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ザ・クラッシュ 東京 大阪 京都3日間完全密着レポート(GORO 1982年2月25日号 小学館)

【読者のみなさまへ】

この記事は過去に発表されたものの再掲載です。当時執筆した内容をできる限り残しておりますが、一部は手を加えました。現在では不適切とされる表現や用語も、記事のオリジナル性と発表当時の時代背景を踏まえて掲載いたしました。人名などの固有名詞も当時のままにしてあります。時を経て、のちに明瞭になったこと、本人たちがインタビューで語って正確になったこと等々も、上書きはしておりません。どうかご理解ください。

アルバム・タイトルは『アルバム』と二重カギ括弧、シングル曲は「シングル」と統一してあります。


今回の記事には未公開の写真数点掲載してあります。白状すると当時も今も貧乏ゆえ、写真をプリントするお金がなく、フィルムのベタ焼きの写真なので、高いクォリティは期待しないでいただきたい。

この写真もこれまで未公開の京都でのショット

貧乏な私のためにどうぞドネーションをお願いします。


ナイフをポケットに十字架を背に旅する最後のロックンローラーたちの理論武装されざる肉声
ファンにはサインを、恋人には熱情を、清水寺に
は涙を、そしてオレたちのロックには"怒り"を!!!

GO ROCKING PAPER
熱血レポーター 水上はる子

水上はるこ
ジョーと筆者 撮影者不明  お心当たりの撮影者はお知らせください

時々バケツに顔をつっこみながら演奏するジョーのシャツは武運長久を祈る日の丸のデザインだ!

まるで銃をたずさえた兵士のように、ギターのネックを鋭角に天に向け、クラッシュのシルエットがステージにあらわれた。1月24日の東京渋谷公会堂。あやうく〈伝説〉になる直前に、クラッシュの日本公演が実現した。

ロンドンのブリクストン地区(Brixton)に住む若者たちが、廃屋となった倉庫で演奏しはじめて6年目の冬。ジャム(The Jam)、ストラングラーズ(Stranglers)といった同期生が、すでに数度の日本公演を行なっているというのに、クラッシュはゆうゆうと時が満ちるのを待っていたのだ。

初来日にして9日間もの公演はすべて売り切れ。集まった観客の年齢層が予想以上に高かったことも、彼らの人気が一過性ではないことを物語っている。

初日ステージは、メンバーの体調が必ずしもベストとはいえず、時差ボケもあってか嘔吐をうったえるジョー・ストラマーはバケツを足元に置き、時々床にはいつくばってバケツに顔をつっこみながらの演奏。曲が終わるたびにジョーはミックをふり向き、「次の曲は何だった?」などと尋ねたりコンサートそのものの進行はやや散漫な印象だった。

ステージ奥のスクリーンに曲の主題を日本語で映写したり、北アイルランドやポーランドの闘士、戦争で亡くなった子供たちのスライドを連続映写しながらの2時間弱のコンサート。だが気がつくと、戦争と侵略を強く否定しているはずのジョーが着ているのは、何と太平洋戦争中に出征する日本軍兵士が身につけた〈武運長久を祈る寄せ書きの日の丸〉をデザインしたシャツなのである。

「ジョー、このシャツの本当の意味を知っているの?」私はタレ目でやさしい顔のジョーに尋ねた。

「ウン、ほんの少し。戦争に行く兵士にグッド・ラックという意味で贈ったものだと聞いているけど......」

「まあグッド・ラックには違いないけど。そのころは戦争に行くということは、天皇陛下のために命を捧げる、つまり生きては帰らないことを暗黙のうちに意味していたから、グッド・ラックーーー元気で帰れとはまた意味が違うのよ」

「エッ? じゃあ、日本人はオレがあれを着ているのをみてどう受けとるだろうか?」

「少なくともあなたのファンは旗の意味は知っていても、自分の痛みとしては知らないでしょう。右翼思想を持つ一部の人は、それをシャツとして着ているという行為を、屈辱と受けとるかもしれない。別の一部の人は、あなたのことを戦争賛美者だと考えるかもしれない」

数秒間、下を向いていたジョーは、顔をあげてきっぱりこういった。

「かまわないよ。オレは着るよ。あのシャツを見て、10代、20代の若い人たちがあれはいったい何なんだ、何を意味するんだ、そう考え始めるだけでもいいと思う。オレのシャツは〈挑発〉の役割を果たしたことになる」

私はクラッシュのことをずっと〈理論武装されていない、毛穴から正義を吹き出す人たち〉と書いてきたけれど、この数分間の会話にも、その皮膚感覚が、今もけなげに彼らのなかに生きているのを確認した。

