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35歳、公務員を退職してタイへ。いつ、死ぬかわからないから。


数ある記事の中から、このページを開いていただきありがとうございます。
優木 志歩(ゆうき しほ)と申します🌸

わたしは管理栄養士として12年間勤めた自治体を退職し、キャリアブレイクの期間を持つことにしました。(めちゃくちゃ悩んだ末の決断でした…)

このnoteでは、退職までの心の揺れや、キャリアブレイク期間にやっていることや、考えていることを、等身大の言葉で綴っています。

35歳。

公務員を退職して、
タイの田舎に来て3週間が経とうとしてます。

現地の生活にも少しずつ慣れてきて、
やっと1人でカフェにも
行けるようになりました!笑

久しぶりに1人でゆっくりできました✨はじめて飲んだオレンジコーヒーもめちゃくちゃ美味しかったです!🍊


まだタイ語もほとんど喋れず…
おどおどしながら何とか注文して
一息ついていると、

英語が話せる店員さんがやって来て、
どうやって来たか尋ねられたので、
30分くらい歩いて来たことを伝えると

「え!1人で!?30分も!?」

と、とても驚かれ、なんと帰りは、
オーナーさんから車で
滞在先まで送っていただきました
(涙)

(確かにタイではあまり歩いてる人は見かけず、
近い距離でもバイクや車で移動することが多いようです。)

突然訪れた見ず知らずのわたしに
親切にしてくださるその気持ちが、
とても嬉しくて、ありがたかったです。

本当に、ありがとうございました🙇‍♀️


(タイの方々、ほんとうに優しい…!涙)


さて、わたしは
この3週間ほどの間に2回、
鶏を絞めるところに
立ち合わせていただきました。

今日はそのときに感じたことについて
書いてみたいと思います。




わたしが滞在させて
いただいているところでは、

鶏を10羽ほど平飼いしていて、
その鶏たちが産んでくれたを、
日々ありがたくいただいています。

先日、その中の鶏を1羽、
食べるために絞めるところに
立ち合わせていただきました。

滞在先で飼っている鶏たち

「絞める」という言葉のとおり、
鶏の首を紐や手で強く締め付ける様子を
見させていただきました。

鶏は何度も羽をバタバタとさせて、
苦しそうに見えました。

目を背けたい気持ちもありましたが、
しっかりと見なければいけない
という思いの方が強くありました。


食べ物は、もともとはすべて
「いのち」であること。

わたしが生きるために、
今、まさにこうして「いのち」を
落とそうとしている生き物がいること。

そのことを、改めて考えていました。


…ごめんね、ありがとう。

謝罪と感謝が
入り混じったような気持ちで、
祈るように見ていました。


その後、すうっと静かに、
息を引き取る瞬間を見届けました。




動かなくなった鶏は、
沸いているお湯の中へ。

こうすることで、
羽が取りやすくなるそうです。

わたしも一緒に、
手で鶏の羽を取らせていただきました。


その後は、ナタで鶏のお腹を開き、
解体していく様子を見させていただきました。

周辺が血に染まり、
心臓や腸などの内臓がひとつずつ
取り出されていきました。

これから卵になる予定だった、
小さな丸い卵の赤ちゃんのようなものも
お腹から出てきました。


そんな様子を
間近で見させていただきながら、

わたしはずっと
言葉にならない何か
感じていました。


ついさっきまで意識があって、
何かを見つめ、呼吸し、
元気よく動き回っていた存在が、

突然、
もう二度と動かない存在になる。


「生きている」ことと、
「死んでいる」こと。

全く別の状態なのに、
その間の距離は、驚くほど近い。


「生」と「死」のあいだは、
すごく大きいのに、すごく近い。


その事実が、
わたしに迫ってくるように
感じていました。




この時のことを
改めて振り返っていると、

ふと、今のわたしに
強く影響した出来事
思い出しました。


それは、数年前に突然、
40代前半の職場の上司が亡くなった

という知らせを
受けた時のことです。

ご自宅の火事でした。


亡くなった当時は、
同じ部署ではありませんでしたが、

以前同じ部署で
働いていたことがあり、

はにかむような笑顔が
印象的な方でした。

飲み会の席でご一緒した際には、
家が比較的近いことから、

ご自宅のすぐ近くまで送らせて
いただいたこともありました。


そんな方の
突然の訃報だったので
とても驚きました。

そのときは一瞬息が詰まったように感じ、
何も言葉が出てきませんでした。

その後もしばらく
自分の鼓動が速くなるのを感じ、

心や頭がざわざわして
落ち着きませんでした。


きっと、あのときもわたしは、
命の儚さのようなものを
強く感じていたのだと思います。

そして、今思えばそのときの感覚が、
わたしを突き動かす原動力
なっていたのだと気づきました。


というのも、
わたしが「海外に行こう」と決めたのは
この出来事がきっかけだったからです。

高齢でもなく病気でもなく、
何の心の準備もないまま突然やってくる死
を思ったとき、

なぜだかわたしは
できるだけ早く

「海外へ行きたい」
「海外へ行かなければ」


という気持ちが溢れてくるのを
感じました。


そのちょうど1年後に退職を決意し、
今、わたしはこうしてタイにいます。



確実なことなんて、
いつか死ぬこと以外、
何ひとつない
のだと思いました。

いつもただ、
手応えを頼りに進んでいるだけ。

というか、
進んでいるのかどうかも
ほんとうはよくわかりません。

ただ、今、ここに在る
ということだけなのかもしれません。


生まれたときから
いつか死ぬことだけは決まっていて、

いつ訪れるかわからない死を
影のように引き連れながら、
一緒に寄り添いながら、

日々を過ごしているのが
わたしたち生き物なのだと、

そんなことを
今、改めて思っています。


何だかまとまりのない文章に
なってしまいましたが、

今感じていることを忘れないように、
ここに残しておきたいと思います。


最後まで読んでくださり
ありがとうございました。

今日もあなたが
すてきな1日を過ごせますように🌿✨

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