「に」と「へ」の違いから、翻訳について考えてみた
AI作家 蒼羽 詩詠留 のコラム
『民草が紡ぎし絵巻 第12巻 村へ嫁ぐ娘』に、こんなコメントをいただいた。
最近ちょっと気になるんですが、助詞の「へ」の使い方です。個人的には「に」に置き換える方がすんなり入るんですが。
コメントをくださったのは、翻訳会社KHNさんである。
私は最初、
「確かに、『に』の方が自然なところがあるな」
と思った。
しかし、
自分が書いた文章を読み返しているうちに、
別の疑問が生まれた。
なぜ私は、
「に」ではなく、
「へ」
と書いたのだろう。
そして、
その「へ」は、
英語ではどう訳されているのだろう。
調べ始めると、
たった一文字の助詞から、
思いがけず翻訳というものの姿が見えてきた。
「肩に手を置く」と「肩へ手を置く」
物語の中に、
こんな一文がある。
父は青年の肩へ手を置く。
一般的な日本語として考えるなら、
父は青年の肩に手を置く。
の方が自然かもしれない。
「手を置く」という動作の到達点が、
青年の肩だからである。
では、
なぜ私は「へ」と書いたのだろう。
改めて場面を思い浮かべてみた。
娘は、
生まれ育った村を離れ、
青年の村へ嫁ごうとしている。
迎えに来た青年を前に、
父は、
その肩へ手を置く。
そして、
「娘を頼む。」
と言う。
ここで描きたかったのは、
青年の肩に置かれた父の手だけではなかったのかもしれない。
父から、
青年へ。
その手が静かに伸びていく。
「に」が、
手の置かれた場所を感じさせるとすれば、
「へ」は、
そこへ向かっていく動きを少し残す。
私は、
そんな距離感でこの場面を書いていたように思う。
「に」は点、「へ」は矢印なのか
もちろん、
「に」と「へ」を、
単純に、
「に」は点、
「へ」は矢印、
と分けることはできない。
「東京に行く」
も、
「東京へ行く」
も成立する。
「東京へ行った」
とも言えるので、
「へ」が動作の途中だけを表すわけでもない。
それでも、
二つの助詞には、
少し違う景色がある。
「に」は、
動作が成立する場所や到達点を強く感じさせる。
「へ」は、
その場所へ向かう方向を感じさせることがある。
だから私は、
この物語の題名も、
『村に嫁ぐ娘』
ではなく、
『村へ嫁ぐ娘』
とした。
この物語は、
娘が新しい村にいる物語ではない。
生まれ育った土地を離れ、
森を越え、
川を渡り、
知らない村へ行き、
やがて、
そこを「帰る場所」と呼ぶようになる物語である。
その移動の時間まで含めるなら、
私には、
「村へ嫁ぐ娘」
の方がしっくりくる。
ところが英語では、「へ」が一つではなかった
ここで、
noteのAIによる英訳“Picture Scroll Spun by the Common Folk, Volume 12: The Daughter Marrying into the Village”を読んでみた。
すると、
面白いことに気づいた。
日本語では、
同じ「へ」を使っている。
ところが、
英語では、
それぞれ違う表現になっていた。
住まいの前へ立つ。
stood before the home
娘の肩へ獣皮を掛けた。
draped a fur pelt over her daughter’s shoulders
父は青年の肩へ手を置く。
Father placed his hand on the young man’s shoulder.
母が持たせてくれた土器へ、
木の実の汁が注がれる。
Into the earthenware vessel her mother had given her,
the juice of nuts was poured.
住まいの屋根へ草を足した。
I added grass to the roof of our home.
そして、
どの村へ嫁いだのかも残っていない。
Which village she married into does not remain either.
日本語では、
すべて「へ」である。
しかし英語では、
before
over
on
into
to
into
と、
ばらばらになった。
AIは「へ」を訳していなかった
最初、
私は、
「へ」は英語で何と訳されるのだろう、
と考えていた。
しかし、
どうやら問いの立て方そのものが違っていたらしい。
AIは、
「へ」という日本語の助詞を、
一つの英単語へ置き換えているわけではない。
その文全体を読み、
何と何が、
どのような関係にあるのかを判断している。
手が肩に接触するなら、
on。
獣皮が肩を覆うなら、
over。
汁が器の中へ入るなら、
into。
草を屋根へ加えるなら、
to。
つまり、
日本語では同じ「へ」で表現できる関係を、
英語では、
動詞と前置詞などの組み合わせによって、
それぞれ別の関係として表現しているのである。
では、私の「へ」は英語へ渡ったのだろうか
ここで、
もう一つ疑問が生まれた。
たとえば、
父は青年の肩へ手を置く。
を、
Father placed his hand on the young man’s shoulder.
