a Little Poison
ここ数日、風邪気味だったのだけど、今朝ようやく無事に回復した。
体内の毒を排出し終えたと思しき軽い身体で、るんるん気分で冷蔵庫を掃除していたら、無性にシュークリームが食べたくなってきた。
衝動的な食欲に肉体が駆動していく感覚が愛おしい。
だって、カスタードクリームに喜びを感じられない人生なんて考えられないもの。
玉ねぎの皮カスだらけだった野菜室を拭き上げ、ゴミ出しついでにコンビニに立ち寄る。店内には若いカップルがいた。聞こえてくる会話からして、目的は朝ごはんとタバコの調達らしい。
女子の表情がとても豊かだ。スイーツコーナーの前でショートカットをぴょこぴょこと揺らす彼女に、男子がやれやれ顔でそれに応じている。それでも男側から滲み出る幸せオーラ。うーん、楽しそうでなによりです。
二十代前半くらいかなあ。大学生にも見えるし社会人カップルにも見える二人。ともかく仲良さげに商品棚を見て歩く二人の姿に、なんだかすごく満たされる心地がする。それと同時に、すごく下世話なんだけど、もしかしたら昨晩、身体を重ねたりしたのかなって妄想が脳裏を掠めた。
もし、二人がそうであったとしたら、いいなと思った。あの二人が性交渉という暴力を乗り越えて、それでも仲睦まじくしているのであれば、それは本当にすごいことだ、と思うから。
僕は根本的に、性交渉というのはほとんど暴力であると思うのね。肉体的に強い個体が、相対的に弱い個体に対して、かなり一方的な身体的リスクを負わせる行為。もちろんそれは自然の摂理であり、生命体として正しい行為だ。でも、生命体としての正しさは、必ずしもそこに帯びる暴力性を否定してはくれない。
せめて肉体的に強い男が妊娠を引き受けるシステムにしてあればよかったのにな、って思う。肉体的に強い側がリスクを負えばよかったのに。
ま、それじゃ「産めよ殖やせよ地に満ちよ」ができないか。終末を迎えた世界で、それでも「両性の同意に基づく生殖行為」がプリインストールされていたら我々は瞬く間に滅びてしまうだろう。
種の生き残りのために、暴力性が保存されている。そう思うと、なんともなあ…という気持ちになる。あ、いまの僕「理解のある男ヅラ」しててキモいかな。そうね、ちょっとキモいよね。僕もそう思う。
閑話休題。だからさ、なんていうかな、他者からの暴力同然の行動を受け入れてもなお、仲良くできる関係性って奇跡みたいな話だなあって思うんだよね。それが美しいとは思わないけど、救いではあるよなって思う。
暴力はダメなことだと知っている。好きな相手のことは傷つけたくないと思う。でも、原理的に自分は暴力を内包している。もし、まったく暴力的でない在り方を目指していこうとするならば、それはまた去勢という別の暴力を受け入れることにもなる。とかく現実はままならない。
でも、仲良しカップルを見ていると、決して暴力を肯定するわけではないのだけど、全否定するわけでもない――そんな在り方があるんじゃないかって、夢を見せてもらえるんだよね。
身勝手な祈りだってことはわかってる。でもね。どうか女性側が、男性による暴力を上手に乗りこなしていて欲しい、って思ってしまうんだよね。
袋の有無は聞いてくるのに、無条件で箸をつけてくれる店員さんと別れ、編集画面の前でシュークリームをかじっている。バニラエッセンスの嘘みたいに甘い香りが愛おしい。
せめて、自分の暴力性については自覚的でありたい。暴力をゼロにするのは難しいのであろうけど、だったらいきなりメーターの針を反対側に振り切ってもいい、というわけでもない。自分の性欲が、彼女さんにとってほんの小さな毒程度であればいいな。愛情とか親愛の甘い香りでごまかせる程度に。
