ポピーちゃんとコーンくん――ヴァン・ドンゲン『コーン・ポピー』に隠された、ある恋の暗号

少女漫画のような、この儚げな絵のタイトルは『コーン・ポピー』(1919年)。コーンはトウモロコシ、ポピーはひなげしの花──と聞いても、絵のどこにもトウモロコシもひなげしも描かれていない。
このちぐはぐな名前には、実は画家キース・ヴァン・ドンゲンが、ある女性とだけ交わしていた秘密の呼び名が隠されている。画家は何を考えてこのタイトルをつけたのだろうか。その謎を、彼の数奇な人生とともに辿ってみたい。
画家の名はキース・ヴァン・ドンゲン。
1877年、オランダのロッテルダム近郊、酒造業の家に生まれ、ロッテルダムの美術アカデミーで学ぶ。この時、後に結婚することになるユリアナ・プライティンガーと知り合っている。
1896年(19歳)、日刊紙のイラストレポーターとして働く。現在の写真班のようなものだろうか。
1899年(21歳)、パリに移り住み、風刺新聞や雑誌の挿絵画家として働くが、風刺した先から訴えられる。
1901年(23歳)9月、幼なじみのユリアナ・プライティンガーと結婚し、12月に子供が生まれたが、数日後に亡くなっている。今でいう「できちゃった婚」だが、オランダはカトリックの国で、子供ができた以上、別れることはできず、結婚するしかなかった。そこには真実の愛があったのだろうか。幼なじみと偶然パリで出会い、その時の勢いということはなかったか。
下種な邪推はよして、ドンゲンの経歴を見てみよう。
1905年(27歳)、サロン・ドートンヌに参加し、画風がフォービズムになる。
1910年(32歳)、ピカソに誘われ洗濯船(バトー・ラヴォワール、集合住宅)に家族とともに移り住む。ピカソに認められたということだろう。
1914年(36歳)、事件が起きる。第一次世界大戦が勃発したのだ。ちょうどこのときユリアと子供たちは実家のオランダ、アムステルダムに戻っており、終戦までパリに帰れなくなった。
ドンゲンは戦時下のパリで、一人ぼっちで生活しなければならなくなる。
そんな中、ドンゲンは赤い帽子をかぶったかわいい女性と知り合う。名をジャスミー・ヤコブスといった。ジャスミーとドンゲンはモデルの域を超え恋に落ちた。
ドンゲンはジャスミーを「ポピーちゃん」と呼び、 ジャスミーはドンゲンを「コーンくん」と呼んだ。
そんな二人だけの呼び名が、この絵のタイトルになったのである。
激しかった戦争もやがては終わる。
1921年、ドンゲンとユリアの関係は終わりを告げた。それより先に、ジャスミーとの関係もすでに終わっていた。
妻を裏切った男がいけないのか、その前に戦争がいけないのか。戦争がなければドンゲンとユリアは別れなかったのだろうか。いや、その前に、なぜユリアは故郷のアムステルダムに子供だけを連れて戻ったのか。このときすでに、夫婦の関係は破綻しかかっていたのかもしれない。それを、戦争が決定的にしてしまった。
ドンゲンの絵は、夢見る少女のように儚く見える。この絵柄が、世の女性たちに受けた。ドンゲンの周りには、常に多くの女性が取り巻いていた。
1926年(48歳)、レジオンドヌール勲章を受ける。
1968年、モナコで死去。91歳だった。
あの絵の少女の瞳は、どこか遠くを見つめている。それは、消えてしまった恋の記憶を見つめているのかもしれない。
