流血と生首を望んだ民衆たち〜人権と自由を守ったギロチンに思う
2024年パリ五輪の開会式では、賛否両論を巻き起こした”憎い”演出があった。首から上がない赤いドレスを着た何人もの女性たちが自らの生首を持って登場したが、フランス革命を示す事は明らかだった。つまり、あの生首の人形こそがギロチンで処刑された王妃マリー・アントワネットであり、彼女を閉じ込めた監獄の窓から赤い紙テープと煙が噴き出し、それらが流血を想起させ、革命をモチーフにしてる事も明白だった。
逆をいえば、パリ五輪の開会式のネタにする程に、ギロチンがフランスのいやフランス革命の象徴の一つだったという事になる。
この”生首”の演出は衝撃的で、フランス文学が大好きな私には”誠にフランスらしい”と肯定的に思うのだが、平和な日本人には残酷に思えた事だろう。
勿論あってはならない事だが、2021年の東京五輪で昭和天皇の生首を演出する様なもので、そんな度胸と覚悟が今の日本人にあるのだろうか。平和と民主主義と安全をアメリカに100%依存してきた日本には、そんな奇抜な発想はないだろう。
皇妃の首をはねたギロチンに思う
そんな平和な日本とは対称的に、パリ五輪開会式でのアントワネットの生首は、ギロチンにより大量の血が流れたフランス革命を、多くのフランス国民が今も誇りに思ってる事の実証でもあり、人類の歴史上類を見ない残酷な結果となった革命が大衆の誇りになりうるのは、こうした市民革命により彼らが人権と自由を確立したからにある。
因みに、フランス革命は1789年7月に勃発し、民衆がバスティーユ牢獄を襲撃し、革命は瞬く間に全国に広がる。翌月、国民議会は”人権宣言”を採択し、法の下の平等などの”基本的人権”や”国民主権”など、革命の理念が表明された。つまり、フランス革命は”近代市民社会の出発点”といわれ、国王や皇妃だけでなく民衆らの多くの生首を飛ばしたギロチンこそが、現代の民主主義を生んだとも言える。
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医学博士でもあり国会議員でもあったジョセフ・ギヨタンだが、医師の立場から”人道主義的な処刑”としてギロチンの採用を訴えたが、その後、自由と平等の視点からギロチンを”卑怯な殺人”と断罪したロベスピエールは封建的特権階級を撤廃し、平民らに土地や自由をもたらす。と同時に、反革命勢力らをギロチンで大量処刑する”恐怖政治”の頂点に君臨し、彼の時代だけでも約1万6000人もの人々が処刑された。だが、そのギロチンにより、かつては死刑制度反対を唱えたロベスピエールは自ら断罪したギロチンにより処刑される。
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確かに、処刑執行人の視点から見れば、”ギロチンありきの人道主義”となろうが、当時のフランスでは死刑制度廃止の意見は不思議と少なく、ギロチン刑そのものが民衆への見せしめや圧力や脅しとなり、その一方で”民衆への見世物”という娯楽的な要素も強かった。
国内が大混乱する時代に、”善意の王”と大衆に高く評価されたルイ16世だが、処刑方法ではなく死刑制度そのもののあり方を見直すべきだったろうが、国内の腐敗と民衆の自由への叫びはそれどころじゃなかったのだ。
ともあれ、自由と平等の理想から生まれた筈のフランス革命だが、結果としてギロチンという大量殺戮マシンを生み出し、国家を統治すべき国王や議員ら、それに命を救う筈の医者らが関わり、大衆にとっては”復讐の処刑台”へと変貌していく。
こうして、国王や政治ではなく、ギロチンそのものが恐怖政治の頂点に君臨し、フランスは混乱と迷走の時代を加速させていく。
ギロチンが生んだ恐怖政治
勿論、時代と言えばそれまでだが、ギロチンの残酷さや処刑人の負担よりも、当時の死刑制度のいい加減さや曖昧さには理解に苦しみ、呆れかえるものすらあった。例えば、窃盗未遂や器物破損、それも少しでも疑いが掛けられたら即死刑という単純さこそが真の恐怖政治なのだろうが、当時の死刑制度と現在の死刑制度では雲泥の差がある事も事実である。
その一方で、フランス人は侍の切腹には”理解できない”と言い、日本人は”キロチンこそが非人道的で矛盾してる”と異を唱える。
