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倩䞋取りの総仕䞊げ「北条埁䌐VS倧坂の陣」NHK倧河ドラマ豊臣兄匟䟿乗

織田信長ばかり曞いたので、結びに豊臣秀吉ず埳川家康の二倧合戊比范。

​戊囜時代の終わりを象城する2倧巚倧合戊ずいえば、倩䞋統䞀の総仕䞊げずなった豊臣秀吉の「小田原埁䌐北条埁䌐」ず、豊臣家を文字通り根絶やしにした埳川家康の「倧坂の陣」だ。

​どちらも日本䞭から20䞇人芏暡の倧軍を集めた歎史的総力戊であるが、この二぀の戊いを䞊べお眺めたずき、奇劙な逆転珟象に気づく。

時系列ずしおは、倩䞋統䞀の「前半戊」である秀吉の北条埁䌐の方が圧倒的にスマヌトで組織的であり、すでに倩䞋を掌握しお「埌半戊」のはずの家康の倧坂の陣の方が、どこか䜙裕がなく泥臭いのだ。

​たるで時代が逆行しおいるかのように、秀吉の方が圧倒的に䞊手い。
その理由をいく぀かの角床から解き明かしおみたい。

​兵站の矎孊
石田䞉成のロゞスティクス vs 手匁圓のギクシャク

​たず軍事の基本である「兵站」のあり方だ。

​秀吉の小田原埁䌐では、石田䞉成らが䞭心ずなり、西囜から関東に至るたでの膚倧な兵員ず物資の茞送ルヌトを緻密に管理・蚈算し尜くしおいた。
20䞇人を超える倧軍を長期間、小田原城の包囲網に匵り付けにしおおきながら砎綻を起こさなかったのは、鉄壁の行政官僚組織があったからに他ならない。

​䞀方の江戞幕府による倧坂の陣はどうだったか。

すでに倩䞋倪平の䞖に慣れ始めたあるいは戊囜の気颚が薄れ぀぀あった諞倧名がそれぞれの自軍を率いお参陣する「手匁圓」的な偎面が匷く、党䜓の兵站や陣営の統制は決しおスムヌズずは蚀えなかった。
倧軍ゆえの軍玀の緩みや補絊の非効率さに、幕府偎は終始頭を悩たせおいる。

「これから倩䞋を取る」登り韍の豊臣政暩の方が、行政組織のキレが圧倒的にシャヌプだったずいうのは䜕ずも皮肉な話である。

​戊争の挔出
「附城で遊ぶ秀吉」ず「恐怖に怯える家康」

​戊い方そのものの「䜙裕の有無」も察照的だ。

​小田原埁䌐での秀吉は、文字通り「䜙裕しゃくしゃく」だった。
難攻䞍萜ず蚀われた小田原城に察し、力攻めをしお血を流すような野暮な真䌌はせず、呚囲に石垣山城などの「附城」を蚈画的に築き䞊げる。
その陣䞭には茶噚を䞊べ、胜圹者を呌び、果おは茶人や職人、さらには女性たちたで呌び寄せようずするなど、たるで䞀倧フェスや行楜のような空間を䜜り出した。

「これだけの物量ず文化の差を芋せ぀けられたら、北条は戊意を喪倱するしかない」ずいう、圧倒的な自信ず゚ンタメ粟神に満ちた心理戊だった。

​これに察し、倧坂の陣の家康は冷や汗をかきっぱなしである。

真田信繁幞村らの決死の突撃では本陣たで切り蟌たれ、自害を芚悟したずいう逞話が残るほど远い詰められた。
老境に達しおいた家康にずっお、「豊臣」ずいう火皮が倧坂に残っおいるこずは埳川の未来の脅嚁であり、粟神的な䜙裕などなかった。

​だからこそ手段を遞ばず、文字を分割しお呪っおいるずいう「囜家安康」の蚀いがかり方広寺鐘銘事件を匕っ提げ、無理やり戊争の口実をこじ開けるしかなかった。
その姿には、か぀おの䞻家を葬り去るための剥き出しの執念ず、どこか焊燥感が挂っおいる。

​結びにかえお

​秀吉の北条埁䌐は、圧倒的な物量ず完璧な兵站、そしお文化的な䜙裕の挔出によっお敵の心を折り、䞖界を新しい秩序ぞず組み蟌んでいく「スマヌトな統合の戊争」だった。

察する家康の倧坂の陣は、前の時代の遺産を力づくで根絶やしにするための「老いた執念の枅算戊争」だった。

​倩䞋統䞀前の絶頂期に、優雅に城の呚りで茶䌚を開けた秀吉。

倩䞋を取った埌にもかかわらず、蚀いがかりで倖堀を埋め、泥臭く牙を剥かなければならなかった家康。

そう考えおいくず、戊囜の䞖のダむナミズムを最倧颚速で駆け抜けた豊臣家の「党盛期の茝き」ず、それを冷培に刈り取っおいった埳川の「リアルな珟実」のコントラストが、より䞀局鮮やかに浮かび䞊がっおくるのだ。

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