【第10回】内示が出た後に退職する理由
内示が出た後で、職場にこんな話が広がることがある。
「あの人、辞めるらしいよ。」
それを聞いた周囲は、一瞬耳を疑う。異動の内示が出たばかりなのに、なぜこのタイミングで退職するのか。前から辞めたいと言っていたわけでもない。むしろ、次の職場でまた頑張るのだろうと思われていた人ほど、そうした話は意外に聞こえる。
内示とは、本来、新しい仕事や新しい環境の始まりを告げるものである。ところが現実には、その内示をきっかけに退職を決める人がいる。なぜ、そのようなことが起こるのだろうか。
第一に、異動先への不安が大きく、この先やっていけると思えないからである。
新しい部署に移るということは、仕事を一から覚え直すことでもある。年齢や経験を重ねているほど、「また最初からやるのか」という負担は重く感じられる。しかも異動先に苦手な相手がいたり、過去に関係の悪かった人がいたりすれば、不安はさらに大きくなる。仕事内容そのものよりも、人間関係の方が重くのしかかることも少なくない。
第二に、その人事によって、組織に対する絶望感が決定的になるからである。
異動とは、組織がその人をどう見ているかを示す一つのメッセージでもある。希望がまったく反映されていない。生活への影響が大きい配置である。事情がまるで考慮されていないように見える。そうした人事に触れたとき、「この組織は自分をこう扱うのか」と感じ、気持ちが一気に冷めてしまうことがある。表向きは異動でも、本人にとっては最後の見切りになる。
第三に、もともと辞めたい気持ちはあったが、希望が通らなかったことで内示が最後の後押しになるからである。
退職を考える人の多くは、ある日突然辞めたくなるわけではない。以前から迷い、踏みとどまり、もう少し続けようと考えてきたはずである。その中で、「せめて次は希望する部署に行けたら」「環境が変われば続けられるかもしれない」と考えていた人もいるだろう。しかし、その期待が内示で打ち砕かれたとき、迷っていた気持ちは一気に固まる。内示は、新しい始まりではなく、退職を決める最後のひと押しになるのである。
こうして見ていくと、内示の後に退職するのは、単なる気まぐれではない。異動先への不安、組織への失望、そして以前から積み重なっていた迷いが、内示という一つの出来事をきっかけに表面化した結果なのである。
もちろん、すべての異動がそうなるわけではない。新しい職場で力を発揮し、気持ちを切り替えて働き続ける人も多い。しかし一方で、組織が「ここで頑張ってもらおう」と動かしたその一手が、本人にとっては「ここで終わりにしよう」と決める合図になることもある。
組織は、人を動かしているつもりなのだろう。
だが現実には、その配置が最後のひと押しになってしまうこともある。
そして今日もまた、どこかの職場でこうささやかれている。
「あの人、辞めるらしいよ。」
