見出し画像

自分の命が次に繋げられないと悟ったとき、人はどうなるのか ― バツなし子なしアラフォー男が「無敵の人予備軍」から抜け出せた経験と思考

僕はまともに恋愛をした経験が少ない。

子供の頃から、誰かに恋愛感情を抱くたびに、その人は離れていったからだ。

例外なく。

一人も残らなかった。

最初は「タイミングが悪かった」と思った。
次は「自分の伝え方が悪かった」と思った。
その次は「相手との相性の問題だ」と思った。

でも何度目かを超えたとき、もうそういう言い訳は自分に通用しなくなった。


僕は郡上市で生まれ育った。
地方の小さなコミュニティの中で、子どもの頃から「浮いている」感覚があった。

クラスの空気を読むのが苦手だった。
みんなが笑っているときに、なぜ笑うのかわからないことがあった。
逆に、誰も気にしていないことが気になって仕方なかった。

いじめ、というほど激しいものではなかったかもしれない。
でも「そこにいるのに、いないように扱われる」という経験は、長く続いた。
透明人間のように、存在を無視される日々。
それは時に、暴力より深いところに刺さる。

助けを求めても、誰も相手してもらえなかった。
お前に問題がある、と言われたこともあった。
他人に対する期待や信頼は、日に日に薄れていった。

孤立の中で、人間観察だけが上手くなった。

人の表情の微細な変化。
言葉と本音のズレ。
集団の中の力学。

これだけ分析できるようになっても、自分がその集団の中に入る方法はわからなかった。

そんな僕でも、一応は人並みに青春したいという欲求はあった。

だが、小学生の時も、中学生の時も、高校生の時も、仲良くなりたい人や片思いした人は僕を避けていった。
そりゃ、クラスの中でもカーストの底辺に居る奴から好かれても迷惑だっただろうさ。
妥当な判断だと思った。

大学生になって環境が変わっても、思いを寄せた人は知らないうちに居なくなっていた。
不思議に思っていた感覚が、次第に形を帯びてきた。

社会人になって、出会いの幅は広がった。
職場内や、合コンで出会ったり、何かのイベントで知り合ったりした。
その中でやっと、この人なら大丈夫だ、と思い関係を持った人も、理由を告げずに離れていった。

そして確信した。

僕は人に恋をしてはいけない。
好きになってはいけないのだ、と。


アラウンド40。
アラフォー。

40歳という節目に近づきつつある現実の中、ある事実が静かに確定していった。

バツなし。
子なし。

「まだわからない」という余白が、自分自身の可能性が、未来が少しずつ閉じていく感覚があった。
恋愛感情を持つたびに相手が離れる経験が積み重なって、「自分の命は次に繋げられないかもしれない」という認識が、頭の中に定着し始めた。

家庭を築き、命を繋ぐことができない。
生命体としての致命的な欠陥。

これを読んでいる人の中には、「まだ諦めるな」と言いたくなる人もいるかもしれない。

でも僕が書きたいのは、そういう話ではないし、そんなことはもうどうでもいい。

その認識と、どう向き合ったか、という話だ。


「無敵の人」

失うものが何もなく、社会への怒りや絶望を持ち、他者を傷つけることへの抑止力が働かなくなった人間、という意味で使われることが多い。

僕がその予備軍になりうると感じた瞬間は、何度もある。

孤立の蓄積と、繰り返される喪失と、「自分はここに存在してよいのか」という問いが重なった夜があった。

怒りではなく、無力感に近い状態。
感情の火が消えると、人間は案外静かになる。
その静けさの中で、「もう、どうでもいい」という感覚が、すべてを覆いそうになった。

でも、そうはならなかった。
なりたくなかった。


「自分はこれだけのことを社会から受け取りながら、次に何も渡せない存在だ」という無力感。
「渡せるはずだった、生まれてくる可能性があった命に、その一切の選択肢を与えることができなかった」という自責の念。

未来の可能性に対する「罪」。

その罪滅ぼしのために、まだ生きねばならないと思うようになった。
無責任に逃げてはいけないと思った。

未来だけではない。
社会だけではない。
世界だけではない。

親がいる。
祖父母がいる。
その上にも、名前も知らない先祖たちがいる。

彼らは命を繋いできた。
苦しい時代も、貧しい時代も、戦争の時代も、それでも命を繋いできた。
その末端に、僕がいる。

その連鎖を、命のバトンを僕のところで止めてしまう。

これを「申し訳ない」という感情で受け取り、潰れそうになったことが何度もある。

でもある夜、その感情が少し別のものに変わった。

「これだけの命の重みを背負って、ここに存在している」という感覚に。

何世代分もの生が、僕という一点に集まっている。
それを縦に渡せないなら、せめて横に広げる責任がある。
先祖たちが命を繋いだように、僕は言葉を繋ぐ。
思想を繋ぐ。
同じ時代を生きている誰かの人生に何かを渡すことで、間接的に彼らの命を未来へ届ける。

