山の記録|鳳来寺の山伏に会った話
◇第壱章 呼ばれる山

鳳来寺山(愛知県新城市)は、奥三河の最果てにそびえています。わたしたちトリヤにとっては、声の仏法僧の仮面が割れた場所として象徴的なところです。
声とは息の吐出であり、空気の揺らぎにほかなりません。だから、甲高い三宝の響きは闇を切り裂き、しじまを震わせていたはずです。
麓の伊那街道は、三遠南信文化に心を寄せていた時分に幾度となく通った道ですが、いつしか足は遠のき、その記憶もおぼろげになりました。それが四半世紀ぶりに、ふと出かけてみたいと思ったのです。
あのときの得も言われぬ感覚は、もう山のほうから呼ばれたとしか思えません。
しかも、石段の続く表参道ではなく、あえて行者越を選んだのです。あのときは、ただその道を歩くべきだと感じました。今にして思えば、何かの力が背中を押したのでしょう。
行者越は、一枚岩の大岩壁でした。
四肢で岩を掴んで登る様は、まるで人間であることを捨て去って、野生を呼び起こす所作にも似ていました。
岩の上には、石造りの行者像がいくつも立っていました。
その姿は、掴みやすい出っ張りを示す道標のようでもあり、同時に、わたしを見定めているようにも感じられます。これから修験の道に向かう者が、その資格に足るかを確かめている──そんな気配がありました。
山の空気が異様に張り詰めていました。
鳳来寺は、山頂駐車場からすぐのところにありました。
新しい鉄筋に建てかえられた本堂は、幽玄とか深閑とかとは無縁の世界のように見えました。ただ、背後に聳える鏡岩の岩壁だけが、俗化されたこの山の霊性を保っているかのように思われました。
その霊性の沈黙の底で、かすかな金属音がしました。
それは、観光客のカウベルで、三宝の音色とは似ても似つかぬものでありました。
山頂へ、いや奥の院へと辿る参道には、お堂やら手水やら霊滝やら石仏やらが、沈黙を守って風景に紛れ込んでいます。朽ち果てた奥の院と広葉樹のように、奔放に枝葉を拡げたスギ。それは、ただ古い信仰の残滓のように思われました。
わたしは、見晴らしのよい岩場に登り、落涙を隠せませんでした。
わたしの心持ちは、すでに信仰が廃れた痕跡を辿る発掘者のようでした。
あゝいけません、夏の山では給水しなければ。
◇第弐章 あわいが裂ける
その時です。しじまを破って、獣の咆哮が聞こえました。
いやあれは生き物の声ではなく、もっと荒々しく、もっと情感の揺らぎがあり、まるで空気そのものを破断し、内部の圧を外へ押し出す檄のような音でした。
岩場の奥から、白いものが、一歩、わたしの方に踏み出しました。
その山伏の出現は、とても唐突で力強く、そして空気の密度をわずかに変えました。
山伏の吹く法螺は、森を切り裂き、岩を軋ませ、風を呼び、時空と空間を自由自在に攪拌します。
山伏は、両の眼でわたしをぎろりと睥睨しました。
「こんにちは」
その言葉は、あまりにも軽々しく、あまりにも俗で、この場とはまったく釣り合っていませんでした。しかし、わたしは直感したのです。山伏は、わたしを歓迎したのではない。試したのでもない。修験の道にふらふら迷い込んだ腑抜けに居合わせたから、人界に降りてきたのです。
山伏は名乗りをあげました。
「我は、役小角を祖とする行者である。こは我の修行の場である」
続けて、法螺の縁を慈しむように親指で撫でると、やわらかく手渡しました。その手つきには、試すでもなく教えるでもなく、静かな必然だけがありました。
「吹いてみるとよい」
法螺を手にした瞬間に、わたしに流れ込んできたものがありました。貝の内側に沈殿した遥かな海の記憶、山の空気を震わせてきた無数の祈り、吹き手の心の揺らぎ。それらが、掌の中で確かに脈打っていました。
