若き信長シリーズNo.10 常楽寺相撲大会
この時の信長さんは、もうそんなには若くないけれど‥🙇♀️
漫画の信長協奏曲や、今回の大河でも
なんだか信長さんって、相撲好きみたい??
安土駅前にこんな石像と石碑があります。
石碑には(簡単に)

『安上と相撲
1570年 織田信長は
近江国中から相撲取りを集めて
常楽寺で相撲を取らせました。
成績のよかった鯰江又一郎、青地与右衛門に
大刀と脇差を与えて家臣としました。
安土築城後は安土山を会場として
1578年から1581年まで(年に複数回の時も)
毎年のように相撲を行っています。
毎回大勢の相撲取りを集め、
成続の優秀な者に褒美を与え、
これを大勢の家臣たちに見物させ、
こんにちの大相撲のように興行として
催していました。
相撲は元来神事でしたが、奈良時代以降、
(すまいのせちえ)として年中行事となります。
鎌倉時代以降は武の鍛錬として武士の間にも広く定着していました。
そうした相撲のあり方を、相撲興素のような形に変えたのは信長。
ここ常楽寺で織田会により行われた相援は、
大相撲のルーツともいえます。』
と書かれてありました。
💡そうなんだ、
本能寺の変がなければ、もっと毎年続いていたかもしれないね‥。

信長公記にも多く記されているようですね。
1578年の興行?では大竹を引っ張る竹相撲をしたみたいです🎋
伝蔵と馬二郎は二人とも劣らない怪力で、大竹がネジ切れて、信長は二人の健闘を讃えて、伝蔵に東姓、馬二郎に西姓を与えたんだそうです。
ネジ切れるって、すごい💦
そしてこれだけ見ると、
きっと信長様、相撲大好きですね。
大好きなだけじゃなく
⚫︎力自慢の強者や優秀な成績を収めた者を家臣に召し抱える人事イベントの意味
⚫︎お祭り的な大規模なイベントで、六角氏旧領であるこの地域の住民や武士たちの結束を図るパフォーマンスの意味。
があったとされるけど、そこまでどうなんだろ。
こんだけやってたらただ好きな気がするな❣️
さて、常楽寺はどこにあるのでしょうか?
というわけで
🏯ひとつおしろをたずねれば🏯
常楽寺城(木村城)
佐々木六角氏の観音寺城の外港として機能した常楽寺湊を擁していたのが常楽寺城(木村城)です。


城主の木村氏はもともと常楽寺の神官を兼ねていました。
木村氏は観音寺城の戦いで大敗した六角氏を見かぎり、早くから信長につきました。
その後木村氏は安土の町奉行や安土城普請奉行となりました。
1570年常楽寺城で相撲興行をし、その後も金森合戦時などにも6回逗留しているそう。
なんかお気に入りみたいですけど、安土城築城構想があったり進めていたのかな。
常楽寺湊は明智光秀が寄港した記録があります。安土城築城の物資もはこびこまれたんでしょうね。
ちなみに木村城主木村高重は本能寺の変後、光秀の呼びかけに拒否し、安土城百々橋にて、明智軍と闘い討ち死とのこと。

今日は涼しくて気持ちいいですね。
良い一日をお過ごしください☺️
