みんなで一緒にゴールしよう、なんて話を信じたことは一度もない。
東京マラソンを完走した翌年、会社の同僚4人で、横須賀シーサイドマラソンのハーフに出ることになった。
メンバーは、私と男子2人、女子1人。
マラソン経験者は、この中で私だけである。
だが、油断してはいけない。
男子2人はサッカー部。
女子1人はバスケ部経験者。
つまり、経験値では私が勝っているが、地力ではたぶん向こうが勝っている。
出発前、控えめな誰かが言った。
「せっかくだし、みんなで一緒にゴールしようよ」
いい響きである。
とても、いい響きである。
だが私は、それを一切信じていなかった。
なぜなら私は、前年の東京マラソンで、「一緒に頑張ろう」と手を振ってくれた見知らぬランナーたちに、次々と抜かれていった記憶を、はっきりと覚えているからだ。
マラソンにおける「みんなで一緒に」は、大抵、スタート地点でしか成立しない。
そして、号砲が鳴った。
横須賀シーサイドマラソンは、東京マラソンとはまったく違う顔をしていた。
高層ビルの合間を縫うのではなく、海沿いをずっと走る。
潮の匂いがして、右手にはずっと青が続いている。
沿道では、地元の人たちが自由な感じで応援している。
太鼓を叩いている人もいれば、犬を抱っこして手を振っている人もいる。
給水ポイントでは、水やスポーツドリンクを配るボランティアの声が元気に飛んでくる。
走りながら、素直に思った。
これは、楽しい大会だ。
楽しい大会、だったのだが。
30分もしないうちに、異変が起きた。
前を走っていたはずの男子2人の背中が、どんどん小さくなっていく。
横にいたはずの女子の背中も、気づけば見えなくなっている。
置いていかれている。
経験者であるはずの、私が。
「一緒にゴールしよう」という言葉は、開始30分で静かに解散していた。
やっぱりな、と思った。
思ったが、それはそれとして、地味に寂しい。
海はきれいだった。
潮風も気持ちよかった。
だが、その景色を、私はほぼ一人で堪能することになった。
ひとりで黙々と走っていると、頭の中で、勝手に実況が始まった。
「はい、経験者のはずのゴリねえ選手、後方に沈んでいきます。周りは初心者ばかりのはずなのですが、なぜでしょうか」
少し間を置いて、もう一人の自分が答える。
「解説の私にもわかりません。経験というのは、こういうとき、あまり役に立たないようです」
自分で自分に実況され、自分で自分に解説される。
傍から見れば、なかなか惨めな絵面だ。
だが、笑えてくるので、これはこれで悪くない時間の潰し方だった。
たまに、追い抜いていく見知らぬランナーが、
「頑張ってー」
と声をかけてくれる。
一年前の東京マラソンと、まったく同じ現象が起きていた。
私は、応援される専門家になりつつあった。
そうして、経験者としての面目もなにもなく、私は同僚たちよりだいぶ遅れてゴールした。
ゴールゲートをくぐると、先にゴールしていた3人が、拍手で迎えてくれた。
どうやら、それなりに待っていてくれたらしい。
そして、女子の同僚が紙コップを差し出してきた。
「はい、ミルクティー」
ミルクティー。
こんなに死にかけているのに、ミルクティー。
正直、最初は、
「今それ?」
と思った。
スポーツドリンクでも、水でもなく、ミルクティー。
だが、疑いながらも一口飲んだ瞬間、体が「うそでしょ」と震えた。
甘くて、まろやかで、変な生き返り方をした。
21キロ走った体に、ミルクティーがこんなに効くとは、誰も教えてくれなかった。
「なにこれ、おいしい……」
思わず、二口目、三口目と、あっという間に飲み干していた。
疲労も、置いていかれた地味な寂しさも、ミルクティーと一緒にどこかへ流れていった。
結局、全部よかったな、と思った。
戦績。
ハーフマラソン完走。
同僚3人に敗北。
ミルクティー1杯で、全部帳消し。
次のマラソンでも、
「一緒にゴールしよう」
と言われたら、たぶんまた笑顔でうなずくと思う。
そして、たぶんまた置いていかれる。