「渡せないなら、別の形で還せばいい」

命を縦に繋ぐことができないなら、横に広げることができる。

子を授かり育てることはできない。
でも、誰かの思考に影響を与えることはできる。

血を継ぐことはできない。
でも、考え方や在り方を誰かに手渡すことはできる。

これは慰めではない。
代替案でもない。

先祖たちへの約束だ。

ある夏の日、先祖の墓前で誓いを立てた。

うちの家系は僕で終わるけれど、違う形で何かを残す。
これが僕の役目だ、と。

その役目を果たさないと、あの世で合わせる顔がない。


「次の世代に直接渡す」という回路が閉じたとき、人は「それ以外の形で何かを残す」ことへ向かわざるを得なくなる。
その形が思想だったり、美学だったり、作品だったりする。

哲学者の思索の多くは、子を持たなかった人間が書いている。
芸術家の作品の多くも同じだ。

これは偶然ではないと思う。

縦ではなく、横へ。
血ではなく、言葉と想いで。


自己評価について、長い間勘違いをしていた。

「自分を好きになること」が自己肯定だと思っていた。
でも自分を好きになれない時期の方が圧倒的に長かったし、今もそれほど好きではない部分がある。

気づいたのは、自己肯定と自己容認は違うということだ。

自己容認とは、「これが今の自分だ」という事実を、評価なしに認めること。
好きでも嫌いでもない。
ただ、ここにいる。

それは弱さでも強さでもなく、ただの出発点。

自分がここにいるという事実から始めることで、初めて「何ができるか」という問いが立てられる。

自己嫌悪の中にいるとき、その問いは立てられない。
なぜなら自己嫌悪は「なぜこんなに自分はダメなのか」という問いを無限に繰り返させるからだ。


人として好き、尊敬する、という感情は誰かに抱ける。
でも恋愛感情を抱くことへの抵抗がある。

これは欠陥ではないかもしれない、と今は思っている。

恋愛感情を手前で止めることで、僕は「人として向き合う」という回路だけを使い続けてきた。
それが長年の孤立の中で磨かれたものかもしれない。

そしてパーソナルトレーナーとして、書き手として、郡上に生きる人間として、僕が関わる人たちとの関係は「人として向き合う」という形でしか成立しない。

もしかしたら、僕が渡せるものは、そういう関わり方の中にあるのかもしれない。

「人として向き合い、言葉と想いを渡す」
それが、僕が生まれてきた理由で、使命なのかもしれない。

その使命を全うするために、

「お前は恋愛なんかしている場合じゃないよ」

何か大きな存在から、そう言われているような気がする。


「神は乗り越えられる試練しか与えない」という言葉は、宗教的な響きがあって好きではなかった。

でも最近、少し解釈が変わった。

試練とは、神が与えるものでも運命が与えるものでもなく、「その状況の中で何を選択するか」という問いが与えられた状態のことだ、と思うようになった。

今思えば、孤立は試練だったかもしれない。
でもその孤立の中で、人間観察と思考の深度だけが育った。
小学生ながらに、なんで自分という端末にこの魂が宿ってしまったのだろう、選んでしまったんだろう、と何度も考えることがあったくらいだ。

命が次に繋げられないという事実は試練かもしれない。
でもその事実の中で、「別の形での還し方」という問いが育った。

試練は問いだ。
答えではなく。


無敵の人予備軍から抜け出せたのは、強くなったからではない。

「自分が何者であるか」という問いの答えを見つけたからでもない。

「自分が何を還せるか」という問いに、仮の答えを見つけたからだ。

仮でいい。
変わってもいい。

ただ、その問いを持ち続けることが、「失うものが何もない」という感覚から、「渡したいものがある」という感覚へ移行させてくれた。


最後に。

同じような場所にいる人へ。

バツなし、子なし、アラフォー、孤独な夜を知っている人へ。

「命を次に繋げられない」という事実は、欠落ではないかもしれない。

縦に渡せないから、横に広げることができる。

血を継げないから、言葉と想いを継ぐことができる。

それが、僕が今のところ辿り着いた、罪滅ぼしの形だ。

いいなと思ったら応援しよう!

曽我 雄介 / 整える生き方 あなたの応援が執筆のモチベーションになります!いただいたチップは活動費に使わせていただきます!