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【追憶:甲子園と祖母の恋】戦争で青春を奪われた70歳のおばぁが、ハンカチ王子の延長15回に見せた「10代の少女の顔」と忘れられない一言

夏休みも本番を迎え、沖縄では連日、刺さるようなまぶしい太陽とアコースティックなセミの鳴き声が響き渡っています。そんな沖縄の夏において、沖縄県民の血を最も熱く滾(たぎ)らせるもの……そう、「夏の全国高校球(甲子園)」です!

今年も熱い甲子園が開幕しましたね。昨年の夏を制した「沖縄尚学」が今年も沖縄県代表として甲子園の土を踏んでいます。あの“日本一短い”と話題の沖縄尚学の校歌を、今年は何度聴くことができるのか、今からワクワクが止まりません!

さて、今回は私の記事をいつも素敵なマガジンに取り上げてくださるのぞみんさんの企画、「教えて!おじいちゃん、おばあちゃんのこと。」に参加させていただこうと思います!

👉 【企画記事】「教えて!おじいちゃん、おばあちゃんのこと。」(のぞみんさん)

私自身、父方・母方ともに祖父母はすでに他界しており、今から直接会いに行って触れ合うことはもう叶いません。ですが、「思い出を語ること」なら、いくらでもできます。
特に私にとって、母方の「おばぁ」との思い出は、この甲子園の季節になるたびに、まるで昨日のことのように鮮明に胸の中に蘇ってくるのです。
今日は、「甲子園に恋をした70歳のおばぁ」の、愛おしい夏の物語をお話しさせてください。

1. 家族の誰よりも熱かった「おばぁのテレビ甲子園」

私のおばぁは、大の高校野球好きでした。とはいえ、甲子園球場や地元の球場へ直接試合を観に行くわけではありません。おばぁの主戦場は、いつもリビングの「テレビの前」でした。
今でこそ熱中症対策として午前と夕方に試合を分ける「二部制」などが導入されていますが、当時は朝の第1試合から夕方の第4試合まで、容赦ない炎天下の中で試合が行われていた時代です。
おばぁは朝から夕方まで、文字通り一日中テレビに張り付いて、食い入るように試合観戦をしていました。
私は小・中学校時代は野球部に所属し、高校からはソフトボールに打ち込んできた「根っからの野球少年」です。沖縄という地域柄もあって野球には親しんできましたが、誰よりも野球に詳しかったのは、私ではなく「おばぁ」でした(笑)。沖縄県代表の試合だけでなく、他府県同士の試合であっても、おばぁは一日中ずっと真剣な目つきで観ているのです。

そして、試合の展開が佳境に入ると、画面に向かって時々ボソッと呟くのです。

「……今から点数が入るさぁ。流れが来ているから。しっかりバントでランナーを進めるといいよねぇ。」

私は思わずツッコミを入れました。

「えっ、おばぁ、なんで分かるの!? まさか監督なの? 解説者なの!?」

すると、おばぁは目を細めながらこう答えるのです。

「ベンチが映るでしょ? ベンチの子たちがねぇ、すごく良い顔をしてるんだよ〜。一生懸命な姿は、本当に良いよねぇ。」

戦術や技術データではなく、画面に一瞬映る球児たちの「表情」や「空気感」から、試合の流れを完璧に読み取っていたおばぁ。

「そろそろ、このピッチャーダメかもしれんねぇ。」 ➔ 直後に相手打線に捕まる。

「このチームはよく守るさぁ。みんな上手だよ。」 ➔ そのチームがそのまま勝ち進む。

もはや、おばぁは「甲子園の預言者」でした。

ですが……そんな凄腕解説者のおばぁも、沖縄県代表の試合の時だけは一切の「予言」を口にしなくなります。 ただただ手を合わせ、祈るように、我が子を想うような表情で画面を見つめていました。
そして、沖縄代表が惜しくも敗れてしまった瞬間、ポツリと寂しそうに一言。

「あぁ……おばぁの夏が、ひとつ終わったさぁ。」

その背中は、負けてしまった高校球児そのものでした。

2. 戦争で奪われた青春。おばぁの「遅れてきた10代」

大人になってから思い返すと、おばぁのあの凄まじい「甲子園への愛」の背景にあるものはもしかすると?と考えたことがあります。
おばぁは、かつて沖縄戦における「集団自決(強制集団死)」の地獄を奇跡的に生き延びた人でした。 10代の青春時代にありながら身体に大きな傷を負い、戦後の何もない焼け野原から、必死の思いで子どもたちを立派に育て上げてきた人でした。

