ゴリねえ、編み物をする。②
昨日、私はこう書いた。
「私は、編みぐるみに――
怨念をまぜる。
そして、その怨念を――
天使に浄化させる。」
今日は、その話をする。
私は、悩んだり嫌なことがあったりすると、編み物をする。
ただし、そういうときに取り出すのは、いつもの毛糸じゃない。
ものすごく細い毛糸と、ものすごく細いかぎ針。
「これ、レース編みじゃない?」
というくらいの極細針で、細かく、細かく編んでいく。
ぎゅっ。
ぎゅっ。
一目。
また一目。
細かい目を、ひたすら編む。
私は、この時間が好きだ。
編み目をひとつずつ作ることだけに集中していると、頭の中の雑音が消えていく。
嫌だったことも。
モヤモヤも。
どうにもならない苛立ちも。
全部いったん横に置いて、目の前の一目に集中する。
たぶん私は、編み物をしているというより、感情を編み込んでいるのだ。
怒り。
悲しさ。
悔しさ。
言葉にできない、行き場のない気持ち。
そういうものを、ひとつずつ毛糸の中に押し込んでいく。
だから、できあがった編みぐるみには、たぶんたっぷりと怨念が詰まっている。
もちろん見た目は、つぶらな瞳のうさぎや、くま、アルパカである。
(私はこの3種類しか作れない)
見た目と中身の落差が、我ながらすごい。
さて。
完成したこれ、どうしよう。
誰もいらない。
妹もいらない。
友達もいらない。
そもそも私自身も、そんなに欲しくない。
でも、せっかく作って怨念まで詰めたのだ。
放置するわけにもいかない。
そこで私は、犬に渡す。
うちの犬は、本当に「よくできた犬」である。
私が何時間もかけて極細の糸を編み込み、完成させた瞬間、
「はい、どうぞ」
と差し出すと、ひきちぎる。
夢中でひきちぎり、容赦なく解体する。
うさぎも。
くまも。
アルパカも。
全員が同じ運命をたどる。
私が何時間もかけて編んだものを、
犬が、
ビリッ。
ビリッ。
と解体していく。
それを見た妹や友達は、大笑いする。
「無駄働きじゃん!」
たしかに、客観的に見ればその通りだ。
何時間もかけて編んだものが、一瞬でゴミ箱行きなのだから。
でも、私はそう思っていない。
これは、供養なのだ。
行き場のない気持ちを毛糸に込め、ひたすら集中して編む。
そして最後に犬に渡すと、犬がそれを全部壊してくれる。
私の中にあったドロドロしたものも、一緒に壊して持っていってくれる気がするのだ。
だから私にとって、犬は「天使」である。
怨念の詰まった編みぐるみを、一心不乱に解体してくれる天使。
しかも、めちゃくちゃ楽しそうに。
……ただ最近、由々しき事態が発生している。
私の怨念入り編みぐるみより、父が百円ショップで買ってくる犬用おもちゃ(笛入り)の方が人気らしいのだ。
放置された私の怨念編みぐるみを見るたび、
「怨念より百円か……」
と、少しだけ切なくなる。
それでも、私はまた編む。
悩んだ日も。
嫌なことがあった日も。
細い毛糸と極細のかぎ針を取り出して、一目ずつ、気持ちを編み込む。
私は今日も、編みぐるみに怨念を詰める。
そして最後は、天使に渡す。
天使は今日も、私が何時間もかけて編んだうさぎを、五分もかけずに解体する。
いい仕事である。
私の怨念は、今日も無事、浄化された。
