あなたの様な人を探していました
仕事の話になると、その人は笑わなかった。
部屋をゆっくり歩きながら、手を叩く。
パン。
少し歩く。
「あー。」
また歩く。
「あー……。」
私は、その後ろ姿を黙って見ていた。
最初は何をしているのか分からなかった。
あとで知った。
ピアノの響きを確かめていたのだ。
その人は、商売のために会社を大きくした人ではなかった。
ピアノが好きだった。
だから、仕事の話になると笑わなかった。
真剣だった。
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部屋の隅で立ち止まる。
少しだけ首を傾げる。
また手を叩く。
パン。
しばらく黙っていた。
そして、小さく笑う。
「いやぁ……
ここだけ直してくれたら、
本当に良い音になるんですよ。」
悔しそうな顔だった。
工事に文句がある顔ではない。
もっと良い音を届けたい。
その悔しさだった。
私は、その顔を見て嬉しかった。
まだ会ったこともない誰かのために、
ここまで本気になれる人がいる。
そのことが、嬉しかった。
その瞬間、
「ああ、この人だ。」
と思った。
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独立したばかりだった。
実績もない。
会社も小さい。
質問されても、
背伸びだけはしなかった。
分からないことは、
「分かりません。」
できないことは、
「できません。」
格好をつけても、
きっと見抜かれる。
そんな気がしていた。
話を聞き終えたその人は、
静かに言った。
「あなたの様な人を探していました。」
私は、
腕を褒められたのだと思った。
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それから少しずつ、
仕事を任せてもらえるようになった。
「好きなようにやってください。」
その一言は、
自由ではなかった。
信じてもらうということは、
責任を預かるということだった。
一度だけ、
大きな失敗をした。
紹介者まで巻き込む出来事だった。
終わったと思った。
でも、その人は、
誰も責めなかった。
紹介者の顔も、
私の顔も立ててくれた。
仕事は途絶えた。
それでも、
しばらくして一本の電話が鳴る。
「渡邉さん。」
その一言だけで十分だった。
もう二度と、
この人の信頼だけは失いたくない。
そう思った。
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今でも、
見積書を作るたびに考える。
お客様から預かったお金を、
どこへ使うか。
見えるところか。
見えないところか。
私は、
見えないところへ使いたい。
十年後の安心につながるなら、
そこへ時間を使いたい。
説明しても伝わらないなら、
こっそり仕込めばいい。
誰にも気づかれなくてもいい。
安心は、
工事が終わった日に完成するものじゃない。
暮らしの中で、
少しずつ育っていくものだから。
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何年も経って、
ようやく分かったことがある。
あの日、
あの人が探していたのは、
腕のいい大工じゃなかった。
仕事が早い人でもなかった。
見えないところに、
本気を使おうとする人だった。
技術は教わっていない。
経営も教わっていない。
でも、
仕事への向き合い方だけは、
あの人の背中から受け取った。
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今でも、
仕事の帰り道、ときどき思い出す。
木の香りが残る、
あのショールーム。
パン。
「あー。」
「あー……。」
静かなホールに響く、
手を叩く音。
誰にも気づかれない場所に、
誰よりも時間をかける人がいた。
だから私も今日、
誰にも気づかれない場所へ、
少しだけ時間を使う。
この景色の続きを、
もう少し覗いてみたい方へ。
▶「信頼残高がある人にだけ、お金は先に動く」
目には見えないけれど、
確かに積み上がっていくものがあります。
それを私は、
「信頼残高」と呼んでいます。
▶「見積書より先に」
信じてもらうことは、
自由になることではありません。
預かった信頼に、
責任を持つことです。
▶「笑っていた」
仕事が終わった後にも、
続いていくものがあります。
工事ではなく、
人と人との間に残るものについて書いています。
ここまで読んでくださって、
ありがとうございます。
もし、
この景色のどこかに
自分の仕事や人生と重なるものがあったら、
「スキ」で教えていただけると嬉しいです。
これからも、
仕事や人との出会いの中で見つけた
小さな景色を書いていきます。
また別の景色も覗いてみたいと思ってくださった方は、
フォローしていただけると嬉しいです。