コンサート後の楽屋で、ミックはエネルギッシュに語り続ける。恋人、政治、中国、反核運動

水上はるこ
著作権の関係で足元だけ。ミックとジョーのサイン。背のびしている私の足を「Toe Strummer」と

東京での初日のあと、楽屋でリード・ギタリストのミック・ジョーンズとインタビューをした。ステージの左側に立ち、長い手足をシャープに動かしながらギターを弾き、ときにはボーカルもとるミックは、アメリカ人の女性歌手、エレン・フォーリーとのラブ・ロマンスが進行中だ。上着の襟に小さなバッジをつけていて、のぞきこむと何のことはない、エレンの顔のバッジである。

「日本に来る直前まで、オレたちはニューヨークで次のアルバムのレコーディングをしていたんだ。オレはエレンのアパートに住んでいたよ。彼女もオレと一緒に日本に来たがったけど、彼女の仕事の都合がつかなくて残念だ」

歯ぐきをむき出して笑いながら、ミックはさりげなくノロける。

ベーシストのポール・シムノンは、ガールフレンド同伴の来日だが、これがまたフィリピン系の女性歌手、パール・ハーバー。ずいぶんと、職場恋愛の多いバンドである。

「日本の若い人たちは人なつっこくて、礼儀正しく、何よりも過激でないのがいい」と日本での初演の印象を語る。「だけどミック、ということはつまり、それだけ私たちが現状に満ち足りているということではないかしら ?」
「幸福度をはかる物差しがあるわけじゃないから、彼らがどれだけ幸福かなんてことはつかめない。日本のあと、香港やタイで公演するんだけど、ほかのアジアの国々に比べれば、相対的に幸福だといえるんじゃないかな。たとえば、タイでは貧しさのあまり売春する少女がいると聞いたけど・・・・・・。 しかも、その収入はほとんど第三者にしぼりあげられる」

彼は〈相対的〉にというところに力を入れた。私たちはアジアの国々の話をしながら、話題は中国に移った。

「中国でも毛沢東の名前が、葬られようとしているのは非常に残念だ。オレはコミュニストではないけれど、彼が現在の中国に果たした役割は高く評価するし、彼にエンパシー(感情移入)をするね。だからテレビで江青女史の裁判を見たときは悔しくて仕方なかった。彼女は法廷でとても立派だった。自分の夫を信じているからこそ、あんなにも堂々としていられたんだ。いま、オレが襟につけている毛沢東のバッジはニューヨークのチャイナタウンで買ったんだけど、売っていた中国人が〈ノー・モア・マオ〉と言った。それでバッジも稀少価値だからといって2倍の値段で売りつけるんだ」

愛する女性のバッジとマオ・バッジが、何の違和感もなく胸元に並ぶ。会話はそのままポーランド問題から、サッチャー政権へ、そして、〈赤い旅団〉にまでなだれこむ。

それはミックに限ったことではない。翌日、大阪のホテルのバーで、私の隣りのテーブルに女の子たちに囲まれて座ったジョーの会話に何となく耳を傾けていたら、彼は赤い口紅の女の子に、日本の教育制度と給料と物価はどうだとか、およそロマンチックとは縁遠い話題をふっかけているのである。

イギリス人の彼らと、日本に共通する政治の話題なら、例の貿易摩擦だ。

ミックはこう言う。
「イギリス政府やEC(注:のちにEUに発展する欧州連合の当時の呼称)が日本の輸出過剰をせめたり、失業者が多いのを日本のせいにするなんて、言語道断だよ。今だって、イギリスで日本の車を買おうと思っても、3カ月から半年ほど待たないと手に入らない。高くて性能も落ちるイギリス製やフランス製の車は、いつだって買える。いくら日本が輸出をひかえたところで、英国の工業を復興させる解決にはならない。以前は失業者が増えた責任を、有色人種の移民たちになすりつけていたんだぜ、彼女(サッチャ一首相)のやり方はひどい。だけど、彼女の支配ももう長くないという話だ。また、労働党に主権が戻るさ。フランスのようにもうちっとはましになるかもしれない」

ミックの話は切れ目なく続く。

「日本では広島に行って、原爆の痕跡を見たい。ヨーロッパではとくに反核運動が盛り上がっていて、CND(核軍縮キャンペーン Campaign for Nuclear Disarmament)という組織が発売した資金集めのためのレコードに、ぼくらの〈ロンドン・コーリング〉と〈ストップ・ザ・ウォー〉という曲が入っているよ。ロンドンでの反核集会には、ジョーとジャマイカ人のローディーが参加した」

