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疲れ果てた女が、人間を一旦やめる夜

人間、本当に疲れ果てたとき、何が必要だと思う?

「丁寧な暮らし」?

「アロマを焚いて、ハーブティー」?

……いやいや、それじゃ足りない夜だってある。

仕事に追われ、人間関係にモヤモヤし、心身ともに「ライフゼロ」を通り越してマイナスまで叩き落とされた日。

そんな日に上品な癒やしを差し出されても、

「いや、まずそのハーブティーを淹れる元気がない」

となる。

必要なのは、もっと強引に、失ったエネルギーを引きずり戻すことだ。

だから私は、限界の夜だけ、こっそり人間をやめる。

まず、床になる

普段の私は、社長室の金庫だろうが同僚だろうが、たいてい力業でなんとかしてきた。

50キロの金庫も運んだし、90キロ超えの専務もお姫様抱っこした。

物理でねじ伏せるのが得意技である。

そんな私が、指一本動かせなくなる夜がある。

仕事から帰ってきた時点で、体力ゲージはほぼゼロ。

靴を脱いで、カバンを置いて、お風呂に入って、ちゃんとご飯を食べる。

そんな「ちゃんとした人間の手順」を踏もうとするから、途中で心が折れるのだ。

だから限界の日は、手順をすっ飛ばす。

玄関をくぐった瞬間、廊下のフローリングにゴトンと倒れる。

カバンは放り投げる。

靴下も脱ぎ捨てる。

そして、ヒンヤリした床に頬をペタッとつける。

床になる。

それだけでいい。

「私は今、人間をお休みしている。ただの冷たい床の一部である」

そう念じながら、しばらく動かない。

スマホも見ない。

何もしない。

ただ床。

家族に、

「大丈夫?」

と心配されても、返事は、

「……ん」

の一言。

生きていることだけは伝えておく。

15分ほど床になっていると、なぜか少しだけ人間に戻れる。

仕組みはよくわからない。

でも、床、意外と効く。

嫌な人間を、バナナにする

少し動けるようになったら、次は頭の中の掃除だ。

疲れているときほど、嫌なことは何度でも再生される。

今日の嫌な一言。

理不尽なお小言。

仕事でやらかした瞬間。

SNSで見かけた、妙に腹の立つ投稿。

それらが脳内で、無料アンコール上映され続ける。

そういうとき、私は相手や出来事をバナナに変換する。

熟しすぎて、黒ずんで、そろそろ限界のバナナだ。

理不尽なお小言?

黒ずんだバナナが何か言っている。

SNSの嫌な投稿?

あ、道端に腐ったバナナが落ちてる。

それで終了。

人間だと思うから腹が立つ。

でも、バナナだと思えば、まあいい。

疲れている日くらい、頭のネジを一本くらい外しておいたほうが長持ちする。

暗闇で、謎のものを食べる

心の防壁ができたら、栄養補給だ。

ここでは「栄養バランス」にも、一旦休んでもらう。

極限状態の心が求めているのは、圧倒的なカロリーと、迷いのない美味しさである。

私が作るのは、特製・背徳のオールインワン丼。

温かいご飯。

冷凍の唐揚げ。

とろけるチーズ。

納豆。

キムチ。

仕上げにマヨネーズ。

見た目はもう、カオスとしか言いようがない。

栄養士が見たら泣くかもしれない。

だが、疲れている夜には、これが妙にうまい。

理屈じゃない。

さらに部屋の電気を消す。

暗闇の中で、謎の動画を見る。

おすすめは、海外の木こりがひたすら薪を割っている動画だ。

なぜ木こりなのかは、自分でもいまだにわからない。

ただ薪が、

パカーン。

パカーン。

と割れていくのを眺めていると、頭の中の余計なものまで、少しずつ割れていくような気がしてくる。

暗闇で謎の丼を食べながら、謎の木こりを見る。

お行儀?

知らない。

今は人間をやめている途中なのだから。

お腹がいっぱいになる頃には、砕け散っていた心が、少しずつ元の形に戻ってくる。

最後に、蛹になる

ここまで来たら、あとは寝るだけだ。

ぬるめのお湯に浸かる。

好きな入浴剤を入れる。

お風呂から出たら、一番だぼだぼでラクなスウェットを着る。

締め付け感ゼロ。

もはや「服」というより、「布の袋」でいい。

そして布団に入る。

毛布と掛け布団を、自分の周りに隙間なく巻きつける。

首元から足先まで、完全包囲。

私は蛹になる。

外界との接触を、いったん全部やめる。

そして、誰も見ていない暗闇の中で、自分に言う。

「今日も一日、生き延びてえらかったね」

これくらいは、自分で言ってやっていい。

そのまま布団の中で丸くなって眠る。

そして翌朝、少しだけ人間に戻る

朝。

目覚ましが鳴る。

布団をサッと払って起き上がる。

髪はボサボサ。

顔も少しむくんでいる。

でも、昨日よりは少しだけマシだ。

コーヒーを淹れながら、

「さてと。今日も自分のペースでいきますか」

と思う。

昨日の泥みたいな重たさは、まだ少し残っている。

それでも、ちゃんと血が通っている。

ちゃんと動ける。

それで十分だ。

そしてまた、金庫でも運べそうな顔をして出社する。

大それた理論なんてない。

ただ、たまには「ちゃんとした大人」をお休みして、とことんバカバカしく自分を甘やかす夜があってもいいと思う。

床になって。

嫌な人間をバナナにして。

暗闇で木こりを見ながら、謎の丼を食べて。

最後は蛹になる。

そうやって一晩、人間をやめる。

朝になったら、また人間に戻ればいい。

たぶん、それくらいで、ちょうどいい。

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