ギャルだったわたしが、自分で坊主にした日
高校生のころ、わたしはギャルだった。
厚底ブーツにミニスカート、髪の毛はクロワッサンをぶら下げたような茶髪の巻き髪。マスカラを塗りたくった目はラクダのようで、わたしがまばたきをするたび、周囲に小さな風が起きていた。当時流行っていたヒョウ柄のミニワンピを着て、実家のある田舎を歩けば、ついたあだ名はターザン。
ギャルを卒業した後も、おしゃれはずっと好きだった。流行りの服を着て、メイクをして、若さをめいっぱい楽しんできた。
そんなわたしが、三十二歳で坊主になった。
もちろん、ファッションではない。その前年、持病が悪化し、手術を受けていた。
そこからわたしの体は、ストライキを起こしはじめる。病気が増え、体力は根こそぎ奪われ、食欲も落ちていく。かつては誇らしかったSサイズの服すらブカブカになり、XS、XXSとサイズが落ちていく。自分が少しずつ消えてなくなっていくような気がした。肌や爪もボロボロになり、もうメイクやネイルなんて一生できないと思った。そのうち洗面所に立つときは、いつも視線を落とすようになる。
鏡を一切見られなくなった。
見ないでいる間に、口元の産毛は指先にチクチクふれるほど育ち、眉の間にもかなりの毛の気配があった。カモメになって、飛び立つつもりだったのだろうか。
顔の毛ばかりが好き勝手に育っていく一方で、病気のストレスからシャンプーのたびにとんでもない量の髪が抜ける。自分の手で洗うことすらできなくなり、夫に髪を洗ってもらった。抜けた髪は、夫がわたしに見えないように捨ててくれていた。
自分の変化を見ないようにしていても、外に出れば見えてしまうものがある。
病院の帰り道、駅前はいつものように動いていて、信号が変わるたびに人が流れていく。同世代の女性がスーツを着てヒールで歩いていた。ベビーカーを押している人もいる。その人たちはただ普通に夕方の道を歩いていただけなのに、わたしには痛いくらいまぶしかった。
自分だけ、どこかの停留所で降ろされてしまったような気がした。
怖かったのは、髪が抜けることだけではなかった。排水口に絡まる髪の束に、体力も食欲も、おしゃれを楽しんでいたわたしも、外で働いていたわたしも、何もかもまざっている気がした。それでも、降ろされたままずっと立っているわけにもいかない。
どうせなら、自分の手で手放したい。
わたしの中のギャルが、厚底ブーツで地面をドンと踏み鳴らした。
ある日、テレビで“人生の楽園”を観ていた夫に、わたしはこう言った。
「坊主にしたい」
夫は画面を見たまま返事をした。
「ええんちゃう」
……軽い。あまりにも軽い。こちらは人生の一大決心をして告げたというのに、「カーテン買い換えようかな」くらいのトーンで返された。いや、まだカーテンの方が話が弾んだかもしれない。
二日後、ネットで注文したバリカンセットが届く。わたしは浴室に新聞紙を敷き詰め、全裸になった。今考えると全裸になる必要はまったくない。パンツくらい穿け、わたし。でも、こういうとき妙に張り切る自分は嫌いじゃない。

風呂椅子に座り、前かがみになってバリカンを見つめる。スイッチを入れると、ブィーンというすさまじい爆音。びっくりして飛び上がり、すぐにスイッチを切る。そこから一時間、全裸のままスイッチを入れたり切ったりして、モジモジしていた。寒さで鳥肌が立っている。トイレにも行きたい。ああもう、早くやってしまおう。
──ブィーーーン。
意を決してバリカンを頭にあてる。バリバリバリという音とともに、髪の束がドサッと落ちた。見たことのない量の髪が新聞紙の上に散らかる。取り返しのつかないことになったな、と思ったが、そこからは手を止めることなく一気に剃り上げた。
そっと頭をなでてみると、ジョリジョリしていた。
