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吉本新喜劇の舞台に立てなかったわたしだけど

子どものころのわたしの夢は、吉本新喜劇の舞台に立つことだった。

関西で生まれ育ったわたしにとって、お笑い文化は空気みたいなもの。特にお笑い好きの父がいたわが家では、日常の中にいつも漫才や新喜劇が流れていた。当時、母がしょんぼりしている期間が長かったこともあってか、わが家のお笑い担当は父とわたしだった。わたしたちがくだらないことを言うと、母は少し笑っていた。

つまらない話をすれば、父に「オチないんかい!」とつっこまれ、面白い話をすれば「吉本いける!」とおだてられる。そんなアメとムチの教育を受けながら、いつしかわたしは、新喜劇に立ちたいと思っていた。

しかし、致命的な問題があった。

家ではわりとひょうきんなわたしだったが、一歩外へ出ると、猫をかぶるどころか、猫を百匹くらい連れて歩く内弁慶。お遊戯会の配役は「花」だった。頭に画用紙の花をつけ、ただじーっと座っているだけの娘を、父は客席からどんな目で見ていただろう。

そんな己の性格に気づいたころ、次の夢を吉本新喜劇の脚本家へとシフトした。あのシナリオを考えている人こそ、一番面白いんじゃないかと考えたのだ。

だが、面白いことが好きだからといって、面白いアイデアが湧いてくるわけではない。自分がそっち側の人間ではないという現実に少しずつ気づいた。いつしか夢は日常に溶けていった。

ネガティブを煮詰めて固めたようなわたしだが、お笑いはずっと大好きだった。

お笑い番組を見る気にもなれないほど、落ち込む日々もあった。そんなときでも、日常には小さな笑いが落ちていた。

一緒に歩いていた夫が、急に足を滑らせて見事な開脚ポーズで転んだ。心配そうにこちらを見つめる父の鼻から、鼻毛が十本ずつ出ていた。母がフガフガ言いながら推しの佐藤健の話を無限ループしていた。

笑ったからといって、何か解決するわけじゃないし、またすぐにドヨーンとする。それでも、しんどい心にできたほんの小さな隙間に、わたしは何度も助けられてきた。

自分も誰かを笑わせたかったことは、すっかり忘れていた。

ところがnoteをはじめてから、「誰かを笑わせたい」という気持ちがムクムクと戻ってきた。「面白い」とコメントが来たら「ウッヒョウッヒョ踊り」という自作の躍りをおどっている。その一方で、「あれ、おもんなかったか?」「すべったか?」と評価を気にする自分も現れた。

もっとも、実生活での評判はよくない。夫にモノマネを披露しても、ほとんど笑わない。ひとみ婆さん風にご飯を運んだら、味噌汁をぶちまけてしまい、怒られた。夫は笑いがわかってないんだ。つまらない男だよ。

センチメンタルな投稿をすることも(かなり)あるけれど、これからも日常に落ちている笑いを、コソコソ拾い集めて書いていきたい。

(話長いねん!オチないんかい!)









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