フェミニストは無責任だ
令和のさす九騒動に関連して、考えたことがある。「特定の地域を侮辱するな」と私に直接、反論を唱えてきた人は女性が多かった。私は「九州の女性差別は格別だぞ〜!」などと煽ったことはもちろんないのだが、彼女たちは私がフェミニストというだけでそうしていると思い込んでいた。
彼女たちは尊敬する父長たちを侮辱されたことに怒りを感じている。日頃から女性差別に勤しんでいるミソジニストとは違い、時と場合によっては女性差別にノーと言うのだろう。しかし、女性を凌駕する存在、男性や地域が出てくると、途端に女性の優先順位が下がってしまう。女性差別への反発は父権に逆らうことを意味し、権力を信じる人々にとってはそれが許せないのだろう。飼い主(男性)の手を噛んだ犬は飼い主の妻によって叱られなければいけない。これも父権社会で生まれ育った女性によくある防御反応のひとつだ。
その中で「じゃあ私の家族や周りの男性のような亭主関白じゃない九州出身の男性が差別されたらどうするのか」と聞かれた。繰り返しになるが、わたしはさす九の祖でもなければ煽動者でもない。フェミニストだからと言うだけで誤解されたので否定し、九州のステレオタイプは今に始まったことではないのになぜ女性たちの体験談だけをデマ扱いするのかを疑問提起しただけだ。
まぁ良い機会なのではっきりさせておくか、と「知りません。それは私の関心事ではないからです。九州男性に対するステレオタイプなイメージは「さす九」のずっと前から存在するのに、それはコントロールしなくていいんですか?不思議ですね。」と返した。すると「フェミニストがこれほど無責任だとは」とまだ見ぬ地方差別恐る人々が阿鼻叫喚する事態となった。
人々はフェミニズムがあらゆる差別に反対するように期待している。トランスジェンダー問題をはじめ、男性らしさの強要への反発、反戦運動、人種差別、民族差別など、女はあくまでひとつのくくりに過ぎないかのように捉えている。これはひどい誤りで、女性差別は女性差別として抗議しなければ改善できない。なぜなら女性という属性は常により大きな属性の影に隠れ、後
回しにされてきたからだ。
世の中には様々な社会的マイノリティが存在し、有色人種、少数民族、少数派の宗教、貧困、戦争難民など挙げたらキリがないが、そのどれもが男性を前提としている。女性という属性は常に二番手、もしくは属性自体に性別が存在しないように扱われる。だからこそ女性に関することはひとつのグループとして確立して考えなければ、後回しにされてしまう。
フェミニズムは森羅万象すべてを包み込む思想ではない。女性の地位向上を目的とした女性による社会運動である。にもかかわらず、フェミニズムに懐疑的な人々はじゃあ男性はどうでもいいんですか?戦争は?貧困は?難民は?と違う属性を持ち出してくる。彼らの目的は本題のすり替えだ。「どうでもいい」と言ったら差別主義者のレッテルを貼り、「どうでもよくない」と言ったら女性たちの場を乗っ取る。今日の包括的なフェミニズムは後者で、見事に本題を見失った。
聖母マリアが全てを受け入れて包み込むように、近年のフェミニストはあらゆる差別に反対することを期待されている。これは太古から変わらない、女への呪いだ。父権社会を通して「女は自分を犠牲にしながら他者を押し上げるものだ」という呪いが私たちの中には植え付けられている。差別をされてきた側にとって、誰かを見捨てることは難しい。実際は「専門外です」と伝えているだけなのだが、それでも「ノー」と言うことに罪悪感を覚えるのだろう。
フェミニストでいることは常に重箱の隅をつつかれているようなものだ。「フェミニストなのに〇〇なんですね」と言われると、自信が揺らぐ瞬間がある。ここでは信念の強さは関係ない。相手の目的は質問された側を自己嫌悪と疑心暗鬼に陥れることだからだ。私のような発達障害児は相手の質問の意図が分からず「変な人だな」としか思わないが、どうやら普通の人は自分の中にある矛盾を探してしまうようだ。私の最近の学びだ。
考えてみて欲しい。心臓が痛いのに眼科に行って対応されなかったからといって「無責任だ!自分は死ぬかもしれないのに!」と罵る人がいるだろうか?いたとしてもそう考える人がおかしいと思うだろう。フェミニストにこの世の全ての差別の責任を背負わせようとする人々の存在こそ、私たちがフェミニズムを必要としている証拠だ。
女というひとつのアイデンティティだけを尊重できない彼らの中にはミソジニーが健在している。ミソジニーは男性だけのものではなく、父権社会で生まれ育った全ての人に根付いている。己の中のミソジニーを克服してこそのフェミニズムであり、本当の意味での思想はそこから始まるのだろう。
だから「フェミニストは無責任」という声に対してはこう言おう。「えぇ、無責任ですとも。フェミニズムは生物学上の女性少女のためにあるので、それ以外は関係ありません。どうぞ他所でやってください。おとといきやがれ!」と。
