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自分の人生で後悔してることはありますか?

なんか急に思い出したことがあるので、ちょっと書いていきますね。
皆様は後悔していることとかありますでしょうか?

おじいちゃん子だった自分。

以前に父方のおばあちゃんについては書きましたがね。

まあ、父方の祖父母には本当に可愛がってもらったもので…。
今考えますと、明らかにひいきされているくらい可愛がってもらったのは間違いないところです。

リンクに貼りました。以前書いた
「父方とのおばあちゃんとの思い出について書く」 の記事でも書いたのですがね。
自分が小学校2年生の時に父方の祖母は亡くなってしまいますので、かれこれ亡くなってから35年以上たってしまったわけですが、それでも亡くなるまでの7年間一緒にいる機会も多かったですし、記憶にすごく残っているわけなんですけども。

父方の祖父のほう。おじいちゃんにもたいへん可愛がってもらいました。
さきほどのリンクを貼ったおばあちゃんとの思い出の記事内でも、火力発電所に石炭を運ぶ汽車が走っていたなんてことを書いていますが、幼少期は祖父の運転する自転車の後ろに乗せてもらい、火力発電所に石炭を運ぶ汽車がくるのを線路沿いまで見にいったりしたものです。 

祖父母の家に泊まりに行きますと、毎回ではないですが電車で札幌駅まで行って、当時はそごうがありましたのでね、そごうの7階のおもちゃ屋さんでおもちゃを見て、9階の本屋さんでドラえもんの単行本を買ってもらって、そば屋さんでざるそばを食べて帰ってくる。
みたいなのが楽しみのひとつだったなあ…なんてことが思い出されるわけです。

当時は赤い電車がよくやってきていたのですが、たまに今も走ってるような銀色の電車がやってきてね。どっちの電車が来るのかなあみたいなところも楽しみのひとつだったりしましたね。
今回の見出し画像にしたような電車がやってきていたのですよね。

父方の祖父は祖母が亡くなった後、自分たちが住んでる市と同じ市内に住んでいたのが、俺の父の兄であるおじさんのいる千歳市で一緒に住むということで引越をしていきまして距離は少し離れることになりました。
それでも、たまにうちに泊まりにきてはおこづかいをくれたりする。
という感じで頻繁にではないですけどうちにもきたりしていましたね。

マジでどうでも良いことなんですけど、思い出しちゃったから書くわ。
中学生になる前かなったくらいのころだったと思うのですけどね。
いつもと同じようにうちに泊まりにきたんですけど、その日おじいちゃんは週刊誌をもってきたんですよね。
文春だったか新潮だったか、そのあたりはあいまいですけど、それ系の週刊誌ですね。
たぶん、うちへの移動中の電車とかで読んでいたんだと思うんです。

でね、おじいちゃんがなんかで部屋を離れたタイミングで少しパラパラめくっていたわけなんですけど、中の記事の内容なんてその年齢の人にはあまりよくわからないじゃないですか。

ただ、巻頭数ページが女優さんのヌード写真のページだったのですよね。
アダルト系ではなくて普通の女優さんがヌードになってるみたいな感じのページで。
当時は、当然スマホとかの時代ではないですし、自分でそういう本やましてやビデオなんて買いにいけるような感じでもなかったですので、その週刊誌を忘れて置いて千歳に帰っていったのが本当にありがたかったなあ…。

完全に話がそれた…。
この後、話は戻しますよ。
勇気を出して、ちょっと遠いおじいさんおばあさん店員しかいない繁盛してなさそうなセイコーマートに行ってそういう本を買いにいけるようになる話とかまで、思い出しちゃったけど。
今回は絶対に書かない。

おじいちゃんが亡くなる間際まで話は飛びます。

そんなこんなで、たまにおじいちゃんが泊まりにやってくる。
みたいな生活は自分が高校3年生になるまで続きましてね。

それは高校3年生の秋くらいのこと。
いつもは泊まりにきても他愛もない話をするくらいだったおじいちゃんが、戦争に行った話をしだしたのですね。
中国の方に行ったとか、きれいな湖があってどうのこうの…とか。
急にそういう話をしだしたものでね。
なんとなく話半分に相槌をうっていましてね。
正直なところしっかりとした記憶として覚えている部分は少ないのですよね…残念なことに。

後日、母親に
「おじいちゃんがこんなことを急に話しはじめたんだけど…」の後に、俺が
「生きてるあいだに伝えておきたかったのかしら」
と冗談半分で言ったら、母親に
「冗談でも、そんな縁起でもないことは言うもんじゃない」
とむちゃくちゃ怒られることになるんですがね。

それから、1ヶ月もしないうちに学校で授業を受けていたら
「両親から連絡があって、おじいちゃんが病院に運ばれたから今から帰る準備をして」
みたいなことを先生に言われて、父親の運転する車で札幌の手稲にある大きめの病院まで行くことになったのですね。
それから1週間くらいはタイミングをみては手稲の病院まで行くことになるのですね。

その時期のことで覚えてるのは、普段ラーメンを食べることもないのに
「ラーメンでも食べて帰るか」
と父親が言うので、父親と自分とふたりでラーメン屋さんに入ってラーメンを食べて帰ったことですね。
母親と弟がなんでその場にいなかったんだっけとかそういうのは覚えてないし、ラーメン屋さんで何を話したかもおぼろげですけど、お店の人に
「ふたりともスープまで全部のんでくれてありがとうね」みたいなことを言われたような記憶がありますね。

そうこうしていましたら、おじいちゃんが病院に運ばれてから、1週間するかしないかくらいでおじいちゃんは亡くなってしまうのですね。
「あなたが一番おじいちゃんに可愛がってもらったんだから」
と、実の息子である父親や他の兄弟をさしおいて、亡くなったおじいちゃんを千歳まで運ぶ車の助手席に乗ったんじゃなかったかなあ…。

そして思ったのですよね
「生きてるあいだに伝えておきたかったのかしら。というのはあながち間違いでもなかったのではないか」と。
ちょっと死期みたいなものも感じていたのか。
その急に話しだした違和感から自分も少し感じとっていたのではないか?と。

それで、後悔というのはですね。

おじいちゃんが戦争の話をしていた部分。

中国の方に行ったとか、きれいな女性がいたとか、湖があってどうのこうの…とか。

と書きましたけど。
それくらいの断片的な記憶しか残ってないのですよ。
今思いだそうとしても思い出せないですし、確かめようもない。
たしかに違和感は感じたところはありましたけど、本当にすぐ後にこんなことになるなんて思っていなかったのでね。
しっかりはきいていなかったのではないだろうか。
また話したくなったら話すだろうみたいな。

死期を感じていたのかも…みたいなのは、もう
「後々思えば…」
といった部分も大きいですからねえ。

あの時にもし戻るならば。
その時はしっかりと記憶できるように話をきいておきたいなと思う次第ですよ。
今もうきくことはできないですけどねえ…。

人生における後悔って誰しもなにかしらはありますよね。皆様も何か浮かんだところはあるのではないでしょうか。
といったところで今回は終わりにしたいと思います。

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