金管楽器に類似した吹き口、音を拡散する管の形。ならば、音を出すぐらいは。──アンブシュアを整え、息の角度を調整し、均質で細かな唇の振動に集中します。ただそれは、音の揺れをなくした、優等生のロングトーンでした。
そこには感情の昂ぶりも、音の揺らぎも、空気を揺らす力もありませんでした。
法螺の音は、ただ空に吸い込まれ、何の反響も返しませんでした。
まるで山じゅうが、音の存在を認識していないかのようでした。
その間、山伏は、ただ黙ってわたしを見ていました。
「あなたの内側は閉じている。──その音では、山は答えぬ」
その声は、失望でも叱責ではなく、純然たる事実でした。
法螺が再び山伏の手に渡りました。その息の吐出は、空気の乱れとなって山襞に木霊し、雲を裂き、時のしじまを揺らしました。
刹那、雲が行き日暈が出現し、山の奥から水乞鳥が応答しました。
汚れた場は、再び清涼な空気を取り戻したのです。
「心の震えが息。息は音、音は風。風は雲を裂く」
吹き終えたあと、山伏は法螺の縁を白い指先で一度だけなぞりました。
ああこれは、法螺という媒介を通した、心うちの露呈である。心と事物の交歓である。そう自然に思えました。
「──ん」
山伏は、腰袋──何やら馴染みのある三枚葉のブランドロゴが付いていましたが──から、まるでカンタのように保存食を差し出しました。
土足で聖地に迷い込んだ腑抜けに、せめて霊性を取り戻せということでしょうか。
乾燥した豆です。因みに包装には緑のお豆さんが書いてありました。
山伏は、空気の揺れをそっと鎮めるように手刀を走らせ、境界を静かに閉じる印を切りました。そして、その瞬間、白装束は山の呼吸に溶けるように、わたしからすうと離れていきました。──夢のような心地がいたしました。
山伏は、この世の者だったのでしょうか。
それとも、山が人型に姿を変えて顕現した者だったのでしょうか。
そのいずれにしても、インスタ映えに敏感で、岩場では少しへっぴり腰でしたが。
その生身の姿でさえ、その人は山の気配を纏ったままの、嫋やかでしなやかな山伏でした。
◇第参章 あわいが閉じる
わたしの手の中には、まだ法螺の感触が残っていました。
山伏の保存食を口に含むと、塩気が舌の上でゆっくりと溶けていきました。
そして、少しだけ人間の世界へ引き戻されるのを感じました。
行者越の岩壁で感じた、一瞬の逡巡。
鏡岩の背後に沈殿していた、信仰の残滓への心のざわつき。
四半世紀ぶりに鳳来寺山へ呼ばれた、わたし自身の内側の揺らぎ。
山伏の一瞥と法螺の音によって、そのすべてが地層のように積層された気がしました。
山伏が消えると──いやわたしが追い越しただけかもしれませんが──森がざわめきを取り戻し、家族連れの声がし、トレランの靴音が鳴り響き、空気の密度がゆっくりと平常へ戻っていきました。
しかし、わたしの内側だけは、まだどこか別の時空に囚われたままでした。
山を降りると、古の香りが積層した伊那街道を遡行しようという気になりました。
この道には、かつて置き去りにした揺らぐ感情が、いまも深く沈殿しているのです。
(山行記録:2026年8月11日)
山名:鳳来寺山・瑠璃山(愛知県新城市)
形態:行者越Pを起点に周回、ソロ登山。約4時間10分(休憩60分)
天候:晴れ
水分:1.2L携行→1.2L消費
行動食:なごやん、ミーノ(頂き物)
植生:暖温帯常緑広葉樹林(+ヒノキ、スギ人工林)
(初出2026年8月15日)
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▼より詳しいフィールドノートはこちらから。
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