4人の子どもを通じてみえる「学校」−小学校に下駄箱がない話
4人の子どもを通じてみえる「学校」——はじめに
教育大を出て教員免許も取った、でも先生にはならなかった。
今4人の子どもが学校に通っている。小学校から高校まで、全部同時進行で走っている。
学校や教育を見るとき、基準は自分が通ってきた道しかない。山口の公立校で30~40年前。地域差なのか、時代差なのか、先生によって違うだけなのか、よくわからないことが多い。
第1回:学校に下駄箱がない
神戸に就職して地元の人と話していて最初に驚いたのは、学校に下駄箱がないことだった。最初は「うそやん」と思ったが、そのまま気にしないでいた。でも子どもが小学校に入学して、あらめてリアルになった。
土足制。神戸の小中学校の9割がそうらしい。山と海に挟まれた神戸では土地が狭く、下駄箱を置くスペースがなかった、外国文化の影響、など諸説あるが明確な理由はわかっていない。(神戸新聞の記事はこちら:https://www.kobe-np.co.jp/news/backnumber/201708/0011730858.shtml)
たまに雨の日は靴がびしょぬれで大変そう、とは思う。でも子どもは気にしていない。
高校まで制服で育った身からすると、私服でランドセルもまだ慣れない。集団登校の班もない。入学式の翌日、1年生の子どもが一人で登校する姿は「大丈夫?」と思った。
下駄箱だけじゃない。私服か制服か、集団登校があるかないか。学校ごと?地域ごと?全然違う。公立の義務教育なのに。
なんでこんなに違うんやろ、と思った。学校という仕組みは江戸時代の藩校や寺子屋から各地域に根付いてきたんだろう。明治になり学制や教育勅語が出され教育基本法ができたのは1947年だけど、「学び」はそれよりずっと前からあった。時代ごと、地域ごとの文化や習慣が、ゆっくりと変化しながら今もそのまま残っているのかな、と思ったりする。
GIGAスクールのこと
連絡帳がPCに代わったのはコロナあたりから。GIGAスクール構想というものがある。2019年に閣議決定され、子ども一人ひとりに1台の端末を配り、個別最適な学びを実現しようという取り組みだ。コロナで一気に前倒しになり、2021年度にほぼすべての小中学校で整備が完了した。(文部科学省の公式ページはこちら:https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/zyouhou/index.htm)
最初に配られたPCはとにかく動作が重かった。今年からはiPadになった。
自分たちの世代は、まず頭で理解しようとして迷子になった気がする。でも今の子どもはそんなものは関係なしに、最初から「当たり前」として使っている。そこにあるものとして。すごいというより、教育の深さと怖さを感じる。当たり前が変わっていく感覚。
デジタルがいい、手書きに回帰すべき、今いろんな議論がある。でも結局、毎朝子どもと一緒に連絡帳(アプリ)で持ち物を確認している。道具は変わっても、やることは変わらない。
次回は、、
もう少し、今の小学校と小学生、そしてSNSについて書いてみようと思う。
あとがき
書きながら気になったことがある。最近、幕末にはまっている長女と話していて、ふと気づいた。他の地域は坂本龍馬、西郷隆盛と英雄的な人物が人気だけど、山口は吉田松陰先生だなと。高杉晋作も伊藤博文も桂小五郎もいるのに。
弟子たちの方が歴史的には派手なのに、山口の人は先生を一番愛している。
自分の小学校も私塾が起源で、松陰先生の妹の夫である楫取素彦も関わった学校だ。多くの小学校が寺子屋や私塾を母体に生まれたとすれば、それぞれの地域の学校文化にも、そういう教育への想いが残っているのかもしれない。

