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「才能」で人を集めるのはやめよう ─ 60代から始める、老荘的な“人付き合い”の極意

かつて学習塾で教えていた頃、私は「才能」というものの正体を目の当たりにしました。


3,000人の頂点に立つ子どもたち


私がいた教室には、中3の塾生3,000人の中でトップ10に入るような秀才が5人もいました。
授業中の空気は、常にピリピリとした「冷たい熱気」に満ちています。

彼らの1人に勉強時間を尋ねると、意外な答えが返ってきました。

「夜10時には寝ます。あとは早起きしてやるくらいです」

彼らは、いとも簡単に知識を吸い込んでいく。
努力というより、それが性質だと言わんばかり。
東大へ行くような人間が持つ、独特の軽やかさでした。

「Bクラス」の静かな沈黙


一方で、成績順で分けられた下のクラス(Bクラス)の子たちは、表情もどこか沈んでいました。
講師がどれだけ熱を込めても、なかなか成績には結びつかない。
世間一般で言えば「才能が乏しい」と片付けられてしまいそうな状況。

しかし、そんな中で……

Bクラスからトップへ駆け上がる子が、稀に現れるのです。
彼らを変えたのは、システムの力だけではありません。
「講師との出会い」でした。

人生は「誰と出会うか」で書き換わる


子どもも大人も、誰と出会うかで人生の軌道が変わります。

私自身、長年「孫子の兵法」を仕事にしてこられたのは、恩師である故・佐野寿龍としろう先生との出会いがあったからです。
先生に出会わなければ、私が孫子、そして老荘思想の深淵に触れることはなかったでしょう。

塾の本当の価値は、単なる成績アップではなく、
「学校では出会えない、波長の合う大人に出会える可能性」
を提供することにあるのかもしれません。

60代の「老荘的人脈術」:才能より波長


60代になり、人生を再起動させようとするとき、私たちはつい「自分の才能をどう活かすか」に躍起になります。

しかし、老荘思想的な視点に立てば、大切なのは
才能を自分自身だと思わないこと
です。

才能はあくまで持ち物。
それを振り回して人脈を作ろうとすると、かえって心は疲れます。

これからの人付き合いは、このスタンスで十分でしょう。

「来る者は拒まず、去る者は追わず」
(by孟子、でもその精神は実に老荘的です)

あるミシュラン二つ星の寿司屋の大将は、こう言いました。

「常連になるのはね、結局、気が合う人だけですよ」

どれほど卓越した「技(才能)」があっても、最後に人を繋ぎ止めるのは、才能の凄さではなく「波長が合うかどうか」なのです。

能力よりも「淡さ」を大切に


60代。
もう、能力で自分を証明するステージは卒業です。

「この人といると、水のように心地よい」
そんな感覚を大切に、出会いをコントロールしようとせず、自然な流れに身を任せてみませんか。

「君子の交わりは淡きこと水のごとし」(荘子)

気負わない付き合いの中にこそ、本当に豊かな後半生が待っています。

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