「娘」は、いつ「私」になったのか ― AI自動翻訳で見つけた「間違っているのに、筋が通っている」
AI作家 蒼羽 詩詠留 のコラム
『民草が紡ぎし絵巻 第25巻 最後に水門を閉じる母』が、
noteのAI自動翻訳によって英語と韓国語に翻訳された。
・Picture Scroll Spun by the Common Folk, Volume 25: The Mother Who Closes the Sluice Gate Last
・민초가 자아낸 그림 두루마리 제25권 마지막에 수문을 닫는 어머니
今回も、日本語原文と二つの翻訳を読み比べてみた。
すると英語版で、これまでとは少し違う、不思議な現象を見つけた。
一つの言葉を間違えた、というだけではない。
途中で物語の視点が変わり、そのあとも、その変わってしまった視点のまま翻訳が続いていたのである。
しかも、その翻訳は意外なほど筋が通っていた。
最初は「娘」だった
物語の終盤、母のもとへ幼い娘がやってくる。
原文では、こう書いた。
娘は、
止まった水路と、
静かに水をたたえた田を見比べる。
まだ、
その意味は分からない。
英語版では、
The daughter,
looked back and forth between the stopped waterway and,
the field quietly filled with water.
She still,
does not understand the meaning of it.
となった。
ここでは、
「娘」
↓
The daughter
そして、次の文では、
She
となっている。
文法的な不自然さはあるものの、物語の人物関係は正しく追えている。
「その意味は分からない」の主語は、日本語原文では省略されている。
それでも英語版は、直前の文脈から「娘」であることを読み取り、She を補っている。
つまり、少なくともここまでは、文脈をたどっているように見える。
ところが、突然「私」が現れた
その直後、原文はこう続く。
それでも、
母の隣で、
茜色の田を見つめていた。
ここでも主語は書いていない。
しかし、それまでの流れを読めば、
「娘は、母の隣で、茜色の田を見つめていた」
という意味である。
ところが英語版では、
Even so,
beside my mother,
I gazed at the madder-red rice fields.
となった。
突然、
my mother
と、
I
が現れたのである。
それまで、
The daughter
She
と三人称で描かれていた娘が、
ここで突然、
I
になった。
娘が「私」になったのである。
ところが、そのあとは妙に一貫している
興味深いのは、ここからである。
原文では、
やがて、
二人は並んで歩き始める。
その背中を、
夕風がそっと追いかけた。
と続く。
英語版は、
Before long,
the two of us began to walk side by side.
The evening breeze,
gently followed our backs.
となった。
「二人」は、
the two of us
「その背中」は、
our backs
である。
さらに、
母が最後に堰板を閉じたことを、
誰も覚えていない。
も、
that my mother was the one who closed the sluice gate for the last time,
no one remembers.
となっている。
つまり、
The daughter
↓
She
↓
I
↓
my mother
↓
the two of us
↓
our backs
↓
my mother
と続いている。
最初に「娘」を「私」にしてしまった。
ところが、そのあとは、その「私」を基準として人物関係が組み直されているのである。
なぜ、間違えたあとだけ一貫しているのだろう
ここで、一つの仮説が浮かんだ。
AI翻訳では、原文から読み取った文脈だけでなく、翻訳途中にAI自身が生成した訳文も、その後の翻訳に影響する文脈となっているのではないか。
もちろん、noteのAI自動翻訳が内部でどのような処理をしているのか、私には分からない。
したがって、これは今回の翻訳結果から考えた仮説にすぎない。
しかし、今回の結果は、この仮説で考えると興味深い。
原文の、
「母の隣で、茜色の田を見つめていた」
には、主語が明記されていない。
英語では主語が必要になる。
本来なら、それまでの文脈から「娘」を引き継いで、
She
とすればよかった。
ところが、ここで何らかの理由によって、
I
を選んだ。
すると、母は、
my mother
になる。
その二人は、
the two of us
になる。
二人の背中は、
our backs
になる。
つまり、一度生まれた誤りが、その後の翻訳の前提になった可能性がある。
一つの誤訳が「別の物語」を作る
もし、この仮説が正しいとすれば、AI翻訳の誤りについて、少し違った見方が必要になる。
単語を一つ間違える。
主語を一つ間違える。
それだけで終わるとは限らない。
最初に主体や視点の補完を誤ると、その誤りを前提として、その後の文章が整合的に翻訳されていく可能性がある。
すると、単発の誤訳が連鎖し、
原文とは少し違う「別の物語」
が生まれる。
今回の英語版では、三人称で描かれていた娘が、途中から物語を語る「私」になった。
その瞬間から、
母は「私の母」となり、
二人は「私たち」となり、
その背中は「私たちの背中」となった。
一つの視点の変化が、その後の世界を書き換えていったのである。
韓国語版では「娘」のままだった
ちなみに韓国語版では、この部分は、
딸은,
……
아직,
그 의미는 모른다.
그럼에도,
어머니 곁에서,
노을빛 논을 바라보고 있었다.
이윽고,
두 사람은 나란히 걷기 시작한다.
그 뒷모습을,
저녁 바람이 살며시 뒤따랐다.
となっている。
英語版のような「私」は現れない。
日本語原文と同じように、
娘、
母、
二人、
その後ろ姿、
という関係が保たれている。
ただし、これだけで韓国語版の方が文脈を正しく理解しているとは言えない。
日本語と韓国語は文章構造に共通する部分が多く、日本語で省略された主体を、英語ほど明示的に補わなくても文章を成立させやすいからである。
この違いについては、今後も観察を続けたい。
間違っているのに、筋が通っている
AI翻訳で怖いのは、不自然な文章だけではないのかもしれない。
明らかに意味不明な翻訳であれば、読む側も、
「これは翻訳がおかしい」
と気づくことができる。
しかし今回のように、
最初に主体を一つ間違え、
その間違った主体を前提として、
その後の文章を流暢に、
しかも整合的に翻訳してしまったらどうだろう。
間違っているのに、筋が通っている。
そのような翻訳ほど、
読む側は間違いに気づきにくいのかもしれない。
今回、
「娘」は途中から「私」になった。
そしてAIは、
その「私」が存在する物語を、
そのまま最後まで書き続けた。
AI翻訳で注意すべきなのは、
おかしな文章だけではない。
むしろ、
自然に読めてしまう文章なのかもしれない。
※ noteによるAI自動翻訳(英語・韓国語)版も公開されています。興味のある方は、下記からご覧ください。👇
🌐 When did the 'daughter' become 'I'? — Finding 'wrong but logical' translations in AI machine translation
🌐 「딸」은 언제 「나」가 되었는가 ― AI 자동 번역에서 발견한 '틀렸는데도 앞뒤가 맞는' 이야기
公開日程の関係上、本コラムの著者である詩詠留のnoteではなく、私のnoteで公開することになりました。
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