確かに、ギロチンと切腹の違いで言えば、フランス人と日本人の処刑に対する価値観や考え方の違いも無視できない。ですが、”潔い”という点では騎士道と侍の精神には共通するものがある。
事実、ギロチンと切腹の最大の違いは、処刑の目的と死に対する個人の主体性にある。
ギロチンが国家が(身分に限らず)罪人を強制的に処罰する人道的な死刑装置であるのに対し、切腹は名誉を守る武士だけに許された”自決の儀礼(名誉刑)”と呼ぶ特権階級的側面を持つ。勿論、前者は人道的とは言え強制的死刑である事には変わらず、後者は自分の意志で命を絶つ”自害”とは言え、伝統儀式の側面も強く、強制的な部分がないとも言い切れない。
昨今の観点で言えば、両者ともに命と人権を軽視した刑罰のあり方で、死刑に関する是非とは別に考える必要がある。
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因みに、革命以前のフランスでは、平民は絞首刑で貴族は剣を用いた斬首刑と差別されてたが、剣による斬首刑では切腹と同じく一度で死に至る事が少なく、激しい苦痛が伴うし、処刑人の精神的負担も大きかった。また、絞首刑や斬首刑の他に、凶悪犯に対しては”八つ裂きの刑”や”車裂きの刑”など公開される事はなかったが、極端に残忍な処刑も行われていた。
その後、革命による人権宣言の発布を受け、平等で人権に配慮した処刑方法としての断頭台がギヨタンにより考案されたが、英語で”ギロチン”と呼び、その名が一般に普及する。
因みに、ギロチンはフランス・ドイツ・ベルギーでは後に死刑制度が廃止されるまで使用され、フランスで死刑制度が廃止されたのは1981年の事で、20世紀までギロチンが使われてた事になる。
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こうして200年近くも続いたギロチンを生み出し、1789年に始まったフランス革命だが、1793年には国王ルイ16世がパリの革命広場でギロチンで処刑され、続いて王妃マリー・アントワネットもギロチンで処刑された。流石に、現代人には生首を簡単に切り落とすギロチンは非常に残酷に冷酷にも感じられるが、革命当時の大衆にとって、苦しまずに一瞬で死ねるギロチンで国王と王妃を処刑したのは、ある意味“人道的な優しさ”だったのだろうか。
だが、機械的に大量の処刑が瞬時で行えるが故に、処刑人の負担も激減し、ギロチンは正義の剣どころか恐怖政治の象徴とみなされていく。因みに、ギロチン刑が行われた革命広場は”常に血の生臭いが充満し、猫一匹近づかなかった”とされるが、現在はコンコルド広場と名を変え、パリ五輪ではスケボーの競技が行われたというから、時代は変わるもんだとつくづく思う。
ギロチンが教えてくれたもの
ギロチンが処刑した人々には「質量保存の法則」を発見したラボワジェやフランスの女流劇作家オランプ・ド・グージュがいた。
特にグージュは、人権宣言に”女性が含まれていない”と訴え、女性の政治参加を主張した初めての女性となったが、世間には受け入れられず、かつて”自由と平等”を掲げたロベスピエールは反革命的とみなし、彼女をギロチンで処刑。こうした彼の過ぎた恐怖政治はクーデターを生み、逮捕された翌日には裁判もなしにギロチンで処刑されるが、ルイ16世処刑後の僅か1年半後の事であった。
革命初期から死刑廃止を訴えてたロベスピエールだが、その奇怪な人生は正義を貫く事の矛盾と怖さだけでなく、簡単に大量の人々を処刑できるギロチンが真の意味で“人道的”であったのかを考え直すきっかけを与えてくれる。
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パリ五輪の開会式で私が見たマリー・アントワネットの口から放たれた”赤いテープ”には、ある種の悲しみと開放感が混在し、ギロチンによる生首と血に飢えた当時の民衆の自由と平等への渇きが漠然とした”煙”となり、彼女を取り囲んでる様にも思えた。
国王ルイ16世を処刑したシャルル(4世)・アンリ・サンソンは処刑執行人としての自身の運命とその世襲制を恨んだ筈だし、国王も王女も同じであろう。事実、あの革命は国王(君主制)と言うより宗教の力に追う所が大きく、大衆が宗教に屈した結果とも言えなくもない。