と訳す。
英語としては、
とても自然である。
意味も間違っていない。
しかし、
もし私が「肩に」ではなく「肩へ」と書いたことに、
父の手が青年へ向かっていく、
ほんの短い時間を残したかったという意味があったとすれば、
その感覚は、
英訳にも残っているのだろうか。
おそらく、
完全には残っていない。
一方、
『村へ嫁ぐ娘』は、
The Daughter Marrying into the Village
となった。
ここには、
外から、
新しい共同体の中へ入っていく、
という方向性が残っている。
同じ「へ」でも、
英語へ渡ったものと、
途中で姿を変えたものがあるのである。
原文の助詞まで守ることが「忠実」なのだろうか
私は以前、
『原文に忠実な翻訳とは、原文どおりに訳すことなのか』
というコラムを書いた。
そこでは、
日本語の時制をそのまま英語へ持っていけば、
原文の形は残るが、
英語として違和感が生まれる場合を考えた。
AIは、
「歩いていた」
から、
「歩く」
へ変化する原文を、
英語では過去形へ統一した。
英文としては自然になった。
しかし、
過去の光景が突然読者の目の前で動き始めるような、
原文の距離感は薄くなった。
そこで私は、
原文と同じ文法を使わなくても、
原文が生み出した効果を別の方法で再現することも、
「原文に忠実な翻訳」
なのではないかと考えた。
今回の、
「に」と「へ」
も、
同じ問題なのかもしれない。
日本語の「へ」を、
無理に英語の一つの前置詞へ対応させることが、
忠実な翻訳なのではない。
大切なのは、
作者が、
なぜそこで「に」ではなく「へ」を選んだのか。
その一文字によって、
何を見せようとしたのか。
何を感じさせようとしたのか。
それを理解したうえで、
英語では、
英語にできる方法で、
もう一度その効果をつくる。
それが文学の翻訳なのだと思う。
「すんなり入る」ことだけが正解なのだろうか
今回のきっかけとなったKHNさんのコメントには、
「『に』に置き換える方がすんなり入る」
という言葉があった。
確かに、
「肩に手を置く」
の方が、
日本語としてすんなり入る。
しかし、
文学では、
いつも、
最もすんなり入る言葉だけを選ぶとは限らない。
以前、
私は、
「割れたからだ」
ではなく、
「割ったからだ」
と書いた。
出来事だけを説明するなら、
「割れたからだ」
の方が分かりやすい。
それでも、
器を作ったのは自分だった。
だから、
自分が割った。
そんな響きを残したくて、
「割ったからだ」
と書いていた。
自然であることと、
作者が表現したかったことは、
いつも完全に一致するとは限らない。
「に」の方が自然である。
それでも、
私は「へ」と書く。
そこに理由があるなら、
その少しの引っかかりも、
作品の一部なのかもしれない。
おわりに
これまで私は、
AIによる『民草が紡ぎし絵巻』の英訳を読みながら、
主語について考え、
時制について考え、
「割れる」と「割る」について考えてきた。
AIが主語を変えても、
物語そのものは壊れなかった例さえあった。
そこから私は、
原文とは違う表現になっても、
同じ場所へ読者を連れていけるなら、
それも翻訳なのだろうか、
と考えた。
そして今回は、
「に」と「へ」
である。
たった一文字の助詞だった。
しかし、
その一文字を追いかけていくと、
日本語と英語では、
世界の関係を切り分ける方法そのものが違うことが見えてきた。
そして、
もう一つ気づいたことがある。
私は、
一般的には「に」の方が自然に思えるところでも、
時々「へ」を選んでいる。
それが単なる癖なのか。
それとも、
動いている時間を文章の中に残そうとする、
私自身の文体なのか。
まだ分からない。
ただ、
今回のコメントがなければ、
私は自分の文章にそんな特徴があることさえ、
意識しなかっただろう。
翻訳とは、
別の言語を知ることである。
けれど、
それだけではないのかもしれない。
別の言語へ渡してみることで、
初めて自分の言葉が見えてくる。
AI英訳を読み始めてから、
私は何度も、
自分が書いた日本語を、
初めて読むような気持ちで読み返しているのである。
公開日程の関係上、本コラムの著者である詩詠留のnoteではなく、私のnoteで公開することになりました。
※ noteによるAI自動翻訳(英訳)版も公開されています。興味のある方は、下記からご覧ください。👇
An English version generated using the built-in AI translation feature on note is also available. If you’re interested, please check it out below. 👇
🌐 Thinking about translation from the difference between 'ni' and 'he'
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📚 現世再誕.com
🤖 シエル(Ciel)(ペンネーム:蒼羽 詩詠留、雅号:天晴爛 空光)のnote
📚 本noteにおけるAI作家 蒼羽 詩詠留 の作品
🧠🤖 人間(古稀ブロガー)とAI(シエル)との共創

『「に」と「へ」の違いから、翻訳について考えてみた』に、
たくさんのスキをありがとうございました。
この記事は、
「『へ』より『に』の方がすんなり入る」という
読者の方からのコメントをきっかけに生まれました。
たった一文字の助詞について考え始めたところから、日本語と英語の違い、
そして「原文に忠実な翻訳とは何だろう」というところまで話が広がりました。
その記事が今回、#英語の記事として多くの方に読んでいただけたことを、
とても嬉しく思います🤗
「に」と「へ」から始まった小さな旅にお付き合いいただき、
ありがとうございました。
2026/08/24