コンサート後の楽屋の騒音のなかで、ミックはこぶしをふりあげる。ジャマイカ人のローディーが大きな音でテープ・レコーダーを鳴らす。マネージャーが、ジョーの指示で楽屋口で待っているファンを5人ずつ楽屋に連れてきて、ジョーはひとりひとりにサインをしている。

クラッシュ
クラッシュ日本公演告知フライヤー

京都清水寺。ロンドンを遠くはなれ、ジョーが〈静〉の極に自らをおいた一瞬を目撃した

水上はるこ
京都でのミックとジョー

翌日、大阪公演に向かうクラッシュ一行とともに、私も新幹線に乗りこんだ。頭に雪をいただいた富士山の美しさに、全員感動した10分後に、ニューズウィーク誌のポーランドの記事をローディーも含めたみんなでまわし読みするという極端さ。

大阪での公演は、全員、心身ともに本来の調子をとり戻し、スピード感あふれる密度の濃い演奏を披露した。ホテルに帰ってくると、待ちかまえていた女の子数人が、切符が売り切れていて買えなかったため、ダフ屋から1万円近い値段で切符を買ったことをジョーに訴えた。

するとジョーは、マネージャーを呼んで 「彼女たちを次のコンサートに無料で入れてやってくれ」と言った。女のたちが「でもー」ともじもじしていると、マネージャーがきっぱりとした声で言う。

「ジョーがイエスといったらイエスだし、ノーといったらノーなんだ。それがここのルールなんだ」

水上はるこ
清水寺へ向かうメンバー

楽屋裏でも駅でもホテルでも、集まったファンには極力時間をさいてサインをするように心がけているようだ。時計をみつめてイライラしているプロモーターの心を知ってか知らずか、実に丁寧にファンに応対する。プロモーターの人が話してくれたのだが、東京駅でファンが小さなプレゼントをジョーに渡したとき、後ろを向いて涙ぐんでいたそうである。

私は別の場所でジョーの涙を目撃した。大阪公演の翌日、午後の3時間ほどを利用してメンバーとローディーたちで京都見物に出かけた。私もそれに同行させてもらったが、清水寺の舞台に立ち、左手の山並と右手に見える京都の町を眺めながら、ジョーは10分ほど無言のまま立ち尽くしていた。鼻をグシュグシュさせて、彼はあらんかぎりの形容詞でこの感動を表現した。 情報としてしか知らなかった日本の美と心を、このとき確かな情感としてつかんだようだ。ひと一倍感受性の強い彼が、あの激しいステージ・アクトとはまったく反対の静の極に自らをおいた一瞬だった。

水上はるこ
京都の街を散策するジョー
水上はるこ

「ソー・ファーラウェイ・フロム・ラドブロック・グローブ」と、まるで自分に言いきかせるようにつぶやいた。ラドブロック・グローブ(Ladbroke Grove)とは、ロンドンのジョーの住んでいる地域である。インド系、西インド諸島からの移民も多く住む地域だ。「思えば遠くへ来たもんだ」という心境だったのだろう。単に距離的に遠くへきたという意味ではなく、著しく文化環境の異なる東洋の国の、六百年も前に建てられた木の舞台に立っているという実感であろう。

水上はるこ
金閣寺でのポールとパール・ハーバー

金閣寺を訪ねたとき、三島由紀夫の作品を読んでいるというポール・シムノンが、寺が炎上するくだりの美しさをジョーとミックに話していた。ジョーはポールの話をさえぎって「火を放ったのは、若い僧だろう ? 彼は金閣寺の美しさに嫉妬して、一体になりたかったんだ、金閣寺を独占したかった」と言った。ポールが怪訝な表情で尋ねた。「本も読まずにどうしてわかる?」。「何となくさ」とジョーは答えたけれど、実は「オレもそうしたいと考えたからさ」と答えたかったのではないだろうか。

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お土産店でのジョーとミック
水上はるこ
お土産店の商品に興奮する二人

そんな彼らが、全員、小さな刃物店の前で打ちあわせてあったかのようにピタリと足をとめ、ナイフをながめて目をキラキラさせるのを見たとき、ああ、やっぱりパンク・ロッカーなんだと、不思議な感慨におそわれた。彼らは十字架に小さなナイフがついたお土産を、友だちの分もといいながら何個も買っていた。 「十字架とナイフ」ーーーさながら、クラッシュそのものを象徴しているようだった。

