愛は、距離を保つ勇気でもある――見守る愛について
恋愛は不思議だ。
好きになるほど近づきたくなる。
私自身、好きになるほど距離を詰めたくなる人間だった。
連絡を待ち、返事の遅さに不安になり、会いたい気持ちを抑えきれなくなることもあった。
だが、振り返れば、関係を進めたのは熱量だけではなく、むしろ一歩引いた時間の方だったのかもしれない。
もっと会いたい。
もっと話したい。
もっと自分を知ってほしい。
それ自体は自然な感情だと思う。
しかし、多くの場合、関係を壊すのは「愛情の不足」ではなく、
「距離感の間違い」だ。
毎日LINEを送る。
返事を待つ。
電話をしたがる。
会いたがる。
相手を想う気持ちが強いほど、ついやってしまう。
だが、人は追われすぎると息苦しくなる。
距離感は放置ではない
見守る愛とは、何もしないことではない。
たまには連絡する。
誕生日にはお祝いする。
相手の仕事や趣味を覚えておく。
困ったときは力になる。
ただ、それ以上は無理に踏み込まない。
相手の人生には相手の時間があり、相手の事情がある。
その余白を尊重することも、愛情のひとつだと思う。
映画や食事に誘うなら
誘うこと自体は悪くない。
むしろ一度も誘わなければ、関係は進まない。
ただし大切なのは回数だ。
断られたら何度も追わない。
例えば、
「今度面白そうな映画あるね」
「機会があれば行こう」
そのくらいで十分だ。
相手が乗れば進む。
乗らなければ一旦引く。
無理に押しても、良い結果になることは少ない。
会話や電話も同じ
会話は盛り上げるものではなく、積み重ねるものだ。
毎回特別な話をする必要はない。
仕事の話。
趣味の話。
最近見た映画。
食べたもの。
そんな日常でいい。
電話も同じだ。長電話を求めるより、
「声が聞けてよかった」
そのくらいで終わる方が、次につながることも多い。
相手に「また話したい」と思ってもらえる余白を残すことが大切だ。
傍に居続けるということ
本当に傍に居続けるとは、毎日連絡することではない。
相手の生活を支配することでもない。
相手がふと振り返ったとき、
「あ、まだいるな」
と思ってもらえることだ。
そのためには、相手を追うことよりも、自分の人生をちゃんと生きることの方が大切なのかもしれない。
仕事をする。
趣味を楽しむ。
友人と会う。
学ぶ。
挑戦する。
そうして自分の人生を前に進めながら、相手のための席をひとつだけ空けておく。
それくらいが、長く人を想うにはちょうどいい距離なのだと思う。
愛は、相手を手に入れることだけではない。
相手の自由を認めながら、自分の想いも大切にすること。
相手を追い続けることではなく、必要なときに隣に立てる自分でいること。
愛は近づく勇気だけではない。
距離を保つ勇気もまた、愛なのだ。
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