【投稿企画】「きおくをつなごう」という投稿テーマで思う、祖父の言葉を忘れてしまったことについて…。

そうそう、noteで「きおくをつなごう」というテーマ、投稿企画がありました。

「きおくをつなごう」スケジュール

書きかけの状態で8月いっぱいの取材ご相談期間は終わってしまったが、募集期間はまだあるので書きあげていこうと思う。

今年は日本で戦争が終わって80年の節目になるとのようである。
年々戦争を経験している方が減っていっており、経験した方の記憶を語り継いでいかなきゃいけないのでは…ということなんですけど、思いあたることがほとんどない。

その無い中でも、思い出したことがあるので書いていきたいと思う。

父方の祖父。

「思い出したこと」
とは書いたものの、正直なところほとんど思い出せていないことである。

父方の祖父、自分にとっておじいちゃんには本当に可愛がってもらった。
幼少期はよく市内を自転車の後ろに乗ってまわったりしましたし。
ちょいちょい土日で泊まりにいっては、土曜はまんが日本昔ばなしをみてクイズダービーをみて、祖父が暴れん坊将軍にチャンネルをかえて、世界ふしぎ発見をみて寝る。
翌日の日曜日は出かける時は朝から電車に乗って、北海道にある実家も当時のおじいちゃんの家もある市からとなりの市である札幌駅まで電車で行って、ざるそばを食べて、札幌のそごうの7階にあるおもちゃ屋さんをみて、9階にある本屋さんをみて、帰ってきたりしたものだ。

以前に記事で、父方の祖母、自分にとってのおばあちゃんについて書いたことがあったが

その記事内でふれられているが、おばあちゃんは自分が小学校2年生の時に亡くなった。

その後、おじいちゃんはひとり残されたわけだが、自分の実家と同じ市から、自分の父親のお兄さんにあたる人、自分からしたらおじさんにあたりますかね。その人と同居するために千歳市に転居することになり、会う機会は少し減ったのであった。

ただ、たまにうちに泊まりにやってきては、おいしいごはんを用意してくれたり
「つぶ貝が好きでしょう」
と買ってきたり、おこづかいをくれたり。
寝る部屋も自分と同じ部屋で寝て、とにかく自分は孫の中でも誰よりも可愛がられたと自覚できるくらい可愛がられたし優しかったと記憶している。

ある日のこと、祖父はまたうちに泊まりにやってきた。

その時に急に祖父が昔の話をしだしたのである。
戦争とかそのあたりの時期だろうか…。
「怪我をした人をなおすために、行った」とか
「中国にあるどこそこという街に、きれいな湖があって…」とか
おぼろげに記憶がある。
しかしまあ、これがまたおぼろげにしか覚えていない…。

とにかく、そんな話を急にしだしたのが印象的でもあり、ちょっと違和感もあったのはよく覚えている。

親戚のお葬式があった時に。

その泊まりにきた日から少しして、親戚のお葬式に家族で出かけた。

そこで、祖父が泊まりにきて急に昔の話をしだした時のことを両親や親戚に話をしたわけだが、その中で
「なんか、死んでしまう前の、生きてるうちに伝えたかったんじゃないの」
みたいなことを言ったところ、母親に
「そんなこと言うもんじゃない」
とむちゃくちゃ怒られた。
言って良いことと悪いことがあるとか、冗談でもそんなこと言うもんじゃないとかそんな感じで。

しかし驚くことに、それから1カ月もしないうちに祖父は体調を崩し、亡くなってしまったのだ…。

まさか「生きてるうちに伝えたかったのでは…」
というのが、本当になるとは。
という感じで…今思えば祖父にとってはその話をする最後の機会だったのかもしれない。
その話をきくのが最後の機会と、はじめからわかっていれば、もっとしっかりきいて記憶に留めて
「こんなことを言っていた」
と伝えられたかもしれません。
それがなくても、ちゃんときいて記憶に残しておけば良かったなあ…という後悔みたいなものは、ちょっとある。
まだ学生だったし、若かったなあ…。
今ならもうちょいちゃんときくのに…。

今、あの日にまた戻るなら、しっかりその話をきこうと思う。
「きおくをつなごう」というテーマで書きはじめつつ「中国のどこそこ(地名すら忘れてしまった…)という湖の近くにきれいな景色があった」くらいで、きおくをほとんどつなげないような断片的な記憶の文章になってしまいましたが、久々に祖父がその話をした時のことを思い出す機会にはなりましたし、それでも書き残すことが自分自身にとってはきおくをつなぐことになるかもしれない。
という感じですかね。

しかしまあ
もしまたあの日に戻るなら、もう祖父の寿命が残り少ないことがわかっている状態で、その話をきくことになってしまうのかしら…。

#きおくをつなごう

いいなと思ったら応援しよう!

globalist 「鮭とば」を買うための資金とさせていただきます。