近所のおばあさんに、20キロの小人を3体もらった話。
うちから5軒先に、一人暮らしのおばあさんが住んでいる。
祖母の古い友人で、うちとは持ちつ持たれつの間柄だ。
何か用があると電話がかかってくる。
面白いのは、おばあさんの中で、うちの家族の役割分担がきっちり決まっていることだ。
電気配線や簡単な修繕なら、父。
世間話や裁縫なら、母。
そして、力仕事なら、私。
呼び出しの精度には、いつも感心してしまう。
おばあさんは大のきれい好きで、趣味は模様替え。
その日も電話口で、
「タンスとテレビを動かしたいの」
と言われ、私は軽い気持ちで向かった。
タンスとテレビを移動させ、それなりに感謝もされ、さて帰ろうかというところで、おばあさんが言った。
「ちょっと、庭に出てみて」
言われるがまま庭に出ると、そこにいた。
ディズニーの七人の小人の置物が、3体。
おばあさんの庭は、東屋まである本格的なガーデニング仕様で、その一角に、白雪姫抜きの小人たちが並んでいる。
なかなかの光景である。
「これね、うちの娘がフランスから取り寄せたのよ」
娘さんいわく、本当は7体そろえたかったが、船便で送るには重すぎて、泣く泣く3体に絞ったのだという。
へえ、と思っていたら、おばあさんがとんでもないことを言い出した。
「これ、あげる」
即座に断った。
断ったのだが、おばあさんは聞く耳を持たない。
「あんたんちの庭に置いたら、かわいいから」
の一点張りである。
とりあえず1体持ち上げてみた。
重い。
笑えないくらい重い。
というか、持ち上げた瞬間、置物というより、ほぼ人間だった。
おばあさん曰く、1体20キロあるらしい。
「無理ですって」と言いかけた私に、おばあさんが追い打ちをかけてきた。
「あんたのおばあちゃんが前来たとき、これ欲しいって言ってたのよ。孫に持たせてって、話になってるの」
……ん?
話が変わってきた。
うちの祖母が欲しいと言っている。
そう言われてしまうと、もう詰みである。
私は、祖母のイエスマンだ。
逆らうという選択肢が、そもそも脳内に存在しない。
仕方なく、3体の小人を1体ずつ、家まで運ぶことにした。
重い。
とても重い。
だが、持てないほどではない。
これが一番厄介だった。
持ててしまう。
だから運ぶしかない。
私は、小人を抱えて家と庭を往復した。
1往復。
2往復。
3往復。
合計60キロ。
3往復してへとへとになった頃、庭に出てきた家族が「なんだなんだ」と集まってきた。
経緯を説明すると、母が納得したように言った。
「ああ、あの小人ね。置いておくと幸せになれるってやつでしょ?」
なんでも七人の小人の置物には、そろえて飾ると幸せになれるという言い伝えがあり、それを聞いた娘さんがフランスで買ってきたものらしい。
ただし、うちに来たのは3体。
3体分の幸せは、果たして届くのだろうか。
7体中3体。
なんとも心もとない。
翌日、家の玄関のドアノブに、家族分の朝マックのセットがぶら下がっていた。
これは、おばあさんに重労働を頼まれた翌日の、恒例行事のようなものである。
家族はそれを見て、
「ああ、昨日はあの家でよく働いたんだね」
と、無言で理解する。
おばあさんの、律儀な返礼システムだ。
後日、家に遊びに来た祖母に、小人をもらった話をした。
庭に並んだ3体を見せながら、いきさつを説明すると、祖母はしみじみと言った。
「あらー、本当にもってきたんだ。お姉ちゃんは力持ちねえ」
そして、続けてこう言った。
「処分するのもなんだから、うちに持ってきなって、言っといたのよ」
……ん?
聞き間違いかと思って、もう一度確認した。
聞き間違いではなかった。
つまり私も祖母も、誰も欲しがってなどいなかった。
あちらの置物整理のために、孫という名の運搬要員が差し出されていただけの話である。
道理で、話がやけにスムーズだったわけだ。
私は脱力しながら、庭の小人たちを見る。
重かった。
本当に重かった。
だが、案外、悪くない顔をしてこちらを見ている。
まあ、うちに来てしまったものは仕方がない。
これから幸せを運んできてくれるのか、それともただ庭にいるだけなのかは、まだ分からない。
戦績。
おばあさんの模様替え出動1回。
小人3体、計60キロの運搬。
祖母の策略への完全敗北。
翌朝の朝マック支給1回。
幸せ、7分の3。