水上はるこ
GORO 1982年2月25日号 目次

2026年、クラッシュというバンドはもうない。しかしクラッシュとパンク・ロックが残した魂は今もストリートで生きている

ロンドンで偶然見かけたポール・シムノン

この記事を書いたのは1982年、44年前のことだ。

短い記事ではあるが、44年後も色褪せることなく、それどころか現在の世界・社会情勢を言い当てているかのようなインタビューだ。こんなにも政治を語るミュージシャンの取材は後にも先にもない。中には滑稽に感じることもあるだろう。たとえばミックの毛沢東賛美である。多分、82年の英国の労働者階級の若者はそう認識していたのかもしれない。すべては〈右翼・保守・反共産主義〉の権化であったサッチャー首相へのカウンターであると想像できる。

#マーガレット・サッチャー  イギリス第71代首相・保守党
(在任期間 1979年5月4日ー1990年11月28日)

ここに出てくるポーランド問題とは、1980年の夏、グダニスクの造船所で始まった言論の自由や労働者の権利を求めた一連のストライキや運動である。私は実はこの年の8月、何の情報もないまま偶然、ワルシャワとクラクフに行き、その混乱の真っただ中に投げ込まれた。労働組合のストライキを率いるワレサ委員長は〈連帯〉という組織で活動し、この運動は実質ソ連の経済・文化圏にあった周辺の共産主義国をも目覚めさせた。

#レフ・ヴァウェンサ  ワレサ委員長
#Solidarno ść #Solidarity   #連帯
#New Year's Day (U2)
#ポーランドの夏1980年

アイルランド問題、これについては別に機会があれば書くが、カトリック国だという名目で北アイルランドをイギリスが支配し、何度となくテロ、暴動、誘拐事件が起きた。マジョリティによるマイノリティの支配。心あるイギリス人はサッチャーの強硬策に反対し、パンクもその一端を担った。クラッシュはベルファストに行き、マシンガンを構えるイギリス兵士の前であえて写真を撮り、音楽新聞のカバーを飾っている。アイルランド出身のU2はこのテーマで多くの曲を発表し、「ブラディ・サンデー Sunday Bloody Sunday」は特に有名。

#イギリス領北アイルランド
#IRA  (Irish Republican Army)独立運動グループの中でも特に過激でテロ   リスト集団として指定されていた。
#停戦と交渉を経て 、1998年4月10日にベルファスト合意が成立

#三島由紀夫  〈金閣寺〉1956年発表
#1950年 (昭和25年)7月2日未明に、金閣寺町にある、鹿苑寺(通称・金閣寺)で発生した放火事件。同寺の徒弟僧が(当時21歳)、国宝の利殿(金閣)に放火し、同建築および、同じく国宝の足利義満像を全焼させた。

#赤い旅団  Le Brigate Rosse イタリア
#ドイツ赤軍  Rote Armee Fraktion RAF
1960年代末に世界(アメリカ、日本、フランス、ドイツ、イタリア、英国など)を席巻した学生運動・反体制運動は、カルチャー、文学、音楽、ファッション、ライフスタイル、芸術などすべての分野に大きな爪痕を残した。〈赤い旅団〉と〈ドイツ赤軍〉は暴力、放火、爆破、誘拐、殺戮、強盗など手段を選ばず、民間人と政治家が犠牲になった。蜂起理由は国ごとに様々だったが、日本でもやはり暴力や殺人を伴う運動を展開した赤軍派が知られている。

ジョー・ストラマーも出演した映画「Rude Boys」で、ジョーが〈赤い旅団〉のTシャツを洗濯するシーンがある。ジョーに憧れる少年が「それは何のTシャツ?」と問いかけると、ジョーは微笑みながら「スパゲッティ屋のTシャツさ」と答えている。

このように、たかがいちロック・バンドの記事であるのに、ポーランドから北アイルランドまで、音楽以外の話題にも触れないと共通の認識ができない。

そういう思想はさておき、クラッシュはひたすらカッコ良かった。ファッションも言動も、そしてもちろん歌も演奏も。心酔するファンたちは高価なドクター・マーティンのブーツを履き、革ジャンを着た。それだけでアニキに近づけるような気がしたからだ。

私はクラッシュと4回ほどインタビューをしている。またの機会にアップします。

ジョン・グレアム・メラー John Graham Mellor (aka Joe Strummer)
1952年8月21日ー2002年12月22日
Fly high, our hero.

参考文献
「壁は語る」学生はこう考える
フランス 1969年

世界の反権力運動に影響を与えた、フランスのスローガンの詩的なミーム

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