ゴリねえ、お姫様抱っこを極める。②
昨日、お姫様抱っこができることが判明した。
普通なら、それで終わる話である。しかし、ここは締切前の編集プロダクションだ。終わるわけがなかった。
「ちょっと私も。」
翌日、まず声を上げたのは隣の席の同僚だった。180センチの男性である。
「首、回して。」
もう慣れたものである。ひょい、と持ち上がる。
「おぉー!」
拍手。誰に向けての拍手なのか、もはや誰にも分からない。
すると、それを見ていた別の同僚が立ち上がる。今度は女性だ。
「じゃあ次、私。」
気づけば、締切前の編集部に順番待ちの列ができていた。
そしてここから、編集部は静かに研究会へと姿を変えていく。
「男性と女性で、重心って違うのかな。」
「腕の位置、こっちのほうが楽じゃない?」
「足、伸ばした方が安定するのかも。」
もはや誰も「お姫様抱っこができるかどうか」の話をしていない。全員、力学の話をしている。私はいつのまにか分析係にされていた。
「もうちょっと足閉じて。」
「首、回して。重心逃げるから。」
少女漫画の検証のはずが、気づけば体育の授業のようになっていた。
「首、回して。」
もう何回言ったかわからない。
わからないが、だんだんセリフがこなれてきている気がする。
なんなら、私は少しイケメンになったような気がしていた。
そしてこの手の話は、社内では驚くほど早く広まる。
営業が「聞いたんですけど」と顔を出す。
デザイナーが「見学だけ」と言いながら机の隣に椅子を持ってくる。
校正さんまで赤ペンを置いて、静かに列に並んだ。
仕事をしろ。
全員、仕事をしろ。
だが誰も、それを言い出せる空気ではなかった。
「抱っこ待ち」の列は、いつのまにかコピー機の前まで伸びていた。
そこへ、専務が通りかかった。
「……何をやっているんだ、これは。」
普通なら、これで終わる話である。
しかし専務は、列の様子をしばらく見たあと、なぜか自分から列の最後尾に並んだ。
「専務、いけますか。」
「え、いや、私は……。」
遠慮しているようで、もう完全にその気だった。
「首、回してもらっていいですか。」
いつもと同じ、いつものセリフ。
専務は両手をどこに置けばいいのか一瞬迷いながらも、案外素直に首へ腕を回してきた。
「いくよ。」
ひょい。
きれいに浮いた。
専務は、編集部で一番大柄だった。
編集部が、静まり返る。
そして専務が、ぽつりとつぶやいた。
「……安定してるね。」
誰も何も言えなかった。
ただ一人だけ、デザイナーが肩を震わせて笑いをこらえていた。
そこへ、何も知らない上司が戻ってきた。
「今度は何やってんの?」
その一言で、編集部はようやく我に返った。
椅子はコピー機の前に散らばり、専務は何事もなかったような顔で列を離れ、赤ペンは床に転がっている。
説明する気力は、もう誰にも残っていなかった。
🌙 ③へ続く。
※次回、深夜の研究が、まさか本当に役立つ日がやってきます。
