第6話「それぞれの世界線」

堅山は、着信履歴を確かめるようにスマホを眺めたあと、意を決して発信ボタンを押した。
「……出るやろか」
数コールののち、落ち着いた関西弁が受話器越しに響く。
「電話かかってくる思てましたわ。堅山はん」
「え? まさか術師のあなたには何でもお見通しってことですか?」
「はは。実はこの体で以前名刺交換させてもうたみたいでしてな。普通に画面に『堅山』って出てましたんや。」
「この体?」
堅山は立花の言うことが理解できない。

立花孝子――いや、かつての“立花タカシ”は、自分が今どの世界線にいるか、すでに把握していた。
転生した瞬間、自分がいたあの「兵庫県庁内部告発文書事件」の時間軸よりも、かなり過去にいることに気づいた。
やったら、今度こそ西藤ともひこを守ろう。あの時の自分の“無知”を償おう。
孝子は、政界では無名の美人女子に転生した外見と“術”の力を駆使し、ひそかに県政を見張っていた。
「今回の電話、てっきり怪文書の件や思てましたけど……」
「いや全く違います。何と言うか…西藤知事が、西藤やない…誰かと入れ替わっとるみたいなんです。」
「……なんやて?」
孝子は一瞬沈黙したのち、受話器越しにため息混じりで呟いた。
「なんか、おもてたんとちゃうな……」

電話の会話を隣で聞いていたサユリは、ふと目を伏せた。
兵庫県庁の内部告発――確かに、自分の世界でもその事件はニュースになっていた。
けれど、何が真実で、何が捏造か、メディアの報道からは判断がつかなかった。
最終的に、元の世界線では「斉藤友彦」が奇跡の復活を果たして再選された。
だが、その過程の熱狂と、サユリのSNSタイムラインに溢れた反斉藤派の言葉とにはどこか温度差があった。
彼女はふと、元の世界に置いてきた一人息子のことを思い出した。
あの子は、今どうしているのだろうか――

「……で、知事は今どこにおるかわかりますか?」と堅山。
「ふふ。そういう霊的なことはな、味噌汁の味がちょっと変わったとか、その程度の感覚で感じられるんですわ」
孝子の意識が集中する。しばしの沈黙ののち、彼女が口を開いた。
「……ともひこはんは、今はあんたらがおった世界線で、“女性”として生きとるようですわ」
「女性?」
「しかも今、ちょっとイライラしてはる……生理前の…あれやろか?」
「……何言うてますの!」と堅山が小声でたしなめるのを無視して、孝子が続けた。
「とりあえず、苦労しはるかもしれへんけど、体は元気やと思いますよ?」
「よかった…とりあえず……で、立花さん、西藤を元に戻すことはできるんですか?」
「あ…それ…ね…」
孝子は歯切れの悪い声を出した。
元に戻す方法がないわけではないが…その反動で自身の入れ替わりも戻ってしまうかもしれない。
(…この体! いろいろと都合ええんや! 元の世界では政治に傷跡残すまで何年もかかった。今のこの体やったら、いろいろぶっ壊すのも容易いはずや)
「今はよう分からんので、こっちの体の親とか親戚とかに聞いて、調べてみますわ」
「そうですか…よろしくお願いします。」
堅山は強く声をあげた。
「ほな、そういうことで…」
と、孝子が電話を切ろうとした瞬間
「ちょっと待ってください!」
孝子が知らないけど知っている男性の声が聞こえた。
「西藤さん?」
サユリは震える声で尋ねた。
「孝子さん……私の息子は……今、どうしていますか?」
電話口の向こうで、孝子が申し訳なさそうに言う。
(…こっちの西藤さん…あ〜入れ替わってる女の人やな)
タカシは瞬時に悟った。
「すんません……この体では、認知してへん人の魂のことは、よう分からんのですわ」
言葉の意味を理解した瞬間、サユリの顔から血の気が引いていった。
彼女は、両手で顔を覆い、小さく呟いた。
「……どうして、こんなことに……」

翌朝。
サユリが登庁すると、庁舎内はただならぬ空気に包まれていた。
ひっきりなしに電話が鳴り、職員たちが慌ただしく対応していた。
机の上には、コピーされた紙が無造作に積まれている。差出人不明の“怪文書”だった。
内容は驚くべきものだった。
『西藤ともひこは、県職員に対して常習的なパワハラを行っている。
精神を病んだ職員が複数存在する。
そしてそれを、霊的な術師を使って揉み消している――』
その紙を手に取り、サユリは思わず震える声で呟いた。
「……西藤さんって、こんなひどいことしてたんですか?」
堅山が即座に否定した。
「そんなわけないやないですか! こんなん、ただの中傷や!」
けれど、サユリの表情は晴れなかった。
――本当に、そうなのだろうか?
元の世界の斉藤、今の西藤、そしてこの“現実”……
何が真実で、何が幻想なのか。
理想を信じようとするほどに、足元が崩れていく。
そしてその時、サユリは気づいた。
自分はまだ――この世界の真実を、何も知らないのだと。

(つづく)

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