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星の王子さまの著者が語る、人間というもの|人間の土地(サン=テグジュペリ)

「果たして自分はこの本の何割を読めているだろうか」
読了後に、ふとそんなふうに思う本がある。

「星の王子さま」は人生の中で何度も読み直す本であるが、読み返すたびに注目するエピソードや登場人物が変わるし、湧き上がる感情も異なる。

そんな「星の王子さま」を読んだことがある人は多いと思うが、今回取り上げたいのは、その作者であるサン=テグジュペリが自身の職業飛行士としての半生を綴った「人間の土地」。

壮大な空の旅

サン=テグジュペリは1900年にフランスに生まれる。
小説家でありながら、職業飛行家として生計を立てていた。
本書では、そんな著者とその仲間達のエピソードが凄まじい生命感をともなって記述されている。

時代は20世紀初頭。
戦争に活用されていた飛行機は、大陸間を横断する輸送手段としても用いられる。
当時、輸送手段としては船や鉄道が主である中、積載量で劣る飛行機がそこに勝るのは時間である。
逆にいうと、効率的かつ短時間で輸送できなければ価値はないーそんな逆風のなか、飛行機乗りたちは懸命に嵐に向かって飛び立っていく。

現代とは大きく異なり、飛行機の機体性能だけでなく、整備されたルートやナビゲーションシステムもなく、自分の経験や勘を頼りに航行していく空の旅は常に死と隣り合わせだが、初めて地上をはるか上空から自由に移動できる者たちへの根源的な喜びを感じることができる。

そして、なんといっても「星の王子さま」の著者であるサン=テグジュペリの人間への洞察の鋭さと言葉の力強さによって、何度胸を熱くさせられたことか。

人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩たることだ。
人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。
人間であるということは、自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ。

人間の土地|サン=テグジュペリ

真の贅沢とは何か

真の贅沢とはひとつしかない。それは人間関係の贅沢である。

同著

人間における贅沢とは何かー
その問いに対する答えがこの本の中で提示されている。

そもそも贅沢とは何か。
「本来必要とされる以上の余計なもの」あるいは「その余計を豊かさと捉え、味わうこと」だとここでは考える。

食に関する贅沢、旅行先で味わう贅沢な時間・・・
現代において思い浮かぶのはそういったものだが、
サン=テグジュペリは人間関係の贅沢しかないと断言する。

それも単なる人間関係ではない。
いつ嵐に巻き込まれて命を失うか分からない、そんな苦難を乗り越えた先の異国で再会する友と酒を飲み交わす時間。
苦難を共に乗り越えたものだけに生まれる絆、それこそが真の贅沢である。

大陸を股にかける飛行機乗りとは比べ物にならないが、
私に置き換えても、学生時代に学友達と汗を流して文化祭の準備をするような瞬間や、会社に夜遅くまで残っているもの同士だけが共有できる空気がある。

ただ無為に生きるのではなく、命を燃やしながら生きるということが、真摯に表現されている。

極限状態の中で人間は創られる

本書のなかで最も私の心に残ったエピソードが、サン=テグジュペリが砂漠に不時着し、助けを求めてさまよった際のものである。

地図もなければ、食料や水もない。
明け方、持っている布で飛行機の翼についた夜露を拭い、油と塗料が混ざった液体を飲んで凌ぐような時間。
いつ助けが来るのか、どこに向かえば街やオアシスがあるのかすらわからない。
灼熱の空気の中で喉が焼かれ、目には蜃気楼が浮かぶ。
手元には、拳銃。

そんな極限状態での思考がとつとつと記述されていく。

精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる。

同著

人間は、ただ生きているだけでは、単なる粘土の塊にすぎない。
その土地に、精神という風ー苦難や怒りや恐怖、あるいは喜びや快ーそういったものを通じて初めて人間は創られる。

あらゆるものが便利になる現代で、思考すら手放そうとしている我々。
ただの土塊として日々を過ごすようなことはしたくない。
何かを成し遂げたいというわけではなく、ただ人間として生きたいということ。

そんなことを強く思わされる作品。

「星の王子さま」と同様に、また折りを見て読み直すべき作品だと感じる。
宮崎駿による解説「空のいけにえ」も含めて非常に素晴らしい一冊だった。


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