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ぎっくり腰でリリアンを編んでいる間に、富田くんを友人に取られた話。

高校一年の夏、私には毎朝、密かな楽しみがあった。

テニス部の富田くん(仮名)。

登校時間が同じで、校門の少し手前で自然と一緒になり、そのままなんとなく世間話をするようになった仲だった。

私は小学校・中学校とスパルタ吹奏楽部で育った、ごりごりの元吹奏楽部員である。

金管楽器を抱えて怒鳴られながら育つと、なぜか無性に華やかな体育会系への憧れが募る。

高校に入ったら、絶対に汗と青春の似合う部活に入るぞ。

そう意気込んで流れ着いた先が、なぜか吹奏楽部よりさらにごりごりの、ラグビー部マネージャーだった。

一学年から三学年まで全員かき集めて、ようやく試合に出られる人数がそろうという、なんとも家庭的な部だった。

でも、居心地は悪くなかった。

グラウンドでボールを追いかける部員たちを眺めながら、タオルとやかんを準備していると、テニスコートの脇を富田くんが通りかかる。

「お疲れー」

「お疲れさまです」

それだけのやり取りが、なぜか一日の中でいちばん楽しみだった。

ある日、部活後の片付けをしていると、富田くんが荷物運びを手伝ってくれた。

「マネージャーも大変だね」

なんでもないふうを装いながら、内心ではかなり浮かれていた。

話す回数は少しずつ増え、朝の校門、放課後のグラウンド脇と、接触ポイントも順調に増えていく。

これはもしかして。

なんか、いい感じなのでは。

青春が、私にも来たのでは。

そんな淡い期待を抱いていた。

問題は、私の体が「華やかな体育会系」を微塵も想定して作られていなかったことである。

文化部で培った体幹と、日々ボールやポリタンクを運ぶマネージャー業務は、根本的に相性が悪かった。

ある朝、いつも通りお茶の入ったやかんを持ち上げた瞬間。

腰のあたりで、

ぶちり。

何かが切れるような感触がした。

ぎっくり腰である。

その場にしゃがみ込んだまま、しばらく立ち上がれなかった。

異変に気づいた一年男子部員たちが、遠巻きに集まってくる。

「大丈夫っすか」

「救急車、呼びますか」

私は「大丈夫、平気」と言い張った。

ただし実際には、やかんの持ち手を握ったまま、数分間、微動だにできなかった。

全然、平気ではない。

その日を境に、私はしばらく部活に出られなくなった。

グラウンドどころか、まっすぐ立つことすら難しい。

そして私は、恋の戦線からも離脱した。

連れていかれた整形外科は、周囲がお年寄りばかりの、地域に長く愛されているであろう病院だった。

腰に赤外線を当てられながら、待合室でリハビリ用に配られたリリアンの糸を編む日々が始まった。

同世代の話し相手は、ゼロ。

隣に座るのは常連らしいおばあちゃんたちで、

「あら、若いのに腰やっちゃったの」

「まあ、大変ねえ」

と優しく声をかけてくれる。

私は赤外線の下で、ひたすらリリアンの筒を伸ばし続けた。

あの頃の私が編んだリリアンの長さは、たぶん富田くんとの距離と、ちょうど反比例していたと思う。

私が一本、また一本とリリアンを編むたびに。

富田くんとの距離は、少しずつ伸びていた。

数週間後。

ようやく腰が治り、ラグビー部に戻った。

久しぶりのグラウンド。

久しぶりの部活。

そして、久しぶりの富田くん。

ところが。

空気が変わっていた。

富田くんが、私の友人と付き合い始めていたのである。

誰も悪くない。

私が悪いとすれば、腰である。

あの朝、やかんを持ち上げるスピードを、あと0.5秒だけ緩めていたら。

歴史は変わっていたかもしれない。

そう思うと悔しいような、笑えるような、なんともいえない気持ちになる。

友人にモヤモヤをぶつける根性もなく、

「おめでとう」

と言いながら、内心では自分のやかんを恨んでいた。

その後、友人からのろけ話を聞きながら、私はまたグラウンドでやかんを運ぶ日々に戻った。

腰は、すっかり丈夫になった。

かわりに私は、恋のタイミングというものが、筋力よりずっと繊細にできていることを学んだ。

戦績。

ぎっくり腰――通院期間、約一か月。

リリアン――生産量、過去最高。

富田くん――友人所属、確定。

そして青春の教訓。

筋トレでは、取り戻せないものがある。

なお、あの日以来、私はやかんを持ち上げるときだけ、ほんの少し慎重になった。

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