見出し画像

恩送りは、渡すことだけではない

小さな循環と、静かな参加のかたち

窓辺の席に、少しだけ長くいたい日があります。

外の音は聞こえているのに、なぜか遠い。
温かい飲みものを両手で包んで、湯気の向こうをぼんやり眺める。

そんな時間が、ときどき必要です。

noteの街では、いま、いくつもの企画を通して、
人から人へ、やさしさが手渡されています。

「あなたの素敵なところ、見つけたよ」と伝えるバトン。
ペイ・フォワード、クリエイター図鑑、エッセイしりとり。

それぞれに、誰かとつながる楽しさがあります。

一方で最近は、
プロフィールや説明記事などで、
「バトンものの企画には参加しません」と
あらかじめ伝える人も増えてきました。

その言葉を見たとき、
「つながりたくないのかな」と考えるより、
その人には、その人の呼吸があるのだと思います。

今日は、その「呼吸」を大切にしながら、
恩送りという言葉を、もう一度眺めてみます。

恩送りとは、何だったのか

恩送りは、恩返しとは少しちがう仕組みです。

恩返しは、してもらった相手にお返しをすること。
1対1で、相手との関係が中心になります。

それは、とてもあたたかな関係です。

ただ、返す相手がいなかったり、
すぐには返せなかったりすると、
「返さなくては」という氣持ちが重くなることもあります。

そこで、別の考え方として広がってきたのが、ペイ・フォワードです。

してもらったことを、その人ではなく、
次の誰かへ回していく。

1対1ではなく、1対多。
そして、受け取った人に返礼の義務はありません。

だから、本来は「返さなくていい」仕組みです。

「もらったから、必ず渡さなければならない」
という話ではありません。

「自分も、いつか誰かにやさしくできたらいいな」

そのくらいの、ゆるやかな連なりです。

1→3→9→27の、その先にあるもの

恩送りは、数の上では大きく広がる可能性があります。

たとえば、一人から三人へ。
その三人から、それぞれ三人へ。

1→3→9→27。

数字だけを見れば、輪はどんどん大きくなります。

しかし、ここで忘れたくないことがあります。

善意は、数では測れないということです。

一人の人に丁寧に届いた言葉は、
それだけで、すでに価値があります。

三人に渡らなかったから足りない、
たくさん広がったから正解、というものでもありません。

数の景色は、あくまで背景です。
輪の中にいる一人ひとりの氣持ちのほうが、
いつも先にあります。

つなぐという参加のかたち

まず、つなぐ人の姿から見てみます。

驚きながら、照れながら、
それでも「渡してみよう」と一歩踏み出す。
その姿には、素直な温度があります。

「ベッドで読んで飛び起きました」
そんなふうに、突然のバトンに戸惑いながらも、
自分の言葉でお返事を書き始める人がいます。

そこには、少しの緊張と、大きな喜びが同居しています。

つなぐことを選んだ人は、
無理をしている、というわけではありません。

その人なりに、
「この人のこと、ちゃんと紹介したい」
という氣持ちが動いた結果として、
自然に手が動いている。

つなぐ人が、そのまま、つなぐ人でいていい。

そのことは、忘れずにいたいと思います。

つながないという参加のかたち

みやびさんが、こんな記事を書かれていました。

カフェの窓側の席で、温かいお茶を前にしながら、
心の中の「ちいさな天秤」が揺れた、と綴られています。

もし、自分のところに同時に複数のバトンが届いたら。
善意を、自分のところで止めてしまったら申し訳ないな、と。

この揺れは、とても正直な揺れだと思います。
そして、これを言葉にできたことに、静かな強さを感じます。

つながないことは、輪を止めることではありません。
今日はここでひと呼吸置く、という選択です。

バトンは、渡さないと消えるものでもない。
「受け取ったよ」と胸の中で頷くだけでも、
その人も、循環の景色の中にいます。

運命デザインラボのアカウントでは、開運シェルパも、
そのことを書きました。

「渡す形」と「渡さない形」があっていい。
「つなぐ」と「つながない」は、対立軸ではない。

そう置き直してくれる言葉は、
輪の中の空気をやわらかくしてくれます。

辞退という、はじめから置いておく参加のかたち

Lumen C.さんは、こう書かれています。

お声がけ自体はうれしい。
ただ、バトン企画に参加することで
自分の中に生まれる後処理が重すぎるので、
