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失恋したので、東京マラソンを走った

好きだった人と、別れた。

すごく好きだった。だから、すごくつらかった。悲しいし、つらいし、何度考えても、どうにもならなかった。

何日か経って、ふと思った。

「このまま、かわいそうな私で終わるのは嫌だな」

そこで私が出した結論が、なぜか「東京マラソン」だった。

冷静に考えてほしい。私は、走るのが本当に遅い。子どもの頃から徒競走はだいたいビリ。泳ぐのも遅い。運動神経という概念が、たぶん私だけ配布されなかった。

でも、だからこそ「走ってみよう」と思った。

一番できないことをやれば、なんかこう、区切りがつく気がした。理屈は特にない。

ゴリねえに理屈は不要である。

気合いでエントリーした。

当日。もちろん速くない。じわじわと、確実に、後方に追いやられていく。

途中でもらえるはずの差し入れも、私が通る頃にはあらかた消えている。バナナも、飴も、応援の声すら、もう別のランナーに使い切られた後の空気しか残っていない。

そして後ろからは、制限時間に間に合わないランナーを回収するバスが追ってくる。

私はもう、半分泣きながら足を動かしていた。

止まったら回収されるからではない。

止まったら、なんか負けた気がしたからである。

なんとか、完走した。

ゴール直後の写真を見返すと、生意気にも、ものすごく清々しい顔をしている。

Instagramには「東京マラソン、何とか完走!」と投稿した。

謙遜でもなんでもなく、本当に「何とか」だった。なんなら、死に物狂いだ。あの顔は、絶対に楽しんでいる人間の顔じゃない。

私は戦った。

何と戦ったかはわからない。

勝手に戦いを挑み、勝てはしないが負けもしない。

私は、こんなことばかりを繰り返している。

翌日。

生まれたての小鹿のように、足が震えて動けなかった。

それなのに、誰かに聞かれると「やればできますね」などと、偉そうに答えていた自分がいる。

でも、本当に、やればできた。

走っている間、私は好きだった人のことを、一度も考えていなかった。

ゴールしてから、それに気づいた。

「ああ、なるほどね」

何かが劇的に解決したわけではない。

相手とよりを戻したわけでも、気持ちがきれいさっぱり消えたわけでもない。

ただ、42.195km、走った。

それだけだ。

それだけなのに、私は「失恋した人」だけではなくなっていた。

「東京マラソンを、何とか走った人」にもなっていた。

今でも、眠れない夜はある。

泣くし、落ち込むし、うじうじもする。

でも、余力が0.1%残っていたら、スクワットを10回する。

うちの犬(天使)が、二度見してくる。

「え? この人、泣いてるの? え? 泣きながらスクワットしているの?」

という顔をしている。

気持ちはわかる。私も自分でそう思う。

でも私は、正しいフォームでスクワットをする。

この時間は、それだけに集中するのだ。

膝がつま先より前に出ないように。

悲しみとは、また別の戦いがそこにはある。

何も解決していない。

それでも私は、泣きながら筋肉貯金をした。

今日もまた、何かと戦っている。

後日、あの人にばったり会った。

何を話したかは、もう覚えていない。

ただ、話しながら私は、心の中でこっそり思っていた。

私は、あなたに失恋した女だけど。

今は、東京マラソンを何とか走った女である。

ねえ、あなたは走れます?

……たぶん、走れるんだろうけど。

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