デクノボーと呼ばれたい ─ 宮沢賢治と老荘思想
宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」。
冒頭は、私にはどこか自分を律する儒教的なにおいがして、好きではありませんでした。
「雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ」
雨に負けたって、
風に負けたって、
雪や夏の暑さに負けたっていいじゃないか。
と、今の私は思うのです。
実際に今、酷暑に気持ちが折れている。
続きを読んでみると……
「慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル」
あれ?
急に老荘的になりました。
「一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ」
自分本位で考えない、ということ?
老荘的。
「ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ」
清貧であれ?
やはり老荘的。
「東ニ病氣ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ」
ここは儒教色強め。
「ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ」
私には「デクノボー」は、荘子の「無用の用」と重なって見えます。
ここが最も老荘思想らしく感じます。
日本人そのものでは
詩全体を読むと、私は儒教と老荘の両方を感じます。
A:自分を強く律し、人のために奔走せよ
という儒教的思想と、
B:無欲で、目立たず自然体でいる
という老荘思想。
私もこの両面があります。
Aであれと言われて育ってきたものの、Bにもあこがれている。
今はBを目指しています。
日本人は昔から儒教や老荘思想の影響も強く受けてきたので、当然の帰結かもしれません。
人生経験を積むとわかってくる
しかし、この詩、昔は意味がわかりませんでした。
「デクノボー」と呼ばれて褒められない人間。
そこにいても苦にされない人間。
つまり、生きていることは認められているものの、人が相手にしない人間になりたいってどういうこと?
私は絶対になりたくない。
特に若い頃はそうでした。
でも、いろいろと経験してくると、そこにいるのを認めてもらえるだけで幸せ、という感じがわかってきました。
宮沢賢治の半生を調べてみると、実際に多くの苦難を経験しています。
60代の武器は精神性
金欠、病気、人間関係悪化……
60代にもなると相当、苦しい経験をされてきているはず。
時には賢治のように、
「ホメラレモセズ、クニモサレズ、サウイフモノニ、ワタシハナリタイ」
と思ったこともあるでしょう。
私には、この境地が無為自然に近いように思えるのです。
人生とは、長い時間をかけて、この境地に少しずつ近づいていく旅なのかもしれません。
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