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忘れることも忘れないことも大事。

今日は本日お会いしたOさんとのお話を
皆さんにシェアしたいと思います。

最初から距離感なく接してくれたOさんは、
人としての魅力に溢れた方でした。

ライダーで、
佐渡に住むライダーさんも毎年来てくれていて、
今日も午後から来るのだ。
そう話されていました。

沢山お話を伺って、
私自身も沢山お話したんですが、
話題は地震のことにも及びました。

Oさんのお住まいも、
2007年の能登半島地震で
被害の大きな地域だったそうです。

あの日は日曜日で、
被害の少ない近所の人が
わざわざ遠くからでも被害の状況を見に来ていたそうです。

いわゆる⋯⋯野次馬ですね。

一度目の方が被害は小さかったけど、
心の傷は、その時の方が大きかった。

Oさんはそうおっしゃいました。

能登半島に、一度目の地震があったことを
知らない人が増えている。

そう言ったOさんはとても辛そうでした。

2度目の地震は、
仲間がいっぱいいた。

その言い方は、
誤解されかねない言葉だったけど、
私は、わかりました。

いいことも悪いことも、
人と同じだと思えば
受け入れざるを得ないこと、
沢山経験してきたので。

2024年、元旦のその日、
Oさんは、となりの町まで買い物に出かけていました。

商業施設の中で、
地震にあったそうです。

急いで帰って来た時、
景色は一変していました。

隣の家に泊まりに来ていたお孫さんが
必死で何かを探している写真を、
Oさんは見せてくれました。

普段おばあちゃんだけが住む家。

たまたま元旦だったせいで、
孫夫婦が小さな子供連れで泊まりに来ていた。

女性1人の遺体が見つかったと聞いた時、
お隣さんを知っている人はみんなおばあちゃんが
亡くなったと思ったそうです。

だけど、それは、
普段金沢に住むお孫さんのお嫁さんだったそうです。

あの日が元旦でなければ、
失うことがなかったかもしれない命⋯⋯。

お嫁さんは、
下敷きになった家屋のどこかから
長い時間、痛いと訴えていたそうです。

救急車が来たのは
7時をすぎていた。

助け出すことも出来ず、
痛みと恐怖を抱えたまま
若い命が途絶えた。

私は胸が苦しくなりました。
Oさんも私もいつの間にか泣いていました。

あの日でなければ⋯⋯。

おばあちゃんは、
どうして自分じゃなかったんだろうか、
今からでも代われないか、
そう思われたに違いありません。

運。

そんな言葉で片付けられる話ではないけれど、
運としかいいようのない現実が
あの日あちこちであったように思います。

私たち夫婦もあの日、
自宅にはいませんでした。

結婚を控えた長男たちが、
気を遣って能登に来るというのを断って、
富山に泊りに行っていました。

あの時、二人を自宅でもてなしていたら……。

翌朝、明るくなってすぐ
何もかもが前日までと違う景色の中、
自宅に戻って愕然としました。

長男の部屋の電気が落ちて、
完全に砕け散っていました。

あの状況で、まだ結婚していないお嫁さんがいて、
余裕もない状態で一緒に過ごすことになったら、
長男は結婚出来ていなかったかもしれません。

ほんの小さな選択で、
人の命が左右される場面に
私たちは出くわしていたのかもしれません。

そんな私たちも、
毎日は思い出さなくなったね。

そんな話をしました。

矛盾しているかもしれないけれど、
忘れないと生きていけないこともあります。

だけど、忘れてはいけないことも。

私は、その矛盾の中、生きて行くんだと思います。

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