舞踏の神を愛する一族、祖母は90歳になっても踊っている。
うちの祖母は、もう50年近く日本舞踊をやっている。
近所の公民館で、週に一度。
先生も生徒もほぼ全員おばあちゃんという、なかなか年季の入った教室である。
祖母の踊りを初めてまともに見たのは、私が中学生の頃だった。
市民ホールで開かれた発表会。
演目は、梅沢富美男の「夢芝居」。
祖母は、なぜか男方だった。
理由は聞いたことがない。
誰かに割り振られたのか。
自ら志願したのか。
真相はわからない。
ただ一つ確かなのは、祖母が白塗りに凛々しい着物姿で、友人と二人、舞台の真ん中に堂々と立っていたということである。
正直、日本舞踊の技術なんて私にはわからない。
うまいとか、美しいとか、そういう評価もできない。
それでも、
「なんか、すごい」
と思った。
体の芯が一本、すっと通っているような立ち姿。
中学生の私は客席で、
「これが、うちのばあちゃんか」
と、妙な誇らしさで胸がいっぱいになった。
盆踊りの季節になると、祖母はさらに本気だった。
町内会の盆踊りともなれば、祖母たち日本舞踊グループが、そろいの浴衣で当然のように櫓の中央を陣取る。
周りの人たちが手拍子をしながら、なんとなく体を揺らしている中、
祖母たちだけは所作からして違う。
手の角度。
足の運び。
首の傾け方。
同じ盆踊りを踊っているはずなのに、明らかにジャンルが違って見えるのである。
私は当時から、
「なんというか……ダンサブルな人だなあ」
と思っていた。
祖母は、戦後すぐに子どもを5人産んだ。
大変な思いをしながら育てて、それでも日本舞踊だけはずっと続けてきた。
50年近く。
舞台にも立ち続けた。
そのことを、私はあまり立派な話として語りたくない。
たぶん祖母に言えば、
「そんな大層な話じゃないよ」
と笑う気がするからだ。
ただ、踊ることが好きだった。
きっと、それだけなのだと思う。
今、祖母は90歳を超えた。
もう立って踊ることはできない。
けれど、踊ることそのものは諦めていない。
町内のカラオケクラブで、演歌に合わせて座ったまま踊っている。
形は変わっても、踊る気だけは一ミリも失っていないらしい。
私が祖母を迎えに行くと、だいたい最後に「氷雨」が流れる。
誰かが歌う。
私も歌う。
すると祖母と、日本舞踊仲間のおばあちゃんたちが、待ってましたとばかりに座ったまま踊り始める。
90代の日本舞踊軍団が、演歌一曲に合わせて一斉に舞い始めるのである。
もはやカラオケクラブではない。
秋祭りの神事である。
はっきり言って、カオスだ。
でも、そのカオスが妙にかっこいい。
何十年も踊ってきた人たちは、座っていても手だけで「踊り」になる。
私は少し離れたところから、その光景を眺めながら毎回思う。
「この一族、踊ることが好きすぎる」
そして、たぶん私もその血を引いている。
ただし私は、日本舞踊ではなく、
東京マラソンを走ったり、
深夜の編集プロダクションでお姫様抱っこの研究をしたり、
ヤドカニを尾行したりしている。
表現方法が、少し違うだけだ。
祖母は舞台で舞い、
私は道路を走る。
祖母は「氷雨」で手を舞わせ、
私は深夜のオフィスで同僚を抱き上げる。
根っこのところは、たぶん同じものでできている。
踊る血は、今日も止まらない。
