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営業の極意 第七回営業を始めたきっかけと、私の生い立ち

私は、昭和の極貧生活を絵に描いたような家庭に生まれた。場所は今の大阪・北区。
もっとも、生まれたばかりの頃は、それなりに暮らせていたらしい。だが、人の良すぎる父が友人の保証人となり、経営していたメリヤス工場も土地も家もすべて失い、残ったのは借金だけ。中野家は母の里である九州へ“夜逃げ”同然に移り住むこととなった。

このあたりの記憶は私にはない。私が覚えているのは、佐賀県で暮らした中野家からだ。幼稚園から小学校2年生までを佐賀で過ごした。
父はそこで再起を図ったが、今度は自らのミスで再び仕事に失敗。中野家はまたもや夜逃げを余儀なくされ、奈良県の曽爾村へと移り住んだ。

小学校2年生の私は、トラックの荷台に揺られながら佐賀から奈良までの長い道のりを今でも鮮明に覚えている。
その後、小学校3年の頃に奈良県桜井市へ三度目の引っ越しをし、ようやく落ち着きを取り戻したのだった。



子ども時代の労働と学び

暮らしは苦しかった。だから私は、子どもながらに働き始めた。
ヤクルト配達で家庭にお金を入れ、小学6年の夏には土木作業の手伝い。中学では新聞配達をし、土日は八百屋でアルバイトをした。

ワークライフバランスってなんだ?

今振り返ると「学生時代のライフワークバランスはどこへ行ったんだ?」と笑えてくる。だが、不思議とストレスはなく、つらいとも思わなかった。
むしろ――この時期こそ、私の人生の土台を作ってくれたのだと思う。

家にお金がないなら、自分で稼げばいい。
売上がなければ、休んでいる暇はない。
どうやって売るかを考えるしかない。

考え方は、いつだってシンプルだった。

働くことって当たり前

シンプルに考える力

この“単純思考”こそ、のちの私の営業人生の武器となった。
だから、部下が難しい理屈を並べると、ついこう言ってしまう。

「もっとシンプルに考えようよ!」

「売上が上がらないんです」
――じゃあ、売上を上げればいい。
「じゃあ、オレが現場に出て接客するよ」

正直、それが最善策だとは思っていない。だが、実際にジェムケリーが急成長を遂げたのは、このシンプルな姿勢があったからだ。
右肩上がりに伸びていく中で、人も育ち、組織も強くなった。

常に頭の中は単純だ。
売上が上がらないなら、上げられる人が助ければいい。
売れない市場にいるなら、売れる市場に移ればいい。
買わない人に勧めるより、買ってくれる人に届ければいい。

ただ、それだけの話だ。
そして、その“ただそれだけ”を貫いてきたことが、今の私をつくったのだと思う。



👉次回は、「営業という道を本格的に選んだ瞬間」について書いてみたい。

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