見出し画像

その子の"大丈夫"が、なかなか広がっていかない理由】

【馴化・脱感作・拮抗条件づけ、結局その子には何をどう分けているのか】

━━━━━━◽️「慣れさせる」だけでは終わらない話━━━━━━━

トリミング中に固まってしまう子。
バリカンの音に耳を伏せる子。
ブラシをしようとしたらサッと身体を避けようとする子。
爪切りのたびに足を引っ込める子。

現場でも、ご家庭でも、よく見かける光景だと思います。

そういう場面に出会うと、
「慣れさせれば大丈夫」
という言葉が、つい浮かびます。

ただ、「慣れさせる」という言葉の中には、
実はいくつかの違う技術が混ざっています。

その違いを知っているかどうかで、
その子への負担も、練習の進み方も、大きく変わってきます。

今回は、その違いを整理しながら、
トリマーさんと飼い主さん、それぞれの立場でできることを考えていきたいと思います。


━━━━━━◽️「慣れる」には、3つの道筋がある━━━━━━━━

「慣れさせる」とひとことで言われる場面には、主に3つの技術が関わっています。

・馴化(じゅんか)
 同じ刺激に繰り返し触れることで、反応そのものが自然に小さくなっていくこと。何もしなくても、時間と回数の積み重ねで起こる変化です。

・脱感作(だつかんさ)
 その子が怖がらない、ごく弱いレベルの刺激から始めて、少しずつ強さを上げていく練習です。「弱いレベルから始める」という設計そのものが、脱感作の本体です。

・拮抗条件づけ(きっこうじょうけんづけ)
 怖がる刺激に、その子が好きなもの(おやつなど)を結びつけて、刺激そのものへの感じ方を変えていく練習です。「怖いもの」を「良いことが起きる合図」に変えていくイメージです。

この3つは、混同されやすいのですが、それぞれ別の技術です。

「とりあえず何度もやらせてみる」だけでは、馴化を期待しているだけになってしまい、
その子がすでに強く怖がっている場合には、むしろ逆効果になることがあります。


━━━━━━━━━━◽️なぜ、いきなりはダメなのか━━━━━━━━

脱感作の考え方で大事なのは、
「その子が怖がらない強さから始める」という一点です。

専門的には、これを閾値(いきち)以下から始める、と言います。

たとえば、バリカンの音が苦手な子であれば、
いきなり本番の距離・本番の音量から始めるのではなく、

・遠くで聞こえる程度の音量から
・短い時間だけ
・落ち着いていられたら、その分だけおやつを与える

というように、その子が対処できる範囲の中で、少しずつ強さを上げていきます。

ここで、怖がる・逃げる・固まるといった様子が見えたら、
それは「一段階、強さを上げすぎた」というサインです。

決して、その子の根性や我慢が足りないわけではありません。
段階の刻み方が、まだその子に合っていなかった、というだけです。


━━━━━◽️スモールステップは、誰が決めるものか━━━━━━━━

「どのくらい細かく段階を分けるか」は、
その子によって、驚くほど差があります。

同じ「バリカンの音」という刺激でも、
数段階で慣れていく子もいれば、
十数段階に分けてようやく進める子もいます。

これは、その子の性格の問題ではありません。
それまでの経験、体質、そのときの体調によって変わるものです。

だからこそ、あらかじめ決まった手順書のようなものを、
すべての子にそのまま当てはめることはできません。

ここで役立つのが、以前紹介した犬の環境適応評価シートのような、
「今、その子がどの段階までなら対処できているか」を観察・記録する視点です。

その子の反応を見ながら、段階の刻み方を都度調整していく。
これが、スモールステップの実際の姿だと思っています。


━━━━━◽️サロンでできること、自宅でできることは違う━━━━━━

ここで、一つお伝えしたいことがあります。

トリミングサロンで使える練習と、ご家庭で積み重ねられる練習は、役割が違います。

サロンは、施術という目的がある場所です。
一回の来店の中で、じっくり段階を刻む時間には、どうしても限りがあります。

一方、ご家庭は、時間の制約が少ない環境です。
バリカンの音を録音して少しずつ聞かせる、
足先に触れる練習を毎日少しずつ積み重ねる、
といった、時間をかけた脱感作・拮抗条件づけがしやすい場所です。

