人の背中に、人生が見える
先日、会社の研修に参加した。
僕の席は、縦に並んだ最後列のほぼ中央。
そこから見えるのは、前に座る人たちの“頭”と“背中”だけだった。
講義は淡々と進んでいたけれど、正直に言うと、僕はあまり内容が頭に入ってこなかった。
理由はシンプルで、ずっと別のことを考えていたからだ。
この場に、女性が一人もいない。
参加者は全員、管理職クラスの男性。
世の中では「女性管理職を増やせ」と何度も言われているのに、目の前の光景はその真逆だった。
理想と現実の距離を、あの整然と並んだ背中たちが、静かに物語っていた。
ふと、視線を落として、前の人たちの後ろ姿をじっと眺めてみる。
真っ白な髪。
薄くなった頭頂部。
すでに何もない頭。
……自分のことは棚に上げて、ずいぶん失礼な観察だ。
でも、不思議なことに、その背中を見ていると、自然と“過去”が浮かび上がってくる。
一緒に働いたことのある奴。
新人の頃に出会った奴。
口論したこともあったし、朝まで飲み明かした夜もあった。
無茶な営業目標に、休みを削って食らいついた日々もあった。
あの頃は、みんな前を向いていた。
いや、前しか見えなかっただけかもしれない。
余裕なんてなくて、選択肢なんてあるようでなかった。
それでも、辞めずに、逃げずに、ここまで来た。
その結果が、今、目の前に並んでいる。
「目は口ほどに物を言う」とよく言うけれど、
僕は思う。
人の背中は、それ以上に語る。
取り繕えない。
誤魔化せない。
言い訳も効かない。
何を背負ってきたかが、そのまま形になっている。
うまくいかなかった夜も、飲み込んだ言葉も、
折れかけた心も、全部そこに残る。
どの背中にも、きっと“やめなかった理由”がある。
4時間の研修は、あっという間に終わった。
結局、肝心の内容はほとんど頭に入っていなくて、後日、同僚にポイントを教えてもらうことになった。
何をしに行ったのか、と言われれば、その通りだと思う。
でも、ひとつだけ、はっきりと残ったものがある。
あの背中たちは、「こうなった結果」じゃない。
「こうするしかなかった積み重ね」だ。
選んできたようで、選ばされてきた道。
耐えて、飲み込んで、続けてきた時間。
それが、あの形になっている。
そして、ふと思う。
自分の背中は、どう見えているだろうか。
誇れるものが乗っているのか。
それとも、ただ耐えてきただけの重さなのか。
もし今、後ろから誰かに見られたとき、
そこに“生き様”は映るのか。
でも、ひとつだけ言えることがある。
背中は、これからでも変えられる。
これまで何を背負ってきたかは消えない。
だけど、これから何を背負うかは、自分で選べる。
ほんの少し顔を上げて、
ほんの少しだけ、自分で選ぶことを増やしていけばいい。
そうやって積み重ねたものは、きっとまた、背中に現れる。
いつか誰かが、ふと振り返って、
自分の背中を見たときに思うだろう。
「ああ、この人、ちゃんと生きてきたんだな」と。
その一瞬のために、
今日の選択を、少しだけ丁寧にしていきたいと思う。
