映画「国宝」をみて「幸せ」とは何かを考えてた。
今更ながらに、映画『国宝』をみました。
見終わったあとに私の中に残ったのは、「喜久雄は幸せだったのかな?」という問いでした。
天性の女形を演じる才能を持った喜久雄と、歌舞伎の生家に生まれ育った血筋を持った俊介。
切磋琢磨しながら成長していく二人の姿が、生々しく描かれている作品でした。
でも、私は少し違うところに心が留まりました。
「二人は幸せだったのかな?」とね。
人生には、いい時もあれば悪い時もあります。
九州で極道の家に生まれ育った喜久雄。
歌舞伎の名門に生まれ、将来を約束されていた俊介。
生まれも、与えられたものもまったく違う二人。
けれど、そのどちらにもそれぞれの苦しさがありました。
才能があるから幸せとは限らない。
血筋があるから幸せとも限らない。
それぞれのタイミングで、自分にないものに絶望し、それでもまた立ち上がって這い上がってくる姿に、人間の強さを感じました。
そして、手に入れたものの裏には、失ったものや傷つけた人が存在しました。
それでもなお、自分のありたい姿をまっすぐに追い求める喜久雄。そのための手段は厭わないようにも感じられました。
一見すると、冷たく感じられるところもあったのですが、そこには彼の人生の中で別れてきた人たちの存在があったのかもしれません。
襲撃を受け、望まずして命を絶たれた実父。
自身の衰えていく体を感じながら、実子である俊介への愛情よりも、喜久雄の才能を選び、葛藤の中この世を去った半次郎。
そして、足を失いながらも歌舞伎役者として生ききった俊介。
人間国宝に選ばれた喜久雄は、私にはとても孤独に見えました。
日本一の歌舞伎役者になる、という夢は叶ったけど、失ってきたものがあまりにも多く感じたのです。
夢だけは叶った。夢しか叶っていない。
果たしてそれは幸せなのだろうか?
それでも、恐ろしいほどに人の心を動かす歌舞伎役者へと上り詰めた喜久雄。
本物の才能にはどこか狂気に似たものが宿るのかもしれない。そんなことも感じさせられました。
一晩経ってあらためて感じるのは、私は喜久雄の幸せについてずっと考えていたということ。
喜久雄は孤独ではなかったのかもしれない。
そう思えたのです。
実の父、育ての父、そして俊介。
この三人の魂は喜久雄の中で生き続けて、彼を支えてきたし、これからも見守り続けてくれる。
彼はそう信じて、みんなの分まで生き切っていくのでしょう。それが彼の選んだ人生なのかもしれません。
よくあるサクセスストーリーではなく、この憂いこそが、この作品最大の魅力だと感じました。
本当にいい作品というのは、メッセージがその場では受け取り切れないこともあるんですね。
一度では受けとりきれなかったものを、もう一度確かめたくなっています。
