人魚とイルカと人間魚雷
そう、話自体は、そんなに大したことじゃない。
ただ、私は子どもの頃から、水の底に触れるのが好きだった。
水面ではない。
水の底だ。
耳が痛くなるくらいの静寂。
水面とは違う、ひんやりした温度。
プールや海の底の、あのざらざらした感触。
それが好きで、私は何度も水に真っ逆さまに沈んだ。
垂直に体を沈めていく感覚が、なんとなく人魚姫になった気がして、バタ足まで、しずしずと美しいフォームを心がけた。
ゴーグルの中で、光が水面から斜めに差し込んでいるのを見上げるのも好きだった。
あれは、絵本の中の海だと思っていた。
自分の中では、完全に人魚だった。
ひれこそないが、心はもう九割九分、人魚だった。
ある程度潜って満足すると、親のもとへ戻る。
すると、親が笑いながら言う。
「かわいいアシカちゃんが、水の中を出たり入ったりして、楽しそうだったねえ」
……アシカ。
人魚のつもりでいたのに、アシカ。
しかも「かわいい」がついているので、余計に反論しづらい。
なるほど。
認識の違いというものは、あるのだな。
幼心に、そう思った。
そんな感じで、私はひそかに人魚に憧れていた。
プールでは、ひとりマーメイドごっこを欠かさない、かわいい子ゴリラだったのである。
美しい人魚のつもりで、実際にはゴリラ。
振り返れば、この時点でもう、主張と現実がだいぶズレていた。
友達がビーチボールで遊んでいる横で、私はひとり、静かに沈んでは浮かび、また沈む。
はたから見れば、かなり地味な遊びだったと思う。
でも本人としては、毎回、それなりに壮大な物語をやっていた。
夏休みの終わりには、日焼けした肌と、目の下にくっきりついたゴーグルの跡だけが、その物語の証拠として残った。
月日が経ち、私は大人になった。
水が好きなのは、変わらない。
そして、ある程度、自分の身の程もわかってきた。
私は、人魚姫ではない。
では、水中で何になっているかというと、イルカだ。
私はイルカが好きだ。
一時期、プールでドルフィンキックの練習を繰り返していた。
腰から下を一枚の尾ひれのように使う、あの泳ぎ方である。
最初はまったく進まず、その場でもがくだけの水生生物になっていた。
それでも練習を重ねるうちに、それなりに滑らかに進めるようになった。
自分の中では、もうほぼイルカである。
イルカに擬態しながら、ゆっくり2キロくらいをプールで泳ぐのがお気に入りだった。
速さは求めていない。
タイムを競うでもない。
ただ、静かに、長く、イルカらしく泳ぎたいだけなのだ。
そんな穏やかな時間を過ごしていた、ある日のこと。
プールで顔見知りのおじいさんに、声をかけられた。
いつも隣のコースで、のんびり平泳ぎをしているおじいさんだ。
「あんた、パワーすごいね。人間魚雷だ!」
……人間魚雷。
え。
私はイルカですけど。
言いかけた。
けれど、言わなかった。
おじいさんは満足そうにうなずくと、また平泳ぎに戻っていった。
こちらの自己認識など、まったく関係のないところで、物語は完結していた。
認識の違いだ。
そういうこともある。
他人からどう見えるかなんて、こちらでコントロールできることではない。
子どもの頃、私は人魚だった。
親から見れば、アシカだった。
大人になった私は、イルカになった。
そして、他人から見ると、人間魚雷だった。
並べてみると、生物としての着地点が、毎回一致したためしがない。
まあ、そういうこともある。
でも、私はイルカだ。
