とってもパンチラ
パンチラへの言及はきっと今日もどこかで行われていて、それは、隠蔽とか偶然、はたまた境界や倫理に結びつけられたり、あるいは二足歩行や視覚限界との連関がまことしやかに囁かれていたりする。それら言及は、言及者の特異性を開闢するものとしてあったような気もするし、僕たちに同定を与えるカーディナルポイントとして、パンチラというアイコンが機能しうる証明のような気もする。ようするに、パンチラについては誰がなにを言っても良いってことであって、誰がなにを言ってもパンチラは壊れない。それは、誰がなにを言ってもパンチラには届かないということと、パンチラが過不足のない無敵の存在として確実に存在してるってことを、僕らが前提にしてるからです。「パンチラは、僕たちを遠くから見ている」。
とってつけたような前口上を書いてしまいましたが、パンチラについて俺も一言いっときたい。
お前らはパンチラについて色々言ってきたと思うが、お前らは primitive な問いを忘れてないか。女の子の「存在」と切り離れたところでパンチラ概念はありえるのかってことさ。だからお前らはこれから、俺と共に思考実験をする。
まずは肩の力を抜いてリラックスしよう。とにかくこの実験の目的は、「女の子の存在なしにパンチラは成立すんのか」ってことだから、僕たちは、パンチラから女の子の存在をできるだけ遠ざけるよう務める。それだけである。繰り返すが、問題は女の子の「存在」を遠ざけることだから、これはもちろん倫理の問題ではない。前述した隠蔽や偶然、境界なんかも問題とならない。それらは二次的である。
では、軽くウォーミングアップから。マネキンのスカートからパンチラ。これは問題なくクリアできると思われる。ようするに、僕たちはそこに「パン・チラ」を感じることができる。余裕である。しかし、マネキンからはありありと「存在」の影が感じられてしまうのも疑いようのない事実。まだまだ序の口なのだ。余談だけど、ここで「女のマネキン」を想像した諸兄は反省して欲しい。そんな軟弱なことではこの先が思いやられるぞ。「男のマネキン」は次点。一番良いのは「性別無しのマネキン」あるいは「腰部分のみのマネキン」を想像できた生徒たち。君たちは見込みがある。胸を張っていい。
次は街にくりだそう。僕たちは女子校の門の前に立っている。人影は無し。校舎を見上げよう。なんて呼称かは分からないけど、校舎の上の方にアナログ時計があるでしょ。その分針を見つめる。1分経つと分針が動く。分針が動くと、今まで分針によって隠されていた、見えなかった校舎が、分針の面積分だけ見えるようになる。はい、「パン・チラ」。……ここで脱落する奴は多いと思う。前段と比べて突然のレベルアップに戸惑う生徒も多いと思う。でも、よく考えてみろ。女子校の校舎だよ? 隠されてた部分がチラリと見えたんだよ? 全然興奮しないの? じゃあ、あれだ。偶然性を重視する奴は「強風で分針が折れた」ことにしてもいい。そこまで譲歩する。どうなの? 校舎目線ではどうなの? 校舎目線で「強風で分針が折られちゃった」「みちゃダメ」を感じろ。かつ、安易な擬人化には陥るな。擬人化したのでは存在の影を消せない。存在をギリギリまで消去する努力の中で、自分の中のパンチラをどこまで感じることができるのかを見極めろ!
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