『お父さんは、判ってないね~』
コンクリートは強烈な日差しに熱せられ、足元からじりじりと熱を放つ。
お濠(ほり)の水は苔色で、夏の日差しがその水面に白くキラキラと動いている。
娘は橋の欄干の隙間から行き交う電車に手を振り続け、僕はお濠の水面を眺めていた。
「お父さん、お腹空いた、ラーメン食べたい」
「この暑いのにラーメン食べたいの?」
と言うと、口をとがらせ「そうだよ~」と
通り過ぎる電車に手を振っている。
以前はここ飯田橋の駅前にはマクドナルドがあった。
そのマクドナルドで野菜抜きのビッグマックとポテトを買い
姉の入院している病院へと歩いたものだ。
行き交う車とセミの鳴き声に追い立てられながらも
お濠に植えられた木々の日陰を探して歩く。
病院の玄関を入ると消毒の匂いが充満している。
空調も効き、汗を吸ったTシャツがやけに冷たく感じる。
表とは別の世界だ。
エレベーターを降りると靴を履き替え、手を洗い、消毒をする。
マスクを付け、足首の消毒を済ませ、姉の待つ無菌室に入る。
部屋には大きな窓ガラスがあり、そこからお濠の緑がよく見えた。
野菜抜きのビッグマックを食べながら微笑む姉の横で
僕は目の前だけど遠い別の世界を窓越しに見ていた。
お濠の苔色の水面は、さっきと同じようにキラキラと光っている。
「退院したらラーメンが食べたいな~」
「この暑いのにラーメン? そもそも、もっとうまい物あるでしょ」
と言うと、ポテトをくわえ、こちらをギョロっとにらみ、
「あんたは分かってないね~」
とラーメンの素晴らしさを十分ほど聞かされた。
そんなラーメン愛を語る姉だったが
なぜか退院してもラーメンを食べに行くことはなく
その後も入院する度に「ラーメンが食べたいな~」を繰り返していた。
姉がこの世を去って随分と月日が流れたが
僕はいまだ暑い日にラーメンを食べる気にはなれない。
娘はそんな渋い表情の僕を見て
「お父さんは分かってないね~」と
こちらに振り向き
眩しそうに
帽子のつばから
瞳をのぞかせた。
