夫のひげを守りたいだけなのに
「ひげ脱毛行こうかな」
ある日夫が、ポストに入っていたチラシを見ながら、そうつぶやいた。
恐れていた日がついに来てしまった。世の中でメンズ脱毛が流行し始めてからというもの、わたしはこの日が来ないように密かに祈り続けていたのだ。
「絶対やめて」
わたしは全力で言った。
わたしの好みは、一貫している。世の中のトレンドがどんなに「清潔感」や「中性的」な方向へ流れていこうとも、わたしの好みは変わらない。昔から、わたしのタイプはワイルド系。芸能人でいえば、坂口憲二さんがわたしのドストライク。あの感じ。あの感じなのだ。
近年の、美しい男性たちを否定するつもりは全くない。しかしわたしがときめくのはいつだって、それとは真逆の存在だ。
正直、夫自身がワイルド系というわけではない。断じて、ない。それでもわたしは、彼の中に眠る、野性味のカケラを、勝手に大切に見守ってきた。夕方になるとうっすらと浮き出てくる青みや、休日の、放置された無精ひげ。それを眺めるのが、わたしにとっての密かな癒やしであった。
「毎日剃るのが面倒くさい」という夫の言い分は、ぐうの音も出ないほど合理的だ。100%正しい。けれど、わたしは嫌なのだ。その面倒くささの中に、わたしの好きが詰まっているのだから。脱毛してしまったら、もう二度と生えてこないじゃないか。
と、ここまで書いて我にかえる。
これがもし、男女逆の立場だったらどうだろう。
「ロングヘアが好きだから髪を伸ばせ」と夫に言われたら、わたしは間違いなく「なんでそんなこと言われなあかんねん!」とブチギレるだろう。
「ルッキズムにとらわれず生きていく」というスローガンを勝手に掲げて生きているわたしが、いま夫に強いているのは何だ。
正論をぶつける夫と、己の歪んだフェチズムを振りかざすわたし。いつしか口論になり、
「人の髭、ほっといてくれ」と吐き捨てられた。夫はわたしのこだわりが一ミリも理解できないようだ。そりゃそうだ。
しかし、「清潔感」「タイパ」が全肯定されるこの時代に、わたしは「ひげ」という名の野性味を守るために、負け戦だが戦いたい。もちろんこれはただのエゴである。
髭がなくなった日は、悲しみをまた綴りたい。