おばぁの「10代」には、制服を着て友達と笑い合ったり、部活動に汗を流したり、誰かに恋をしたりするような「青春」なんて、きっと存在しなかったのです。
泥と血にまみれ、生きることだけに必死だった少女時代。
だからこそ。 大人になり、子どもを育て上げ、おばぁになってから出くわした「甲子園」という舞台で、泥だらけになりながら白球を追いかける高校球児たちの姿は、おばぁにとって「生きている喜びそのもの」だったのだと思います。

おばぁの青春は、おばぁになってから、甲子園と一緒に始まったのかもしれません。


3. 2006年夏。「おばぁの夏が1日延びたなぁ♪」

そんなおばぁとの数ある甲子園の思い出の中で、20年近く経った今でも、私の胸に強く焼き付いて離れない「特別な夏」があります。

それが、2006年の夏です。

当時、中学3年生だった私は、夏の大会で野球部を引退し、どこかぽっかりと穴が空いたような、ヒマな夏休みを過ごしていました。 だからこそ、その夏は、人生で一番おばぁと一緒にテレビの前で甲子園を観ていた時間でした。2006年の甲子園といえば、野球ファンでなくとも忘れられない伝説の夏。 そう、早稲田実業の「ハンカチ王子」こと斎藤佑樹投手と、駒大苫小牧の「マー君」こと田中将大投手が激突した、あの激闘の年です。

その年、沖縄代表の八重山商工も甲子園を大いに沸かせ、おばぁと一緒に大興奮で応援していました。 しかし、八重山商工が敗退したあとも、おばぁの夏は終わりませんでした。

そう、おばぁの目線の先には、気品漂うポーカーフェイスで連投を続ける「ハンカチ王子」がいたからです(笑)。おばぁはきっと、テレビの画面越しにハンカチ王子に胸をときめかせていたのでしょう。

そして訪れた、あの伝説の決勝戦。

お互いに譲らない死闘。投げ合う二人。 手に汗握る展開のまま、試合は延長15回を戦い抜き……まさかの「引き分け再試合」が決まった瞬間でした。

試合終了のサイレンが鳴り響いたとき。横に座っていたおばぁが、ふっと柔らかい息を吐き出して、私の方を振り返りました。その時の表情を、私は一生忘れることができません。
目尻に深く刻まれたシワの奥で、瞳がまるで少女のようにキラキラと輝いていて、頬をポッと赤らめながら、心底嬉しそうにこう言ったのです。

「……ふふっ。おばぁの夏が、1日延びたなぁ♪ 明日も楽しめるさぁ。」

その時、おばぁはたしか70歳を超えていたはずです。 見た目はどう見ても白髪の「おばぁ」なのに、その瞬間の表情は、どう見ても恋する「10代の少女」そのものでした。
たった一日、大好きな甲子園が長く見られること。 大好きな球児の姿を、明日も追いかけられること。おばぁは確かにあの夏、甲子園という輝かしい舞台に、そして一生懸命に生きる球児たちに「恋」をしていたのです。

翌日。私たちは再び、リビングで肩を並べて決勝再試合観戦に臨みました。ハンカチ王子とマー君の最後の1球まで見届け、早稲田実業が見事に優勝を果たした瞬間。大興奮で騒ぐかと思ったおばぁは、テレビ画面から溢れる歓声を聞きながら、少しだけ寂しそうに、でも誇らしげにポツリと呟きました。

「……いい試合だったねぇ。」

ハンカチ王子たちの早稲田実業が栄光の深紅の優勝旗を手にし、全国の高校球児たちの夏が幕を閉じた瞬間。
おばぁの2006年の「甘酸っぱい恋」もまた、静かに終わりを告げたのでした。

結び:天国(グソー)でも、きっと甲子園に恋をしている

あれから20年近くの年月が流れました。おばぁはもうこの世にはおらず、天国(沖縄の方言で『グソー』と言います)へと旅立ってしまいました。けれど、毎年8月になり、テレビから甲子園の金属バットの快音やブラスバンドの応援歌が聞こえてくると、私は今でも、あの日のおばぁのキラキラとした笑顔を思い出します。
苦難に満ちた時代を生き抜き、家族を愛し、最後まで泥くさく生き切ったおばぁ。 そんなおばぁが、1年に一度、無邪気な少女に戻れる場所が「甲子園」でした。今年も、甲子園では球児たちが汗と涙を流しながら、ドラマを生み出しています。

きっと今頃、グソーの特等席で、温かいお茶でも飲みながら……
「今のバントは上手だったねぇ」
「ベンチの子が良い顔をしているさぁ」
なんて言いながら、おばぁは今年も甲子園に恋をしているはずです。

おばぁ、今年の夏も、甲子園が始まったよ!
そっちでも、美味しいお茶を飲みながら、全力で楽しんでね。

みなさんは、おじいちゃんやおばあちゃんとの「忘れられない夏の思い出」はありますか?

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