最初から辞退している、と。

参加しなければ、相手が傷ついていないか氣になる。
参加すれば、次の人を選ぶことで
誰かに負担をかけていないか氣になる。

そのシミュレーションが夜まで続いて、休めなくなる。

これは、とても誠実な自己観察だと思います。

「参加しません」を先に置いておくことは、
冷たさではありません。

自分と、選ばれる可能性のある相手、
その両方を守るための、静かな配慮です。

こういう表明を、まっすぐ受け取れる場であること。
それは、企画そのものが成熟してきた証でもあると思います。

受け取ったものは、自分の中で自由に扱える

ここまでで、三つの姿を見てきました。

つなぐ人。
つながない人。
最初から辞退している人。

どの姿にも、その人なりの理由と、その人なりのやさしさがあります。

そしてもうひとつ、
記事全体を通して伝えたいことがあります。

恩送りは、
「受け取ったら、必ず次へ渡す仕組み」ではなく、
「受け取った善意を、自分の中で自由に扱える仕組み」
として読むこともできます。

受け取ったものを、そのまま誰かへ渡してもいい。
少し時間を置いてもいい。
別の形に変えて渡してもいい。
自分の中で、あたためておくだけでもいい。

どれも、ちゃんと循環の中にあります。

抱え込むと、善意はいつのまにか宿題のように感じられることがあります。
追いかけると、優しさは義務のように感じられることがあります。

ただし、それは、企画の問題ではなく、
私たちの心が善意をどう受け取るかの話です。

だからこそ、受け取り方を少しだけゆるめてみる。
そのゆるみが、循環をしなやかにしてくれます。

調和とは、同じことをすることではない

走る人がいます。
歩く人がいます。
今日は座って、みんなを眺めている人もいます。

同じ景色の中で、それぞれの速度でいていい。
これが、いちばん自然な調和の姿だと思います。

運命デザインラボでは開運シェルパもこんな記事を書きました。

祝祭は、大きな音だけでできているわけではありません。
静かな一枚も、そこに置かれていることで、全体の空気を整えます。

走らない参加も、参加のかたちのひとつです。

「みんな同じように動くこと」を求めた瞬間から、
輪はどこか窮屈になります。

逆に、「動かない自由」まで含めて受け入れられる輪は、
思っている以上に、しなやかで強いです。

自分は自分らしく、相手は相手らしく

こういう企画のいちばん静かな贈り物は、
たぶん、次のような感覚だと思います。

自分は自分らしくいていい。
相手も、相手らしくいていい。

どちらも、同じ場所にいられる。

渡す人にも、渡さない人にも、辞退する人にも、
それぞれの理由と、それぞれのやさしさがあります。

どれかを正解にすると、他が影になってしまう。
どれも正解にしておくと、輪の中に空気が通ります。

執着しすぎないこと。
決めすぎないこと。
しかし、無関心にはならないこと。

そのあたりに、恩送りの心地よさがあるように思います。

小さな循環は、もう始まっている

大きなことをしなくても、循環は始まっています。

今日、誰かの文章を読んで、少しあたたかくなった。
その氣持ちを、心の中で言葉にしてみた。
それだけでも、もうひとつの小さな循環です。

いつか、別の場面で、その温度が誰かへ渡っていく。
その「いつか」は、決めなくていいものです。

急がなくていいし、証明もしなくていい。

小石は、投げても投げなくてもいい。

投げれば、水面に波紋が広がります。
投げなければ、その小石は、自分の手の中に残ります。

しかし、手の中にある小石も、消えたわけではありません。
別の日に、別の場所で、別の形になって、
誰かへ渡っていくかもしれない。

それも、静かな循環のひとつです。

私たちはみんな、それぞれの席で、同じ景色を見ています。
走っていても、座っていても、窓の外を眺めていても。

その景色の中にいることが、
もうすでに、静かな参加だと思うのです。

〜 開運シェルパ / 運命デザインラボ 〜


◆ ◆ ◆

関連リンク

メインアカウント連載『運命レボリューション』 → 開運シェルパ @hanamiti369(https://note.com/hanamiti369)

このラボについて → 運命デザインラボ @hanamiti369labo(https://note.com/hanamiti369labo)




いいなと思ったら応援しよう!