視聴率という名の殴り合いから、そっと一歩を引くということ
画面の向こうで、誰かが叫んでいる。「〇%で爆死」「歴史的大爆死」。そんな不穏な言葉がタイムラインを流れていくたび、胸の奥が少し冷えるのを感じます。
けれど、ふと思うのです。彼らは本当に、その作品を観て失望したのでしょうか。
実態はきっと、もっと無機質なものです。作品への愛や批評ですらなく、ただ「SNSのネタ」として消費されているだけ。思考のいらない大喜利のお題にされ、誰かを叩くことで手軽な連帯感を得るための燃料にされている。あるいは、自分の論理を補強するための「殴り合いの道具」として、数字という棒が振り回されているに過ぎません。
そこには、作品に心を揺らされた人間の生の言葉はありません。誰も本当の意味で画面の向こうの物語など観てはおらず、ただSNSで騒ぐための「無料の薪」を探しているだけなのです。
数字がすべてを証明するかのような顔をして闊歩する時代です。けれど、どれほどバズろうと、どれほど低視聴率と揶揄されようと、あなたがその作品を観て流した涙や、胸に灯った温かな感情までが否定される筋合いはありません。
不毛なバズの燃料あそびからは、そっと一歩を引いてみる。他人のものさしを手放し、自分の「好き」を自分の言葉で抱きしめる。それこそが、この情報過多な時代を軽やかに、自分らしく生きていくための唯一の処方箋なのだと思うのです。
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