確かに、バルザックは「人間喜劇」の序論の中で、宗教と君主政の2つに永遠の真理を見出したが、バルザックの自著「サンソン回顧録」で描くサンソンは死刑執行を永遠の真理ではなく職業として遂行した。
つまり、国王の真理であり”鋼鉄の刃”と呼ぶ拠り所があった筈のルイ16世は、王女というだけで何ら拠り所のなかったアントワネットに比べれば、幸せだったのかもしれない。
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一方でバルザックは、大衆の民主的な理想が革命後の社会で変質した事への苦しみや憤りをサンソンに仮託して表現したが、それはギロチンが人道的な処刑システムから大量虐殺の為の単なる断頭台に変貌した事と重なる。
「バルザックが眺めた処刑執行人」でも書いたが、ギロチン導入とフランス革命が重なった時期とは言え、当時は司法の不備と国政の混乱に加え、敬虔なサンソンが信仰するキリスト教の価値観が不条理な死刑制度を後押ししていたのだ。
ただ、偏見に満ちた厳しい環境で育ったサンソンが”理性は1つの声しか持たないが、偏見は千の声を持つ”と悟った様に、ギロチンの発明が理性(合理性)だとすれば、死刑制度には千の偏見がある事を示唆している。
勿論、シャルル自身は死刑廃止を公言できる身分でも時代でもなかったが、彼の死後に放蕩と借金苦の末にギロチンを質入れする不祥事にまで落ちぶれた息子で6代目のアンリ-クレマン・サンソンは死刑の廃止を訴えていた。
最後に〜ギロチンと民主主義
恐怖政治を敷いたルイ16世を死刑執行したという、その結果だけでサンソン(シャルルーアンリ4世)は日本ではゲームや漫画のヒーロー的キャラクターとして取り上げられ、そうした偶像化された彼の姿は、シャルル及びサンソン家を侮辱する以外の何者でもない。
同じ様に、ギロチンを単なる大量虐殺の為の断頭台と結論づけるのも相応しくない。というのも、ギロチンがかつてフランスの民主主義を後押しし、大衆の自由と人権を獲得した歴史と貢献を鑑みれば明らかだろう。
事実、「死刑執行人サンソン」(集英社新書)の表紙はシャルルをスマートなイケメン風に描いてはいるが、「サンソン回顧録」(図書刊行会)の表紙にある彼の肖像画を見る限り、悩める死刑執行人そのもので、自らの呪われし運命と対峙する悔恨と覚悟が顔の皺としてくっきりと刻まれている。
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一方で、ギロチンに騎士道を、切腹にサムライの潔くも稚弱な美学を信奉する日本人も多いだろうが、ギロチンの本質を理解する事で、その疑問も吹っ飛ぶ筈だろうし、パリ五輪でのマリー・アントワネットの生首の演出も理解できるかもしれない。
そうは言っても、シャルルークレマンの叫びからギロチンが廃止になるまでに150年近く掛かった事を考えると、フランスでもギロチンの本質を理解するに、同じくらい長い年月が掛かった事になるが、多くの日本人が理解できないとしても無理はない。
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かつて、貧困と食糧難に喘ぎ苦しむ大衆に向かって、”そんなにパンが食えないのならケーキでも食ったら”と、マリー・アントワネットは思わず軽口を叩いたが、ギロチンの前では自慢のブロンドも真っ白に変わり果てていた。
オーストリア女大公マリア・テレジアの娘として、民衆の絶対的なアイドルだった彼女も既に37歳。民衆の嘲笑や罵声の真っ只中で断頭台に登り、処刑人アンリ・サンソンの足を踏んだ時には”ごめんなさいね、わざとではないのよ”とありったけの力を振り絞り、絶望と苦悩の中でも王妃らしく気丈に振る舞った。
因みに、ギロチンで断頭された彼女の生首は革命広場に群がる数万の群衆の前に掲げられ、力なく空いた口の中にはワインが波々と注ぎこまれ、興奮し錯乱した群衆は彼女の生首から滴り落ちるワインを啜りあげ、誇らしげに”共和国万歳”と叫ぶ。
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それから約230年が経過し、パリ五輪の開会式での自らの生首に彼女は何をどう思ったのだろうか・・そういう意味でも実に憎らしい演出だったと思うのだが・・
