「国際連盟脱退、日本はなぜ出て行ったのか」
「1933年3月27日、日本は国際連盟を脱退した。」
教科書ではそう1行で終わる。
ここから日本は太平洋戦争への道を突き進むことになる。
しかし「なぜ」の部分は、調べれば調べるほど単純ではなかった。
■ 満州事変という引き金
1931年9月、関東軍は満州鉄道の線路を自ら爆破し、それを中国軍の仕業として満州への軍事行動を開始した(柳条湖事件)。政府や外務省はこの行動を事前に知らなかった。軍が独走した。
中国は国際連盟に提訴した。連盟はリットン調査団を派遣し、1932年に報告書を提出。「日本の軍事侵攻は認められない」という結論だった。
■ 松岡洋右の演説
1933年2月、連盟総会で採決が行われた。賛成42、反対1(日本)、棄権1。
日本全権の松岡洋右は演説を終えると、議場から退場した。その姿は日本国内で英雄的に報道された。「孤高の退場」として。
しかし現実は違った。
■ 全員一丸ではなかった
外務省内には連盟残留を主張する声が根強くあった。幣原喜重郎ら国際協調派の外交官たちは、脱退が孤立を招くと警告していた。
海軍も慎重だった。石油資源を持たない日本にとって、国際的な孤立は死活問題だ。
陸軍の中にも、満州問題と連盟脱退を切り離して考えるべきだという意見はあった。
「全員一丸となって戦争を目指していた」わけでは、決してなかった。
■ では、なぜ脱退したのか
一言で言えば「引き返せなかった」からだ。
満州事変を軍が独走し、政府が追認し、メディアが英雄視し、世論が熱狂した。その流れの中で「間違いでした」と言える政治家がいなかった。
松岡の退場は、その流れの到達点だった。
■ 「もし」を考えた
この経緯を調べながら、私はずっと考えていた。
引き返せるポイントは、本当になかったのか。あの議場で、別の言葉を選んだ外交官がいたとしたら。
それが小説「太平洋の夢」の出発点だった。
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