裸のまま洗面台の鏡の前に立つと、ずっと見ないようにしてきた自分と目が合った。胸の奥がギュッとなり、わたしはしばらく鏡の中の自分を眺めていた。けれど眺めているうちに、なぜか口元がゆるんだ。
「悪くないやん」
なぜだろう。悔しいけれど、妙にしっくりきている。鏡には、久しぶりに笑ったわたしが映っていた。
夫に早く見せたくて、そわそわしながら帰りを待つ。ガチャガチャと玄関で音がして、わたしは飛んでいった。第一声を待ちきれず、こちらから食い気味に聞く。
「頭、どう?」
夫は靴下を脱ぎながら言った。
「ええんちゃう」
三センチ髪を切ったときと同じ反応である。なぜこの男は、こうも動じないのか。愛する妻が坊主頭になっても、この男は靴下を脱ぐことに神経を注いでいる。坊主頭の妻は、ちょっとガッカリした。
そのころ、わたしは家事もろくにできず、母に来てもらったり、実家に滞在したりしていた。そう。坊主頭のわたしと対面するのは、夫だけではなかった。実家に住む両親とばあちゃんだ。夫は変わり者検定一級だが、うちの家族は普通の人間だ。どうか受け入れてくれ、と祈った。
「あんた今までで一番似合っとるわ!」母の目はちょっと泳いでいたけれど、すぐにいつもの調子に戻った。一方、父はというと、目に涙を溜め、「娘が坊主になるくらい辛いのに、お父さんは何もしてやれない」と言って、すっかり意気消沈。そこからわたしは、「違うねん、楽になったんよ」と熱く坊主をプレゼンし、父を励ますことになる。なぜだ。
そして、問題は戦前生まれのばあちゃんである。わたしの頭を見るなり「ヒッ!」と声をあげ、仏壇に走っていき、何かぶつぶつ唱えている。あの世のじいちゃんに助けを求めたらしい。
みんな、反応はぎこちないものだったけれど、それぞれに受け止めてくれた。
そうしてわたしの、坊主ライフが幕をあける。
体は相変わらずしんどいままだったけれど、不思議と心は落ち着いていった。朝起きても寝ぐせひとつない。そもそも、寝ぐせをつける髪がないのだから。シャンプーは一瞬で終わる。ドライヤーもいらない。風呂上がりは、タオルで頭をひとふきすれば終了。鏡の前で、頭のジョリジョリを確かめる日が増えていった。
ただ、頭が軽くなったからといって、体まで軽くなるわけではない。歩くこともままならない日は、車椅子に乗った。
車椅子の座面は低く、いつもの景色が違って見える。スーパーの下段は意外とほこりが溜まっていたし、コンクリートの隙間からは、小さな草花がたくさん咲いていた。
病院帰りにあんなにまぶしかったベビーカーやヒールも、少しだけ違って見えた。ベビーカーの赤ちゃんと目が合えば、こっそり変な顔をして笑わせてみる。ヒールの女性を見れば、外反母趾を心配してみたり。停留所で降ろされた気がしていたけれど、そもそもみんなが同じバスに乗っているはずはないのだ。
散歩中、夫は車椅子をズンズン押して進む。「ちょ、速いって!」と振り返って怒るわたしを見て、夫はニヤッと笑い、わたしの頭をポンッとなでた。駅前で買った焼き鳥を膝に乗せ、家に着く前にわたしは一人で食べてしまった。「ごめん」と言うと、夫は「ええで」とだけ言って車椅子を押し続ける。その声は、ずっと変わらないいつもの声で、夕日はただ、オレンジ色だった。
今のわたしはショートカットで、自分の足で歩いている。腹まわりだけは戻りすぎて、最近下腹がたぷたぷだ。まあ、そのたぷたぷも悪くない。
けれど、すべてが元通りになったわけではない。病気はまだ、いろいろある。何もかも嫌になって、全部投げ出したくなる日もある。それでも、鏡の前で坊主頭のまま笑ったあの日のわたしは、今もわたしの中にいる。
そしてピンチになると、厚底ブーツで地面をドンと踏み鳴らし、ラクダみたいなまつ毛をバサバサさせながら、ギャルだったわたしが出てくるのだ。
「まだ、いけるっしょ」