実際に、飼い主さんが自宅で行う脱感作・拮抗条件づけのプログラムを検証した研究(Stellato et al., 2019)では、
4週間の練習を通じて、飼い主さんの目から見た犬の様子には改善が見られたと報告されています。

一方で、この研究では、練習を指示通りに続けられた飼い主さんは半数程度にとどまり、
行動として測定された指標すべてが、期待した方向に変化したわけではありませんでした。

つまり、自宅での練習にも、継続の難しさや、成果の見えにくさがある、ということです。
それでも「続ける価値がある」という評価で、この研究は締めくくられています。

つまり、サロンでの工夫と、ご家庭での練習は、
どちらか一方で完結するものではなく、二人三脚で進めていくものだということです。

そして、それを伴走できるように、このnoteを使っていただければと思います。


━━━━━◽️「施術そのもの」だけが負担とは限らない━━━━━━━

もう一つ、見落とされやすい視点があります。

トリミングサロンでの犬の様子を調べた研究(Mariti & Bein, 2015)では、
施術の内容そのものよりも、入店から退店までの滞在時間全体が、
その子にとってのストレス要因になりうることが指摘されています。

つまり、バリカンや爪切りの工程だけを見て「ここが平気だから大丈夫」と判断してしまうと、
入店直後やケージの中での様子を見落としてしまう可能性があるということです。

犬の環境適応評価シートで、入店・ケージ内の様子まで場面を分けているのは、この視点を反映したものでもあります。


━━━━━━━━━━◽️焦らなくていい、という話━━━━━━━━━━

極度に怖がりな保護犬を対象にした行動リハビリテーションプログラムの報告(ASPCA Behavioral Rehabilitation Center, 2024)では、
脱感作・拮抗条件づけを中心とした練習を積み重ねた結果、
対象犬の86%が、平均およそ96日・78回の練習を経て、目標の基準まで到達したとされています。

3ヶ月近く、80回近い積み重ねです。

これは、極度に怖がりな犬を対象にした数字ではありますが、
「スモールステップには、それだけの時間と回数がかかることがある」という一つの目安になると思います。

一回のトリミングで劇的に変わらなくても、
それは、うまくいっていないわけではありません。

段階を、その子に合わせて刻み続けている、という状態そのものが、
すでに前に進んでいる証拠なのです。


━━━━━━━━━━◽️これから、一緒にできること━━━━━━━━━━

トリマーさんには、施術の中でできる小さな工夫を。
飼い主さんには、ご家庭で積み重ねられる練習を。

それぞれの立場でできることを、少しずつ重ねていく。

そのための材料を、これからもこのマガジンで届けていきたいと思っています。

具体的な練習の組み立て方や、場面別の刻み方については、これから記事を書いていきます。
また、ぜひ個別のご相談でも一緒に考えさせてください。

みなさんの頑張りをサポートさせてください


━━━━━━━━━━◽️参考文献━━━━━━━━━━

Mariti, C. and Bein, S. (2015) Evaluation of dog welfare before and after a professional grooming session. Dog Behaviour 1, 8–15.

ASPCA Behavioral Rehabilitation Center (2024) Behavioral rehabilitation of extremely fearful dogs: Report on the efficacy of a treatment protocol. Applied Animal Behaviour Science 279, 106402.

Stellato, A., Jajou, S., Dewey, C.E., Widowski, T.M. and Niel, L. (2019) Effect of a standardized four-week desensitization and counter-conditioning training program on pre-existing veterinary fear in companion dogs. Animals 9(10), 767.

メンバーシップでは、こうした研究をもとにした個別相談も受け付けています。

有料記事は、¥980/月で読み放題になります。
同じような困りごとに出会うたびに、辞書のように開いて確認できます。

「うちの子は、記事の通りにやってもうまくいかない」
そんなときのために、¥5,980/月のプランではLINE・ZOOMでの個別相談も受け付けています。
LINEのやり取りに回数の制限はないので、一度きりで終わらせず、経過を見ながら聞き続けられます。


いいなと思ったら応援しよう!

犬と暮らしの研究室 この記事が役に立ったら、チップで応援していただけると嬉しいです。いただいたチップは今後の記事作成に活用させていただきます!