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「戦国時代がいちばん過酷」は本当か?――平安末期から室町前期まで、終わらない戦乱の正体


結論からいうと、日本全体で見た戦争の頻度・動員規模・社会への浸透度は、やはり戦国時代、とくに16世紀の方が大きかったと考えるのが妥当です。

ただし、ユーザーさんの感覚もかなり鋭くて、南北朝時代を含む平安末期~室町前期も、決して「戦国以前の平穏な時代」ではありません。そして実際、強力な戦国大名の支配地域では、以前より日常生活が安定することもありました。

「戦い」と「戦乱」を分ける必要がある

平安末期から室町前期には、土地の境界、相続、水利、年貢徴収、荘園領主と地頭の権限などをめぐる争いが絶えませんでした。武士や村落が武力を背景に交渉することも珍しくなく、「自力で権利を守る」ことが中世社会の一部になっていました。

しかし、こうした争いには、

  • 裁判や交渉で終わる紛争

  • 数十人程度の襲撃や刈田狼藉

  • 一族・村落間の小規模な武力衝突

  • 数か国を巻き込む本格的な戦争

が混在しています。したがって、「地方では争いが絶えなかった」は正しいのですが、常に大軍が行き交い、村々が焼かれていたという意味ではありません。鎌倉幕府も裁判・行政制度を整え、在地武士の野放図な行動を抑えようとしていました。(CiNii)

時期別に見ると、かなり波がある

平安末期~鎌倉時代

保元・平治の乱、治承・寿永の内乱、承久の乱、元寇など、大きな戦争は起きています。しかし、それらは基本的に大戦争が断続的に発生する形です。

戦場となった地域では苛烈でも、その間の数十年間、直接的な戦争に巻き込まれなかった地域もかなりありました。鎌倉幕府の統治が定着した13世紀などは、後世の戦国期と比べれば、組織的な内戦が全国に常態化していたとはいえません。

南北朝時代

ここは例外的にひどい時代です。

1330年代から1390年代にかけて、朝廷の分裂と武士団の離合集散によって、京都・畿内だけでなく、東北、関東、九州、中国地方など広い地域で戦争が長期化しました。14世紀の戦争を「社会や国家のあり方を変えた転換点」と評価する研究もあり、戦闘記録から死傷者や戦争の実態を分析した研究では、この時代が非常に軍事化された社会だったことが示されています。(University of Michigan Press)

したがって、南北朝時代の特定地域・特定年代だけを切り取れば、戦国時代に匹敵するか、それ以上に混乱していた可能性があります。

室町前期

南北朝合一後、足利義満の時代には一定の安定が生まれました。ただし、幕府の支配は全国を均一に覆ったわけではなく、関東・九州・東北などでは、守護・国人・鎌倉公方などの対立が繰り返されました。

つまり室町前期は、全国一斉の内戦状態ではないが、地域によっては何十年も争乱が続く時代です。京都中心の年代区分だけを見ると、地方の戦争が見えにくくなるという指摘はその通りです。

それでも戦国時代の方が「戦争が社会全体を覆った」

15世紀後半から16世紀になると、戦争は例外的な事件ではなく、政治の通常手段になっていきます。研究上も、1200~1550年の間に、戦争は限定的・例外的なものから、16世紀半ばには「生活を広く包み込む常態的なもの」へ変化したと整理されています。(Cambridge University Press & Assessment)

戦国期には大名が、

  • 多数の足軽や農民を動員する

  • 長期間の遠征を行う

  • 城を包囲する

  • 兵糧や馬、輸送人員を徴発する

  • 敵領の収穫物を奪ったり焼いたりする

  • 家臣団と領国全体を軍事目的で再編する

ようになります。16~17世紀の国家形成そのものが、大規模な人的・財政的動員を伴う戦争を通じて進んだと評価されています。(Stanford University Press)

つまり、南北朝までの戦争が主として武士団同士の戦闘だったのに対し、戦国後期には、領国の税制・村落・流通・労働力まで戦争の仕組みに組み込まれた点が大きな違いです。

戦国大名が治めた方が平和だったのか

これは、かなりの範囲で「そうだった」といえます

戦国大名は単なる強盗団の親玉ではなく、自分の領国を安定して維持する必要がありました。家臣が勝手に土地を奪ったり、村同士が私闘を続けたりすれば、年貢も兵力も集まりません。そのため大名は、

  • 家臣間の私闘を規制する

  • 土地争いを裁判で処理する

  • 軍役や年貢の基準を整える

  • 市場や交通路を保護する

  • 在地領主を家臣団に組み込む

  • 分国法や命令によって統一的な規則を作る

ようになりました。

実際、戦国大名は軍事的成功を背景に立法権を主張し、北条氏などの領国では、家臣・所領・軍役を把握する仕組みによって新たな地域秩序が形成されていきました。(Cambridge University Press & Assessment)

したがって、たとえば強力な北条氏が長期間支配した相模や武蔵の中核部では、複数の小領主が勝手に争っていた時期よりも、領国内の日常的な治安や紛争処理は安定した可能性が高いと考えられます。

ただしこれは、現代的な意味での平和ではありません。

大名の本拠地周辺は平穏でも、国境地帯では合戦が繰り返されます。村人にとっても、私闘が減る代わりに、年貢、築城、輸送、兵糧供出、軍役などの負担が増えることがありました。

要するに戦国大名の統治とは、

領国の内側では暴力を抑え、領国の外側には巨大な暴力を向ける仕組み

だったと考えると分かりやすいです。

大まかな比較

観点平安末期~室町前期戦国時代大戦争断続的。ただし南北朝期は長期化頻発し、16世紀には常態化地方の小紛争土地・水利・相続をめぐって恒常的引き続き存在するが、大名が統制軍隊の規模比較的小規模な武士団が中心大量の足軽・輸送人員を動員民衆への影響戦場周辺に集中しやすい徴発・築城・兵糧・焼き払いまで広がる領国内の秩序権利関係が重層的で、統治主体も複数有力大名の中核領では一元化が進む地域差非常に大きいやはり大きく、本拠地と国境で正反対

まとめるなら、

平安末期~室町前期は「小さな争いが続き、ときどき巨大な内乱が爆発する社会」。
戦国時代は「戦争を前提として政治・経済・領国そのものが組織された社会」。

という違いです。

したがって、総合的には戦国時代の方が過酷ですが、南北朝期の戦場地域や室町期の関東などに住んでいた人からすれば、「戦国時代になって急に戦争が始まった」という感覚ではなかったでしょう。そして、強い戦国大名による統一が進むほど、その領国の中心部では皮肉にも平和に近づいていった――という理解がいちばん実態に近いと思います。

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