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水は、誰かのためにあった  兼六園 石川金沢

登り坂を進む。
眺望台と呼ばれる場所で、視界がすこんと開けた。
海抜53メートル。
金沢の街と、卯辰山、白山の山並みまで見渡せた。

不思議だった。
ここは台地の上のはずなのに、すぐそばで水の音がしている。
振り返ると、池があった。
山の上に、川が流れているような光景だった。


この水は、江戸時代に引かれた辰巳用水だという。
今から400年近く前、三代藩主・前田利常が、板屋兵四郎という技術者に命じてつくらせた。
犀川の上流から、約11キロ。
岩盤をくり抜いた4キロのトンネルを含む水路で、水を城下まで運んだ。
高低差を利用したサイフォンの原理で、この庭の池から、さらに高い場所にある城の二の丸まで、水を押し上げていたのだという。
一年足らずで、この精度の工事を終えたと伝えられている。


園内には、日本最古とされる噴水があった。
自然の水圧だけで吹き上がる、シンプルな仕組み。
もともとは観賞用ではなく、城まで水を送れるかどうかを確かめる、試作装置だったらしい。
実験だったものが、今は美しい風景として残っている。
藩主のための水は、いつしか、ここを歩く誰のためにもなっていた。



兼六園という名前には、六つの勝れた要素が込められているらしい。
宏大、幽邃、人力、蒼古、水泉、眺望。
中でも「水泉」と「眺望」は、両立が難しい組み合わせなのだという。
豊かな水は低い土地に流れ、眺望は高い土地でしか得られないから。
この庭は、その両方を同時に叶えていた。
さっき見た、すこんと開けた景色と、絶えず流れる水の音。
どちらも、同じ場所にあった。



池を離れて歩くと、思ったより広かった。
広場がいくつもあって、梅園があって、木々を楽しむための小道が続いていた。
池だけの庭だと思っていたから、少し驚いた。
一歩進むごとに、違う景色が現れた。
同じ場所からは、同じ庭に見えないように、道がつくられているらしい。
探検しているような気分になったのは、そのせいだったのかもしれない。

すぐそばに、金沢城がある。
兼六園は、もともと金沢城の外庭としてつくられたのだという。
城が政治の中心だった頃から、この庭は、その隣にあった。
街を巡るバスも、この庭を軸に走っている。
城下町の中心だった場所は、姿を変えながら、今も街の中心であり続けているらしい。


藩主やその家族が、この庭を歩き、この水を眺めて楽しんでいたのだと思うと、想像がふくらんだ。
実用のための水路が、いつのまにか、人が心を休める場所になっていた。



紅葉は、まだまばらだった。
その隣で、職人たちが雪吊りの準備をしていた。
縄を、木の一本一本に巻きつけていく。
霞ヶ池のほとりの、唐崎松からだという。
テレビでよく見る、あの松だ。
秋と冬のあいだに、いるようだった。

水の音は、どこまで歩いても、途切れなかった。
この足元の下にも、400年前の水路が、今も流れている。


広い兼六園を歩き続けた。


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