穀豊穣·無病息災を祈念する神事である。
明治時代、毎年八月二十四日に行われることとなる。
松場と呼ばれる結界を作り、中央には大笠をとりつけた高さニ十mの燈籠木が立ち、周囲に約千二百体の地松を立てる。
地松に火がつけられ辺り一面が火の海と化した頃、鐘と太鼓が響き、古老の合図で男衆は一斉に大空へ火をつけた放り上げ松を投げ上げる。
大笠に放たれた火は大きくなり大松明となる。
大笠の炎が燃え盛る頃、燈籠木を括っていた藤蔓が切られ 燈籠木は大きな弧を描きながら倒れる。その後、大笠の火を二本の木で空高くかき上げる広河原松上げ独自の「突っ込み」を行う。
終了後は伊勢節で観音堂まで練り歩きヤッサ踊りの女性の輪に入り、盛大なヤッサコサイ踊りとなる。昔は明け方まで踊りの輪が続いたといい、松上げを通して村人の和合を持って地域発展につながった。
京都市
写真5は、花背の松上げ祭場である。「とろぎ」が常設されている。

花背の松上げ祭場の現地説明書きは次の通り。
花背の松上げ
「松上け」は洛北から若狭へかけての山間の村々に伝承されてきた愛宕信仰による献火の行事である。
ここ花背の「松上げ」は諸般の事情から現在八月十五日に行われるようになったが、以前は八月ニ十三日の深更に行い、終了後打ち揃って愛宕社に詣で愛容講を執り行う慣わしであった。
上桂川畔にある灯籠木場と呼ばれる広場に枠を組み、その中に灯籠木(約二〇mの檜の大木に大きな笠籠を取り付け、中に乾いた杉の葉などをいれたもの)を直立させ地には千本の地松(竹の杭に松明を付けたもの)を立て点火、上松(檜を束ね藁縄を付けた小松明)に火をつけて笠に向けて投げ上げ、巨大な松明となって中空に燃える灯籠木を最高潮の時、地上に倒すという素朴にして雄大な山里の火祭りである。
京都市
名田庄内では、多くの地区で松上げが行われている(行われていた)。現在では実施状況が変わっているかもしれないが参考までに祭場の地区と祭日を下記する。今後現地を訪問し、祭場の様子や由来等を順次確認し、美山町域における「上げ松」との相似性(或いは相違性)を探っていこうと思う。
井上・佐野:8/15 共同で松上げを行う。「大峰さんの松上げ」
片内・小倉:8/24 共同で松上げを行う。
下:8/24 松上げを行う。
浜瀬:8/24「大人の松上げ」、9/1「子供の松上げ」を行う。京都愛宕への代参はなく集落で愛宕を祀ることもない。
尾之内:8/24「大人の松上げ」、9/1「子供の松上げ」を行う。数年前までは山の頂上で行っていたが火事があり、今は集落内の公園で行う。京都愛宕へ代参し、お札とシキミ(樒)をもらい地区で祀る愛宕へ参る。
堂本:松上げを行う。
虫鹿野:松上げを行う。6/24京都愛宕に代参しマッチをもらってきて地区の山頂に祀った愛宕に当番が火を入れ、提灯に移して松上げの当日まで切らさないようにして待つ。かつては松上げ後に、地区の堂で六斎念仏が行われていた。
虫谷:今は行われていない。山にある松の古木に松明を放り投げる古式の松上げが伝承されている。
永谷:今は行われていない。かつては8/16に松上げを行い、8/24には山頂近くの松の古木の前でアサガラ(麻殻)を束にして火をつけ、燃え尽きた束を放り投げる行事が行われていた。
木谷:今は行われていない。
出合:今は行われていない。久坂に移転して松上げを行っている。
槇谷:1960年代まで行われていた。
染ヶ谷:1960年代まで行われていた。
滝谷:8/23 南川の川原で松上げを行う。鉄柱。愛宕を祀っていない。川東の口田縄では山の中腹に愛宕社があり、8/23夜、提灯を持って登った。
西相生:8/23 松上げを行う。今は子供中心の行事。鉄柱。山の中腹に愛宕社があったが、今は個人宅で祀られている。明治期には京都愛宕へ代参も行われていた。
岩井谷:8/24 松上げと同じ形態で、タイマツという行事が行われている。かつては9/1にも行われた。京都愛宕へ代参する。
持田・小村:8/22(8/23)日曜 松上げと同じ形態でタイマツという行事が行われている。
竹本:8/22, 9/1日曜 松上げと同じ形態でタイマツという行事が行われている。京都愛宕に代参する。
大原・上和多田:8/23(もと8/24)、9/1 共同でタイマツアゲという松上げ形式の行事が川原で行われる。8/23は子供中心、9/1は大人中心。
小車田:8/15 オオガセと松上げが別々に伝承され行われていたが、今は8/15に松上げのみ行う。
岡安:7/24, 8/14~15 オオガセではなく、松上げ(7/24, 8/24,今は7月のみ)とカセアゲ(8/14~15)が別々に伝承され別々の行事を行う(行われていた?)。
写真6は、おおい町福谷で使用されているオオガセ(大火勢)の模型で、おおい町立郷土史料館に展示されているものである。上記のように、小車田と岡安では、オオガセと松上げが別の行事として別の日に行われており、かつ形状も全く異なることから、両者のルーツには直接的な関係はないものと思われる。
とすると.. 若狭湾地域起点は一旦除外して、京北地域を起点とした「松上げ・上げ松」の伝播ルートを検証することから始めてもよさそうである。

おおい町立郷土史料館
以上
